4.
走る際の揺れは揺り籠の中で眠っていた時のことを思い出させた。
生前の記憶を持って生まれたマリは、生後間もない頃の記憶までしっかりと残っている。
ラタンで編まれた揺り籠の中は常に空気が通っていて、シルクのベッドの甘いミルクの香りが漂っていた。
乳母が気まぐれに足で傾けて揺らしてくれていたのを覚えている。
地震の揺れとは違って、安定した安心できる揺れだった。

深い眠りについていたようで、またイルミに起こされたころには、外に出ていた。
木々の間から太陽の木漏れ日が差し込んでいる。

“随分寝てた?”
「そうだね」

眠りについた時は、湿気の多い地下道だったはずだ。
いつの間にか森に辿り着いていて、目の前には大きなプレハブ小屋が立っていた。
時刻はまもなく12時になろうというところ。
奇妙な地鳴りのような音が鳴り響いている以外は、静かなようである。

マリは木の根元からゆっくり腰を浮かせて立ち上がった。
周囲には先ほどよりはずっと少ない数の人が汗だくで立っている。
汗をかいていない人はごく少数のようだ。

「座ったら」

イルミがそういうので、マリはもう一度木の根元に腰かけた。
汗も泥もついていない女に周囲の視線は冷たかった。
自分たちが苦労して通ってきた道を、変人に抱かれて眠りながらに到着したマリに対しての嫉妬や畏怖が混ざった視線だ。
マリはあまり気にしていなかったが、言われたとおりに座った。

まばらにやってくる人を眺めながら、マリは時計を何度か見た。
制限時間があるのだろうか、プレハブ小屋の中央に掲げられた時計は異様な存在感がある。

「や、お2人とも

ぼんやりと秒針を見ていたマリは、血生臭い匂いを漂わせる存在に眉を寄せた。
ちらと彼に血も泥も付着していないようだが、兎に角血の匂いがする。
あまり鼻のいい方ではないマリでも、今までの道中で暴れてきたのだろうことが分かる。

マリは気軽に隣を陣取ってきたヒソカから離れるように後ずさって、距離を取った。
パーソナルスペースを一気に侵害した男が、どうにもマリは好きになれない。
そのマリの思考を察知したらしいイルミが取り持つように間に座って、ようやくマリは落ち着くことができた。

まるで親猫と子猫みたいだ、と笑うヒソカを無視して、マリは長針と短針が重なるその時を待っていた。
制限時間は大抵、キリのいい時間に設定される。
12時になれば、何らかの進展があるだろうとマリは期待していた。
裏切られたらいやだなと思いながらも。

「次の試験内容ってまだ告知されてないの?」
“そうね”
「ふうん。…マリは何をしている人?
“学者”

遥か昔に行われた合コンを思い出す、あの時も早く時間が過ぎろと思っていた。
隣の顔のいいだけの男が散々尋問のようなことをしてきて、うんざりした。
最後に一緒にホテルでもと言われたときには殺意しか芽生えなかったのを、未だに覚えているのが悔しい。
とてもその時と似た気持ちだ、今。

こんなにも時間が過ぎ去るのを願う時は殆どなかった。
いつだって時間は手を伸ばしても過ぎ去るばかりだと言うのに。

「ふうん。君って、変わってるね
“そうかもね”

お前には言われたくない、と言いたくなるのを堪えた。
どうやらヒソカとは相当相性が悪いらしい。
マリはそれでも冷静さを保とうと、苛つく心を抑えるように深く呼吸をした。
それすらも彼に弱みを握られているような錯覚を起こす。

ヒソカはヒソカで、面白い玩具があったものだとウキウキしていた。
大して強そうではないが、受け応えの一つ一つから滲む聡明さやつれない反応が彼の心を擽った。
何より、とにかく深入りをさせないイルミが深入りしているという事実が興味深い。
普通の女に見える、特別美しいわけでもないし、強いわけでもなさそうだ。
虚弱そうな身体の中に何を秘めているのか、固く閉ざされている蕾の花弁を毟って中を確認したくなるような暴力的な好奇心。

それを抑えるように舌なめずりをしたヒソカに、隣のイルミは気づいたが、首を突っ込まないでいた。
普段飄々としていて穏やかなマリがこうも苛ついている姿は新鮮だった。
彼が、これはこれで面白いなあと思い、あえて放っておいているのをマリは知らない。
またヒソカがマリに期待しているのも面白い、鋭い彼の勘が的外れとは言えないものの、悪い意味で期待を裏切る結果を心待ちにしている。
ヒソカが好む強さとマリが持ち合わせている強さは、できることは同じであっても本質が全く違うものだ。
それを知ったヒソカがどんなにガッカリするだろう、イルミはその時が少し楽しみだった。

奇妙な3人組の交錯する思いをよそに、長針と短針がぴったりと合った。

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