芒は笑う
雨の多い六月は、当然、日照時間も短い。
比較的に静かな月で、一般的な忍の仕事は繁忙期を過ぎる頃合いで、休みが増える。
イタチもその通例に則って、いつもよりも多い休みを実家に帰ることなく過ごしていた。

「おかえり、シイナ」
「ただいまあー」

一方のシイナにとって六月は繁忙期だ。
春先に集中する任務の片付け、他里から送られてくる報告書の解読、来期からの新しい暗号の作成…それらはすべて、シイナの勤務している暗号処理班の仕事である。

その暗号処理班の中でそれなりの地位に上り詰めているシイナへの負担は大き。
本を読んでいたイタチはアパートの鉄階段を登る足音を聞いて、顔を上げた。
時刻は朝の10時過ぎ、ここのアパートに住んでいる住人が帰ってくるには早すぎる。
恐らくはシイナだろうと考えたイタチは、予め家の鍵を開けにソファーを立ったのだ。

そして、彼の予想通り、ドアを開けたのはシイナだった。
イタチの顔を見たと思ったら倒れこむように抱き着いてきたシイナを抱きとめたイタチはどうしてやろうかと思った。
普段なら首根っこを引っ掴んで風呂場に投げ入れるところだが、顔色の悪いシイナに免じてやめた。
首筋に顔を埋めて、無理無理と呪詛の様に呟くシイナの背中を摩ると、間延びした声を上げた。

「お疲れ」
「つかれたー」
「寝る前にシャワーは浴びろよ」

シイナの職場では貫徹、缶詰が当たり前な風潮がある。
そのため、職場内にシャワー室や仮眠室があるが、シイナくらいに忙しいとそこに行くのも面倒になることがあるらしい。
抱きしめるとシイナの匂いがする、シャンプーなどではない、彼女の匂いが。
これはこれでありなのだが、綺麗好きなイタチとしては多少葛藤がある。

「むりー、入れてくれるなら入る」

本人がどのような気があってそう言っているのか、イタチには分かりかねた。
そして、どういう意味かと聞く勇気もイタチにはない。
お前なあ、と適当な返事をするだけに留めておいた。

蒸し暑い室内で抱き合っていれば当然暑いのだが、シイナはそれについて全く触れない。
寧ろシイナの首筋には少し冷たいくらいだ。
飽きたらしいシイナがイタチから離れて、のろのろと靴を脱ぎだした。

イタチはそれを確認すると、風呂場に行ってお湯を張る。
やはり綺麗な方がいいし、シャンプーの匂いも好きだ。
シイナは何か荷物と買い物袋持ってきていたようで、がさがさと背後で冷蔵庫の中に物を入れる音がした。

「お前、食べてたんだろうな」
「一応はねー…流動食だったけど」
「何だそれ」
「ゼリーみたいなやつ…栄養はあるらしいよ、今度長期任務の人に持たせる予定らしくって、その試飲会」

ふと、イタチは気になっていたことを聞いた。
抱きしめた時の感触だとか、体温の低さだとかで、明らかに人間としての生活水準が下がり切っているであろうことを予測したからである。

冷蔵庫の中に仕舞うものは少なかったようで、既にリビングのベッド下の収納に荷物を入れ込んでいたシイナに問いかけると、彼女は身体を起こした。
こういうやつ、と小さ目な両手でイタチの手のひらくらいの大きさの四角を作った。
食事にありつけなさそうな任務の時に持って行かされるものだろう。
栄養はあるらしい、という言葉から、味はお察しであることが分かる。
イタチはあまりそれを持って行く仕事には行きたくないと眉を寄せた。

「それ以外は?」
「いやあ、片手に本、片手にペンを持っていたら箸は握れないでしょ?」
「お前ら馬鹿なのか?」

笑っているシイナに、イタチは真顔で答えた。
色々と言いたいことはあるが、それらは言葉にならなかった。

3日だ、シイナが仕事に行ってから丸三日をゼリーで過ごしたというのか。
うちはの刑務所の囚人だって、もう少し良いものを食べている。
大体、長期任務で使う予定の栄養食を持って行った部署も部署だ。
そんなものを激務の人間に与えたらこうなることは何となく想像ができるだろうに、と思ったが、普通はそう思わないか、イタチは怒りを収めた。

