2.
一目惚れを信じる人は、一目惚れをしたことがある人だ。
あの瞬間に身体に走った雷撃のような閃きは、間違いなく恋の感覚だったと思う。
それほど劇的に、この人と一緒になると確信した。

「あ、紘子。ご飯食べよ。…桔平くん、椅子、借りてもいい?」
「ああ」

1年の時に同じクラスだった友子に誘われて、初めて1組に入った瞬間。
見慣れた制服で手を振る友子の隣に座っていた男に目を奪われた。
短く刈られた黒髪、ギラギラした獣のような目。
一目、目が合っただけで、電撃が走ったかのように身体が震えた。

いつまでも引き戸の横に立っているわけにもいかないから、手を振る友子の方へと足を動かしたような気がする。
気がすると思うくらいにその時の桔平以外の記憶は曖昧だ。
それは7年という月日が記憶にベールを掛けたからだろう、ただそれでも桔平の姿だけは明瞭に覚えている。

涼やかに細められた彼の目、薄茶色の光彩の揺らめき、目元の小じわ、怪訝そうに寄せられた眉。
部分しか見ることができないくらい、その当初の紘子には余裕がなかった。

今までにない感覚に恐怖や焦燥も感じたが、それ以上の興奮が身体を支配していたような気がする。
震える手を握りしめて、紘子は何事もないかのように振る舞った。
ただ心臓は跳ねまわるし、握った手に冷や汗までかいてきたくらいに緊張した。

「ほら」
「あ、どーも…」

ぎこちなく歩いて椅子に座っている友子の隣に立つと、目の前に男は居た。
近くで見た男は大きく、がっちりとした身体つきをしていた。
それでいて細やかな性格をしているようで、しっかりと椅子を引いて使いやすくしてくれてから席を立って紘子の隣を通り抜けて行った。
彼の動きに乗ってやってきた風は、汗と香水の混ざった匂いがした。
ぎゅっと胸が窄まるような匂いだった。

生まれて初めての状況に、彼がいなくなっても中々席に座ることができなかった。
油の切れたブリキのおもちゃの様に関節は固まり、男子が出て行った教室の扉を見つめるばかりだ。
水筒を探すために鞄を漁り始めた友子は紘子のその様子には気付いておらず、のんびりと先ほどの男子の話をした。

「橘くん、いい人なんだけど見た目が怖いんだもん」
「橘っていうんだ…下の名前は?」
「え?橘桔平くんだけど…紘子知らないの?」

ようやく見つかったらしい水筒を自分の机に乗せた友子が不思議そうに言った。
そこでようやく紘子が未だに立っているのに気づいたらしく、早く座りなよ、と促した。
その声で紘子の身体は自由に動くようになった。
先ほど引いてもらっていた椅子に腰を下ろして、友子の机に持っていたお弁当を乗せた。

「知らない…有名な人?」
「そうだよー。テニスで有名らしいよ」

不動峰は全国区に行けるような強豪の部活はないはずだ。
有名といっても、そこまで話題に上がらなかったのはそのせいだった。
お弁当を食べながら、友子はいかに橘が怖いのかを話していた。
たまに出てくる熊本弁が怖いとか、がっちりしているのが怖いとか、滅茶苦茶な話だ。

紘子は曖昧に相槌だけ打って、ぼんやりと橘の姿を思い出した。
パリッとした雰囲気、まっすぐ前を向いていた目、気さくな笑み。
ちっとも悪い人には見えないし、怖くもなかった。

「あ、ほら見て、橘くん、いつもあそこで練習してるんだよ。そろそろつくんじゃない?」

開けっぱなしの窓から初夏の少し湿った風が頬を撫でた。
その窓の先では、グラウンドの隅っこで壁打ちの練習をしている黒いユニフォームがあった。

隣の建物の影になっている場所で、ユニフォームの色のせいかあまり目立たない。
下級生と思わしき男子たちがラケットを振っている。
降り方の良し悪しは分からないが、一生懸命だなとは思った。

そこに、彼らと同じ黒いジャージを羽織った橘友子ってきた。
彼は素振りをする下級生に、ラケットの構え方を教えているようだった。
そのおかげか下級生がうまく壁打ちができたようで、嬉しそうに橘に笑いかけている。
橘は笑って、バシッと背中を叩いてみせた。

「ふうん。なんであんなとこでやってんの?」
「テニス部って弱小だからさあ、練習場所ないんだよね。女テニに取られてるんだって」
「へえ、大変じゃん」

大変だななんて、適当に答えた。
部活動に対しての紘子の考えはそんなものだった。
自分友子っていないことはうまく想像ができない。

ただ、橘のことが気になるから友子に色々と聞いておいた。
友子は訝し気にしながらも、知っていることをすべて教えてくれた。
熊本から引っ越してきたばかりだということ、廃部寸前だったテニス部を建て直したということ、妹が1つ下の学年のにいること。

「…友子、めっちゃ詳しいじゃん」
「テニス部の桜井くん、おうちが近所でさあ」

あれあれ、あれがテニス部の桜井くん、と言いながら窓から指差した先にいたのは髪をオールバックにしたガラの悪そうな部員だった。
ある程度綺麗系に見られる友子にしては珍しいタイプの知り合いだと、失礼ながら考えてしまった。
友子は気だるげに頑張ってるねえ、と呟いて、飽きたのか机に戻ってしまった。

紘子はそのあと数分、橘の姿を目で追っていたが、友子のお弁当食べないの?という一言で友子の元に戻った。
彼と目が合った時の衝撃は若干薄れて、一時の欲情に似たのかもしれないと思えた。
先ほどの痺れるような響きは、身体の底に沈んでしまったようだった。
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