赤き慟哭
クルタは小さな移動系の民族である。
彼らの住むルクソ一帯は険しい山間部で、木の実や狩猟をメインにして活動をしていた。
彼らは文明的な生活をしていた。
種類は少ないにしろ質のいい生地でできた服を着ていたし、飢えた者もいない。

クロロはその実態に驚いた。
本来であれば裕福になりえない民族のはずなのだ、地域や育てているものを見る限りは。

「当り前よ。だってアタシの母の目は、この村全員の1年分の生活費になったんだから」

すぐにでも屋根が飛びそうな掘っ建て小屋は、流星街でもよく見たものだ。
ただ素材は布で、テント式のものであるのは移動民族ならではだ。
クルタの人間である女は、明るい茶色の瞳を細めてそう言った。
病に侵された身体はやせ細っているが、口調は気の強い女のそれで、精神的に死んでいないことがよく分かった。

クロロがこの貧相そうなテントを選んだのは、ただ単に金を見せれば色々と話してくれそうだからだった。
そのテントには一人の女が床に臥せていて、クロロを見た瞬間に念で襲い掛かってきた。
その豪胆さと気概が気に入ったクロロは彼女と話をした、その結果、どういった巡りあわせなのか、女はエリーゼの母であることが判明したのである。

「あーあ、いいわね。あの子、こんなイケメンに抱かれたんだ」
「なんでわかるんだ?」
「アタシはね、男に抱かれたときに目が緋色になるのよ。だから卑しい下賤な一族だなんて言われているんだけど。クルタの中でも私たちだけなんだって言うけど、実際は分からない」

乾いた喉でカラカラ笑いながら、女はそう答えた。
飾り気のない、女っ気もない、何でもないことのように女は自分の境遇を話し出した。

生まれたころから貧乏暮らしで、10歳で外の男の相手に行かされたこと。
気が付いたら母は殺されて目を売られていたこと。
18歳で出会った旅人と付き合って、子どもを孕んだこと。
子どもに自分と同じ思いをさせたくなくて、妊娠を隠して、男の家でこっそり生んで、ゴミ捨て場に捨てたこと。

「アタシと同じ思いをさせたくなくて捨てたんだけど…まさか生きてるなんてねえ。アタシと同じで悪運が強いんだわ」
「その通り。アイツは運がいい」
「名前はエリーゼのまま?」
「ああ。それは貴方がつけたのか」

エリーゼの母は満足げに笑って頷いた。
エリーゼと言う名前は生まれてすぐに我が子の顔を見て、思い浮かんだ名前だと言う。

「昔に読んだ絵本のお姫様の名前。アタシもああなりたかったんだと思うわ」

クルタの民から隔離された特別なクルタの女。
男に抱かれると緋の目が発動するという能力ゆえに男の相手をさせられて、それ以外の時は幽閉される。
幽閉されるお姫様はよく見るが、目の前のお姫様はどうにもこうにも生臭すぎた。
エリーゼの名づけの理由を聞いたクロロは、それを笑い飛ばした。
顔の造りはあまりエリーゼと似ていないのに、ふくれっ面だけはよく似ていて、それもまたおかしかった。

クロロは日が暮れるまで、エリーゼの母と話をした。
その中で彼は彼女から、エリーゼの父に当たるらしい民俗学者が書いたクルタの特色の本をもらった。
“ルクソ地方における民俗学”と書かれた本には、クルタの特色や移動の様子、ルートまでが事細かに記されていた。
その中にはエリーゼやその母のように、特定の条件で緋の目が発動する場合があることも書かれていた。

その本を流し読みしていたクロロに、女は声を掛けた。

「アタシね、もう長くないみたい。だからできれば、イケメンくんに殺してもらって、目はエリーゼに上げてほしいのよ」

ずっと寝たきりだった女は起き上がって、クロロを見ていた。
その瞳は既に緋色になっていて、生きた緋色の目がこんなに美しいものかとクロロは驚嘆した。
炎の赤とも、血の赤とも、ルビーの赤ともまた違う。
蕩けるような、粘度の高い甘そうな緋色。

