7.
部活をしているにも関わらず、小石川の成績は良かった。
逆に、大して部活もしていない紘子の成績は下から数えた方がいいくらいのものだった。
特に数学に関しては高校に入る前から、自他が認めるくらいには酷いものだった。
小石川は紘子の数学を中学の時から時々見ていた。

「廣道、公式、覚えとる?」
「…ごめんなさい」
「ええって。とりあえず、今期出てきた公式、全部見返してからやなあ」
「ほんっと、ごめん…。小石川も勉強しなきゃでしょ…」

数学が苦手なことの自覚はあったから、頑張ってノートを取っていた。
公式や先生がテストに出るといったところはちゃんと書きだしてある。
先週、趣味に現を抜かしていた自分を引っぱたきたい気持ちだ。

小石川は夏の大会を控えていて、テストで赤点などもってのほか。
とはいえ、小石川が赤点を取ったという話は一切聞いたことがないし、何よりも彼は地味に成績上位者だった。

申し訳なく思いながら開いたノートの落書きを慌てて隠しながら、目的の公式を探した。
ところどころに角刈りのキャラクターと包帯の巻かれた腕の落書きがあってそのキャラクターたちがテストに出るで!何ですと!と柄に無くテンション高めにコメントしているのは、彼には秘密だった。

「ええねん。金ちゃんよりずっとマシやで!あれを乗り越えてきた身としては、廣道の勉強見るくらい大したことないわ」
「流石にそれはね…うん、そこまでではないと思う」

かなり明るくそういわれたが、流石に遠山くんと一緒にされたくはない。
小石川然り、白石然り、それなりに成績がいい部員はこぞって彼の面倒を見る係になるらしい。
ちなみに小春くんやユウジくんは2人でラブラブ試験対策なる怪しいことをしていたらしい。

小石川には中学時代から少し勉強を見てもらっていた。
昼休みや朝ちょっとの時間に、小石川は優しく数学を教えてくれた。
それでも自分の数学の成績が上がらないのは、自分の才能もあるけれど、彼が気になって頭の中に何も入ってこないからというのもあったと思う。

今も同じ現象が起こっている。
公式を書きながら、ちらと部屋の外を見た。
今日は、高校の改装前の各所点検があるとのことで部活は停止、教室も午後から閉鎖されてしまった。
テスト前だから早く帰って勉強すればいいという先生の言葉に、生徒の数人は嬉しそうな声を上げていたから勉強する人の方が稀なのだと思う、まだテストまで2週間もあるんだから。
閑話休題、そんなわけで場所を追いやられた小石川と紘子は、小石川の家で勉強をしようという話になったのだ。


「公式書き出せたら言ってな。ちょっと飲み物持ってくるわ」
「あ、ありがと。お菓子出しとくね」
「ありがとな」

図書館に行くのは手ではあったけれど、真面目な人は学校の近くの図書館で勉強するだろうし、部員に2人でいるところを見られて囃し立てられるのも嫌だねという話になった。
小石川と紘子は付き合っていて、手も繋いだし、学校でこっそりキスをしたりもした。
だけど、クラスの中ではさっぱりとした男女の友人程度の付き合いしかしていない。
別に2人が付き合っていたと誰かが知ったとしても、きっと誰も興味を示さなかったと思う。
だけど、その時はなんとなく人に知れるのが怖かった。

どうしようかと話しながら通学路を歩いていたら、不意に小石川が握っていた手を強めた。
何だろうと顔を上げると、うちに来るか、と神妙な顔で言いだしたのだ。
その時は別段なんとも思わず、軽くいいの?なんて言っていったけど、友達じゃないんだからと思った瞬間に、背筋に氷を当てられたかのような感覚を覚えた。
それを誤魔化すように、コンビニに寄ろうと言って、小石川の手を引いたのだ。
その時に買った適当なお菓子をテーブルの上に出して、ノートを閉じた。

