薔薇の植木が美しい庭だ。
ここに住む女店主の男がマメに面倒を見ているようで、いつきても苗木は綺麗に切り揃えられているし、花の付き方のバランスも整えられていた。
男は世話焼きな気質があるようで、植物のみならず、女店主の世話もしている。
ヴィヴィオはジニーをつれて、オリュンポスに来ていた。
朝の早い時間だったからか、女店主はまだ起きていないようで、リドルと呼ばれる男だけが庭仕事をしていた。
「へえ…ジニーが母親か。驚いた」
ヴィヴィオがリドルに声をかけると、彼は端麗な口許を吊り上げて、突然そういったのである。
ジニーのことを知っているのか、そりゃいい、と思ったが、隣のジニーが蒼白としているので口をつぐんだ。
リドルはそれを気にする風でもなく、庭に咲いていた花を数本持って店のドアを開けた。
「外は冷える。何もしないし、ヴィヴィオも一緒だ、まあいいだろう?」
「本当にリドルなの…?」
「残念ながら本物。君が11歳の時に一度会ったね」
なかなか店の中に入ろうとしないジニーに、リドルはいつも通りの微笑みを浮かべた。
美しいが毒のある花のようなイメージを植え付ける笑みだ。
ヴィヴィオも彼は少し苦手だった。
ジニーと彼の間に何かあったのか、ジニーはあからさまに怯えた顔をした。
下世話な話はしたくないから、ヴィヴィオは聞かないでいたが、いつまでも肌寒い庭で睨み合っているわけにもいかない。
「ジニー、この人は基本的に店主が何か言わないと何もしない人だから、今大丈夫だと思うぞ」
「ちなみに名前さんがここの店主だよ、ジニー。まだ寝てるんだけど」
「どういうつもり…?あなたがやったの?!」
「まさか。残念ながら今の僕は魔法を使えない」
とにかくお入り、と柔らかなアルトテノールが朝のオリュンポスに響く。
氷像のように動かなくなってしまったジニーを促す意味も込めて、ヴィヴィオは中に入った。
古い木と本の匂い、それから生花の香り。
リドルは持っていた切花を各テーブルに一輪ずつ挿して回る。
各テーブルを回り、キッチン脇の手洗い場で手を洗い、ハンガーラックに掛かっていたエプロンを手にした。
流れるような無駄のない動きだ。
扉を抑えていたヴィヴィオは、ジニーが中に入ったのを確認してドアを閉めた。
この店ではドアを閉めないと怒られるのだ。
ドアには前店主が仕掛けてくれた魔法がかかっていて、招かれざる客の侵入を防いでくれる。
「どこでもいいから座りなよ。…ああ、ヴィヴィオ、暖炉に火を入れてもらえるかい」
「悪い、リドル。俺も魔法はからきしだ」
「ああ…ヴィヴィオのところは奥さんが魔女か。ジニー、杖はある?」
「…持ってないわ」
この店には魔法界には珍しい、コンロが設置されている。
ヴィヴィオの妻はマグル生まれの魔女であるがゆえに知っているが、魔法界で生まれ育った魔法使いは知らない者も多い。
魔法界生まれのヴィヴィオはそれに該当しており、コンロを見たのはこの店が初めてのことだった。
リドルはああ、そう、と気だるげに答えて火のついた小枝を手に暖炉へ向かった。
魔法があればすぐに終わることだが、魔法が使える人間がいないとこうなる。
ジニーは暖炉の前にしゃがんだリドルを、これでもかと大きく丸くした目で見ていた。
「どうして?」
「どうしても何も、今の僕は魔法が使えないんだからしょうがない」
肩をすくめて不機嫌そうにそう言うリドルに、信じられないと返したのはジニーだ。
2人の面識云々は知らないヴィヴィオだが、ただならぬ様子である。
早く女店主が下りてこないか、と思ったが、朝の早い時間に彼女がここにいるのをヴィヴィオは見たことがなかった。
恐らく彼女もまた、タイプ・ノクターン…夜行型だ。
オリュンポスは、夜はバーとしてノクターンでは珍しい交流の場になっている。
店主は明け方まで客の様子を見ているから、朝は丁度寝ている時間帯だ。
「嘘」
「そんなことを言われてもね。いいから座って」
リドルはジニーやヴィヴィオから一番近い位置のテーブルの椅子を引いて、キッチンに戻っていく。
ヴィヴィオは、確かにリドルが魔法を使っているのを見たことがなかった。
庭の植木を弄るのも、店に立って料理をするときも、客席に皿を持って行くときも、彼だけはいつでも自分自身で行っていた。
今も、キッチンに戻ったリドルがホットミルクの入ったマグを手渡ししてくれている。
指先がリドルに触れると、彼の手が水仕事をしている人の手であることがすぐにわかる。
「いらないわ」
「…名前さんを起こそう。どうにも話が進まないだろうし。ヴィヴィオ、彼女を見ていてくれよ」
しかし、ジニーは何を思ってか、リドルの言うことを信用しない。
何が彼女を頑なにするのか、ヴィヴィオには分からなかったが、リドルの言うことには賛成だった。
いい加減、この重すぎる空気を打開できる人間が必要だった。