悪魔のお出迎え
センリツは動画を見てため息をつきたくなった。
そりゃ、彼らは音楽などと言うものに関わる機会はないだろう。
だがあまりにも、酷過ぎる、特に“レディ・スカーレット”が音痴すぎる。
ただそれを目の前の真面目な顔をしたクラピカに漏らすわけにもいかない。

センリツは酷い不協和音を聞いたことによる不快感をひた隠しにしながらも、彼の求める情報を伝えるべく、口を開いた。

「彼女のことは知ってるわ」
「そうか…教えてほしい」
「…その前に、クラピカが彼女に会って何をするのかを教えて」

彼女、エリーゼは穏やかでマイペースなヴァイオリニストである。
ヴァイオリンの美しい音色をナチュラルに、まるで日々のちょっとした素敵な風景を音にしたような、素朴で優しい音を奏でる人だった。
アーデルの中では最も個性が薄く、どこにでもいそうなところがあって、彼女といると不思議と落ち着く。

クラピカが彼女に会って何をするのか、もしエリーゼに手を出すのであればセンリツはいくらクラピカの頼みであっても受けたくなかった。
彼女の優しい音色を聞くことができなくなるのは嫌だ。

「話がしたい。もしかしたら、同郷の人かもしれない」

同郷、彼が長らく探している緋の目を持ったクルタの民。
彼自身で虐殺されたと聞いていたが、まさか生き残りがいたなんて。
クラピカの心音に嘘がないことを確認したセンリツは目を丸くした。

エリーゼはクラピカよりも10くらい歳が上である。
彼が彼女のことを知っているかは分からないが、もしかしたエリーゼの方はクラピカを知っている可能性もある。
ただ、エリーゼの出自をセンリツは聞いたことがない。
それが真実なのかどうかもわからないのだ、だからこそ、クラピカはエリーゼと話がしたいのだろう。

「分かったわ。でも、彼女のいる場所は限られた人しか入れないの」
「センリツは入れるのか?」
「もちろん。でも私ともう1人だけ。それから、店に入るときにちょっと大変で、入ってからはルールを守らないと出禁になるから気を付けないといけないわ」

センリツはアーデルの常連だった。
だった、という過去形なのは、ヨークシンの仕事を受けて以来、立ち寄っていなかったからだ。
忙しかったというのが理由で、本当はできれば行きたかったのだ。
いい機会かもしれない、とセンリツは前向きに考えて、クラピカにアーデルの会員証を見せた。

「エリーゼがいるのは、アーデルという音楽喫茶みたいなところよ。ここは会員制で、会員証を持っている人ともう1人しか入店できないの」
「徹底してるな…この裏面がルールか?」
「そう。そのルールを破るとその場で退場になるわ。入店の時は…そうね、やり方を教えるわ」

先ほどの“レディ・スカーレット”ほどにはならないといい、と思いつつ、彼が歌っているところなんて想像がつかないとセンリツが苦笑いしながら思っているのを、クラピカは知らない。


センリツが選んだのは、水曜日の夜。
“赤いリボンの少女”がその日の演目であり、クラピカにも内容は教えておいた。
彼が胡乱気にアーデルへと続く小道に立っていた。

「“赤いリボンの少女”は夜中に子どもを攫いにやってくる悪魔と少女の話よ。この一節は、その悪魔が夜の早い時間に笛を吹きながら子どもを誘う場面。私がフルートを吹いたら、その後“ラミアが現れたぞ”と続いて。失敗すると今日は入店できないわ」

クラピカは眉を顰めながらも、分かった、と答えた。
彼もまた、音楽にはあまり興味がないらしい。
この楽曲の始まりは夜8時から、アーデルはもうバー仕様に変わっているはずだ。
エリーゼには、ヴィヴィアンから連絡を入れてもらったから、この時間でもまだ店にいてくれている。

センリツは一度振り返って広場の時計を確認して、フルートを構えた。
“赤いリボンの少女”の夜8時の演目、“ラミアの飛翔”。
自らの手で子どもを抱くことを許されない悪魔が、寂しさから人間の子どもを誘う一節。
妖艶で、それでいて寂寥を孕んだ音が必要だ。

「“ラミアが現れたぞ”」
「“恐ろしい悪魔!子供を隠せ、窓を閉めろ!”」

小道の傍のアパートの窓がバン、と音を立てて閉められた。
クラピカはその音に驚いて顔を上げる、今までそこには何の気配もなかったのに。

8時になると小道には様々な気配で満ち溢れていた。
慌ただしく動く人々の足音、子どもの泣き声、クローゼットを開け閉めする音。
クラピカはセンリツに教えてもらった“赤いリボンの少女”を思い出した。
ラミアと呼ばれる悪魔は、子どもを抱くことを神から許されない。
子どもを愛する親の悲痛な叫びと、子どもを奪う悪魔から逃げ惑う村人の冷たさ。

「“美しい我が子、我が子、我が子。ああ、私の美しい我が子、宝石のような瞳、シルクのような肌、薔薇のような頬、ビロードのような髪、愛おしい我が子、置いておきたい、わたくしの傍に”」

小道の奥の扉から出てきたのは、クロロの前に立った女、エリーゼだった。
目元まで隠れるヴェールを被ったエリーゼは、悲壮を纏った声で懇願するラミアの一節を歌い切る。

ラミアは子どもを抱くことを許されない、共に暮らすことも。
祈る様に月に伸ばされた両腕は白く、細い。
ラミア自身は何の罪もないというのに、血筋に生まれたというだけで子どもを取り上げられて、その腕に温かな塊すら抱けない呪いの掛かった美しい悪魔。

センリツのフルートが一節すべてを演奏し終えた後で、エリーゼはようやくこちらを向いた。

「こんばんは、センリツ。ようこそ、アーデルへ」

ラミアの悩まし気で切なさに満ちた一節を歌った人間と同一人物は思えないくらいに穏やかで伸びやかな声が、クラピカとセンリツを迎えた。

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