「お、公式書き出し終わってん?」
「終わったよー。疲れた」
「おし。そしたらいったん休憩したろ」
「やったー!小石川先生ありがと!」

ノートを仕舞って、小石川が持ってきてくれたお茶に手を伸ばした。
小石川は笑って、休憩早すぎやなあ自分、といった。
正直、お互いあまり勉強する気はなかったと思う。

開けっ放しになっている部屋のドアから、涼しい風が吹いてくる。
小石川の部屋は階段の真ん前で、階段の上にある小窓から外の風が吹いてくる。
風通しのいい部屋で、とても気持ちがいい。

「美味しい。紅茶?」
「せや。オカンが好きやねん。今日はおらんから作り置きやけど」
「オシャレなお母さんだね。いいなあ」

窓際に置かれたドライフラワーの入った小瓶だとか、廊下にあるアンティークレースの飾られた額縁だとか玄関にあったフレンチアンティークだとか、小石川のお母さんは物凄くおしゃれみたいだ。
その後、お菓子を食べてからまた少し勉強して、少し話して、勉強しての繰り返しだった。
意外と進みは良かったし、小石川も一緒に勉強ができたと言ってくれた。

夕方5時のチャイムが聞こえた。
近くの道で、小学生たちが騒ぎながら走る声と足音が反響して聞こえた。
廊下の小窓からは夕日が差すようになって、そろそろ帰らなきゃな、と心のどこかで虚ろに考えてはいた。

「…帰らんでええんか?」

もう集中もできなくて、シャープペンシルは適当な線を描くだけだった。
いつの間にか聞こえなくなっていた、小石川のシャープペンシルのノートを走る音。
小学生たちが遠くで近所のおじさんに叱られる声、鳴り止むチャイム、すべてがとにかく遠い。
はっきり聞こえた小石川の声だけが、すぐそばにあるようだった。

ノートを手で押しのけて、小石川はテーブルの向かいからキスをしてきた。
驚いて目を閉じる、その一瞬に見えた小石川の目はテニスをしているときのそれとよく似ていた。
遠くから見ることしかできなかった、野生色をした瞳が目の前にあった。

「帰らんなら、好きにしてええ?」
「…うん、いい」

太ももが疼くように痺れる、とうとう机という壁を壊して、小石川の汗ばんだ肌と自分の肌が触れ合ってた。

部屋のドアが開いていたのは彼の優しさだったと思うけど、それは夕方のチャイムが鳴る少し前に閉じられていた。



前で自転車を漕ぐ小石川は気まずそうに、何度も大丈夫かと声を掛けてくれた。
その度に大丈夫だよといったけど、彼はやっぱりバツが悪そうに、無理せんといて、というばかりだった。

初めてのことで、情けないことに殆ど歩ける状態ではなくなってしまった紘子を小石川は自転車の後ろに乗せて家まで送ってくれることになった。
紘子の家は、小石川の家と学校を挟んだ反対側にあり、普段はバスで通学するくらいの距離だった。
足をひねったという設定を作って、紘子は小石川に堂々と送ってもらう予定だ。

「ね、健二郎って呼んでいい?」
「ええで。むしろ今までなんで苗字で呼び合っとったんやろな、俺ら」
「確かにね」

紘子はそれ以来、小石川のことを健二郎と名前で呼ぶようになった。
お互いに名前で呼び始めるようになってから、2人の仲は自然と恋人同士なんだろうと思われるようになったようだった。
だけど、それは本当に自然と定着して、誰かに突っかかられることもなければ冷や友子れることもなく穏やかな日々を送っていた。

しかし、紘子と小石川の関係はあまりにぼんやりしていた。
手も繋ぐし、キスもしたけれど、なんだか小石川はふんわりしていた。
その理由を、ふんわりと称したその感覚を紘子は長らく、疑問に思っていた。
しかしある時気付いた、彼は紘子を目の前にしても、どこか遠くを見ているようだったのだ。

その遠くがどこなのか、紘子にはなんとなく分かっていた。
小石川がそこに到達するだろうことも、なんとなくわかっていた。
だけど、その時は、今その時の幸せだけを享受していたかったから、見てみぬふりをしていたけれど。
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