殺されるんならイケメンにされた方がいいもの、と笑う女にクロロは名前を聞いた。
最期に聞いておくべきだろうと彼は思った、普段はそんなこと聞きもしないのに。

「ルイーゼよ、イケメンくん」
「そうか、俺はクロロだ」
「そう。クロロ、エリーゼのこと宜しくね」

細い女の腕は、抱いたエリーゼの腕と少し似ていて、エリーゼを殺しているような、不思議な気分になった。
クロロはその後、“ルクソ地方における民俗学”を元に、クルタを見つけて惨殺した。
赤い瞳はどれもこれも美しかったが、死にゆくルイーゼの瞳より美しいものは一つもなかった。
彼は、ルイーゼの瞳だけを手元に残して、それ以外の目はすべて売り払った。
そして今、ルイーゼの瞳は彼女の要望通り、エリーゼの手元にある。


エリーゼが“ルイーゼの瞳”と“ルクソ地方における民俗学”を受け取ったのは、クロロがクルタを殲滅させた後の話だった。
それまでエリーゼはクルタの民が自分のルーツであったことも、母親が生きていたことも知らなかった。
全てを知っても、遠い地方の話程度にしか思えず、自分に関連付けることができなかった。
しかし“ルイーゼの瞳”を見ていると微かに胸がざわつく、その程度であった。

だが今、目の前に母を虐げ、自分を捨てさせる発端になった一族の生き残りを見て、エリーゼは確かに不快感を覚えたのだ。
手助けする義理はないし、別に教えなくてもよいことだ。
しかし、エリーゼは彼に残酷な現実を突きつけてやりたい気持ちになった。
それは確かに、憎しみの一種であると分かっていながら。

「クルタは君が思っているほど、綺麗な民族じゃなかった」

クラピカの知っているクルタは、全体のごくごく一部の話だ。
幸せの土台は不幸、世の中は大体そうなっている。
彼が幸せな世界に生まれ、エリーゼが不幸な世界に生まれた、それだけのこと。
ただ、幸せな世界に生まれたクラピカが勝手に、こちらの世界を覗きこんだだけだ。
エリーゼはそう自分に言い聞かせた、卑劣な笑みをしているであろう自分に。

クラピカは鎖の巻きついた白い手を震わせて、ページを捲っている。
エリーゼの父が書いた“ルクソ地方における民俗学”は第三者視点でクルタを見ている。
クラピカが知っている世界とは違うクルタの記録だ。

「当り前だけど、私はクルタが滅ぼされたと聞いても何も思わなかった」

今は思うところがあるけれど、とエリーゼは言わずにおいた。
センリツが不安げな顔でエリーゼを見る、彼女の心音がいつもよりもずっと冷たいからだ。
エリーゼの心音は大抵、凪いでいる海のように穏やかで静かなものだ。
しかし今のエリーゼの心音は、深海のように深く、暗く、寒かった。
逆にクラピカの心音が困惑から悲しみへと変わっていく。
ただその内容がエリーゼにとっても、クラピカにとっても悲しい事実が書かれているのであろうことは分かっていた。
エリーゼは淡々とアルコールを流し込んでいる。

「でも今、初めて私、貴方を憎いと思った。今までそんなことなかったのに」
「そう、だろう」
「しかも貴方、私の大切な人まで殺しているんだもの。分からないこともないけど、私、絶対に貴方を許せないんだと思う」

とても静かなのだ、早くも遅くもない、一定のテンポ。
でも、その音が酷く怒っていて、今にも大荒れになりそうな海のようで。
センリツはきゅ、とテーブルの下のフルートを握る手を強めた。

クラピカはまだ動揺している。
それもそうだ、自分の仲間かもしれないと期待してやってきたのに、エリーゼに憎しみだけを植え付けた結果になってしまった。
エリーゼの想いは痛いほどわかった、異端のものとして殺された父、娼婦として奴隷として扱われた母、幸せになるために捨てられた子。
本当なら彼女にもクラピカと同じように幸せに暮らす権利があったはずだった。
それを奪っていたのは、クラピカの愛していた一族たちである。

「“神は残酷だ、私の愛するものをすべて奪っていく”」

吐き出すように、エリーゼはそう歌った。
それは“ラミアの飛翔”の一言、我が子にも人間の子どもにも触れられない者の悲痛な叫び。
その一節は“ルクソ地方における民俗学”の最終頁に書き殴られていた。
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