普通は忙しい合間を縫ってでも食事はする。
その普通が通用しないのが、暗号処理班だ。
文字と霞を食べて生きているのではないかという噂が実しやかに囁かれる部署である。
シイナは食欲旺盛な方だが、ある意味食いだめをしているだけなのかもしれない。

「だから今日はきちんと食べるよ。お腹空いてるし」
「毎日食えよ、食い溜めじゃなくて」

はいはい、と適当な返事をしたシイナは大きく伸びをした。
まるで猫だなと思いながら、細いシイナの腰に手を当てた。
伸びきった胴は細く、しなやかだ。
うだうだと職場の愚痴を垂らしていたシイナは、ある程度話したら気も身体も楽になったのか立ち上がってシャワーを浴びに行った。

シイナの温もりが消えたソファーが物寂しくなって、イタチは立ち上がった。
リビングを出たらすぐ廊下で、脇のシャワー室から水の流れる音だけが聞こえた。
とりあえず、家にあるもので何か作ろうと思い、冷蔵庫を開けた。



期限内にやらなくてはならないことがあったら、大抵の人はいつまでにどこまで終わらせるかくらいは決めるだろう。

ただ、シイナはそうならない。
やる気が出ればその時にまとめてすべてを終わらせ、やる気がないときは何もしない。
それで何事も問題なく過ごしていられたシイナにとって、計画とはその場で立てるものだった。
だからシイナはアドリブが得意だったが、逆にイタチはアドリブが非常に苦手である。

「…なんて言ったらいいのかわからないんだが、ありがとう」
「うん。おめでと、イタチ」

シイナは実際のところ、何も考えていなかった。
実は彼女にはまだまだ山の様に聳える仕事があって、足に縋りつく部下を引き剥がして、何とか帰ってきたのだ。
理由はただ一つ、イタチの誕生日を祝うためだった。

とりあえずケーキは買って、プレゼントは事前に用意していたからそれでよかった。
準備をして満足してしまっていたのである。
よくよく考えてみれば、数日間固形物を食べていないと言えば、家事をあまりしないイタチも流石に台所に立つだろうことは予測できたし、堅物の彼が見つけてしまったものをうまく誤魔化せるわけがなかったのだ。

「知らんぷりしてくれればいいのに、意地悪〜」
「ああ…そこまで考えが至らなかった。それより、ケーキは勝ってきたのにそれ以外は買ってないのか…」
「だって明日からまた缶詰だし。イタチも明日から仕事でしょ?買ってもしょうがない」

可愛らしく“イタチくん、たんじょうびおめでとう”と書かれたプレートが突き刺さったケーキを目の前にまだ湯気の立っている状態のシイナはむくれた。
まあ本当にサプライズにするつもりはなかったので、そこまで怒っているわけではない。

イタチはイタチで、相変わらず詰めが甘いとシイナらしさに苦笑いすることしかできなかった。
悪戯がばれた幼子のように笑うシイナは昔とほとんど変わらない。
何となくそれがイタチにとって安心できた。

「ケーキだけ食べたら外に食事に行こうよ」
「普通ケーキはデザートだ。主食を食べてからだろ」
「いいじゃん。誕生日なんだからさ。イタチ、甘いもの好きでしょ」
「誕生日なんだから、少しは俺の言うことを聞けよ」

シイナの濡れた髪にタオルを乗せて、さっさと用意してこい、と促すと、彼女はつまんない、と言いながらも髪を乾かし始めた。
文句を言うものの、反対はしないから誕生日権限でイタチの言うことが採用されたのだろう。
ケーキをそっと冷蔵庫に戻して、イタチは外に食べに行くならどこに行こうかと考えを巡らせた。
きっとどこでも、シイナと一緒なら楽し違いなかった。
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