4.
恋を自覚してからの紘子は、大して何をするわけでもなかった。
2年の時はクラスが一緒でなかったということも大きな原因だったとは思う。
積極的に橘に話しかけに行くこともなく、昼休みや借りものをするとき以外に1組行くこともなかった。
惰性でテニスのルールを調べてみたり、練習をしている橘の姿を遠目で眺めたりする程度で、実際に試合を見に行くことはなかった。

3年になってようやく、橘と同じクラスになることができた。
そこで、彼から試合があるという話を直接聞いたのだ。

「そういえば、そろそろ中間テストかあ。部停?」
「ああ。うちのは赤点取るような奴がいないだけましだな」
「あー…運動部はそこが大変か」

奇数人数のクラスであるがゆえにできる、1人席が桔平の席だった。
紘子はその斜め右前の席だったので、椅子を半分以上浮かせて彼の席に肘を置いていた。
危ねーぞ、と苦笑いされても、絶妙なバランスが楽しいからそれをやめなかった。
ギシギシ音を立てる椅子を無視して、前の席にいるバスケ部の男子が嘆いているのを思い出した。

テニス部は意外と頭がいいらしい。
橘が成績上位という話は聞かないが、心配されるほどの成績でもないらしい。
英語の教科書にピンクの蛍光ペンで線を引く橘の指先は、手慣れた様子だった。

「それ、ヤマ?」
「勘だけどな」
「当たる?私、英語ダメだから藁にも縋りたい」
「藁よりは縋れるかもしれないな」

やった、と小さくガッツポーズをした拍子に椅子が元に戻った。
素早く机に戻って英語の教科書を持って、もう一度椅子を傾けた。
橘が開いている145ページを開いて、彼のマネをして例文にマーカーを引こうとした。
紘子があっ、と思っている間に橘が黄色の蛍光ペンを差し出した。

素直にそれを受け取って、マーカーを引いていく。
橘が気を遣ってページをめくる手を遅めてくれているのが嬉しかった。

「夏の大会っていつ?」
「テストが終わって2週間後だな」
「そっか。そりゃ大変だ」

聞いたその情報をもとに、紘子はテニス部の公式試合の日にちを調べた。
幸いにも夏休みの初めの方だったから、せっかくだし見に行こうと紘子は手帳に星印を付けてその日を楽しみにしていた。

そうして迎えた試合の日、紘子は初めて見た橘の試合を忘れることができないでいる。
気温30度を超えるような暑い夏の昼下がりだというのに、背筋が凍るような思いをしたのをはっきりと覚えていた。

紘子は周りの女の子たちの様にきゃあきゃあと楽しむことはできなかった。
試合を見ると桔平たちの努力と悔しさがこちらまで伝わってくるようで、苦しいやら悲しいやらで疲れてしまう。
握りしめすぎて血が回らなくなった白い手を見て、もう見に来るのはやめようと思った。
努力もしていない、応援もできない、そんな自分がいてもしょうがいない、苦しくなるだけだから、と。



「廣道、お前この間の試合、見に来てただろ」

試合を見に行った次の夏休みの登校日。
いつも通り友子と昼ご飯を食べようと思っていた紘子に橘はそう声を掛けた。
友子はまだ教室に来ていない、手の中に握っていた携帯が震えているのには気付いていた。
紘子の身体も少し震えたような気がした。

橘は、紘子が来ていたことに気が付いていたらしい。
挨拶くらいして帰るべきだったかな、と紘子は後悔した。

「あーうん。見に行った」

桔平の頬には湿布を張ってある。
朝それを見て、その話題に触れるか、紘子は散々悩んだ。

見に行ったのは立海という神奈川の中学との試合で、橘は1つ年下の相手にボコボコにされていた。
テニスってあんなに怪我をするスポーツだったっけ、と不安になるくらいに怖い試合だった。

「普段はあんなじゃないんだ」
「何が?」
「あんなに怪我をするようなことは滅多にない」

困ったように橘は微笑んだ。
その拍子に頬に張られていたシップに皺が寄るのを、紘子はぼんやりと見ていた。
橘と紘子のいる、窓際の中央列の一角だけが切り離されているかのようだ。
辺りは昼休みらしい雑踏に満ち溢れているはずなのに、桔平の声だけが真っすぐと自分に届くのを、不思議に感じていた。

「分かってるよ」
「ならいいんだが。だいぶ辛そうだったからな。声を掛けようかと思ったんだが」
「声掛けられたら悪化してたかも」
「だよな」

知っている、テニスがあんなに乱暴なスポーツでないことは。
自分が見た試合が偶然にもちょっと危ないものだっただけだということも理解はしている。
そこでなんとなく、その時の恐怖の原因が分かった。
ただ、自分は橘が傷つくのを見ているのがつらかったのだ。
自分が大好きなテニスで傷つけられるなんて、きっと辛いだろうとそう思ったのだ。

分かっていると声を掛けると、橘は困った顔を引っ込めて笑った。
自分が好きなスポーツについて勘違いされるのが嫌だったのかもしれないと紘子は考えた。
それほど、橘はテニスを愛しているんだなとも。
どんなことがあっても、好きなものに対してストイックでい続けている橘が、自分は好きだった。
prev next bkm
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -