12.dear you
リドルくんは、学校を首席で卒業した。
ここが分岐点であることを、私は良く知っている。
そわそわする心を抑えるように、ぎゅっと手に持っていたペンを握りしめた。
先ほどから翻訳用の原本には、黒いインクの染みばかりが増えるばかりで、いつまでたっても英訳は書かれなかった。

リドルくんは8年目の夏も、うちに帰ってきた。
ただいま、という低い声を聞いて、そっと扉を開ける。
そこに立っている立派に育ったリドルくんを見て、感慨深く思う。

「ただいま、名無しさん」
「おかえり、リドルくん」

リドルくんは本当に背が高くなった。
昔は私の胸辺りまでしかなかった身長は優に私を越して、頭一つ分くらい高い位置に顔がある。
でも、家に帰ったらまず手を洗うところも、リビングに入るとすぐお茶を飲むことも、変わっていない。

でも、今日はちょっとだけ違う。
普段は私が淹れているお茶を、今日はリドルくんが淹れた。

「一応、卒業しました」
「うん。卒業おめでとう。主席だって聞いたよ…私がケチ付けるとこなんてないくらい優秀だったもんね」
「はいはい。で、今後の話」

聞くのが怖い。
リドルくんはいたって穏やかに話を進めている。
膝の上の掌は滲んだ汗ごと固く握られている。

もしリドルくんが私に隠れて闇の魔法使いになっていたら、きっとここで殺される。
そうでなくて、リドルくんが全うな青年として育ってくれたとしたら、彼は家を出て独り立ちをする。
私がいなくなるか、リドルくんがいなくなるか。
どちらに転んでも、私にとっては寂しい顛末になる。
後者だったら嬉しいなと思っているけれど、素直に喜べるかが分からない。
そんな自分が嫌になることは、よくあった。

不安を誤魔化すように、お茶を飲むふりをして視線を落とした。

「名無しさん色々考えすぎてて今にも死にそうだから、結論から言う。結婚しよう」
「…!?」

完全に紅茶が気道に入った、普通に今死にそうになった。
今なんて言った?と慌ててリドルを見ると、呆れ顔だった。

え、トム・リドルって愛を知らないみたいな設定だったじゃない。

「前々から思ってたんだけど、本当に名無しさん鈍すぎ。それから、申し訳ないけど、名無しさんのことを母だと思ったことはない。せいぜい、姉だから」
「え、そういう感じ?」
「…まあ僕自身が母っていう存在を知らなかったって言うのはあるけど。捨てられる云々より、支えなきゃって結構前から思ってた」

顔に熱が集まるのを感じる、全くもって恥ずかしい。
じゃあ私は要らない心配をしすぎていたということだったのだろうか。
原作という未来の知識にとらわれすぎて、ちゃんとリドルくんのことを見ていなかったのか。
それはそれで、馬鹿みたいだし、それに、最低だ。

確かに、リドルくんは私に結婚の話とか恋愛の話とか持ち出すことがあった。
それ以前にも、私が孤児院の子と遊んだと言ったら拗ねたこともあったし、私が遊びに行っておいでと言っても極力家を離れなかった。

「実際のところ、グレそうになったこともあったけど。結局名無しさんの顔がチラついて何もできなかったんだよね」
「っうわ…ほんとに?ほんと?」
「嘘みたいな本当の話。こんなはずじゃなかったんだけどな」
「後悔してない?」
「意外とね」

リドルくんははにかみながら、席を立った。
もうの展開は分かってる、泣いてる私にタオルだ、間違いない。

「それから、名無しさんの御所望通り、“安定してまったり過ごせる”仕事に就いたつもり」
「え、あ…うん、ありがと…」

間違いないと思ったが間違ってた。
リドルくん、ハンカチ持ってた、紳士だ。
私の予想は何一つ当たらないことが、よくわかった。

リドルくんの細い指が頬に触れ、優しく涙をぬぐった。
どこで覚えてきたの、こんな技。

ここまでリドルくんの近くにいるのは初めてだ。
そういえば、何度も抱きしめたいと思ったけど実行に移したことはなかったっけ。
びっくりするぐらいドキドキしてるのが、苦しいやら悔しいやらで涙が止まらなかった。

「ずっと好きだった。離すつもりはないけど、どうする?」
「っ、どうって、」
「結婚するでしょ」

好きな人ができたら、離さないって去年聞いた。
あれもきっとこの時のための防衛線。

結婚って私でも出来るんだろうか。
ここに正式な戸籍もなく、生まれた形跡もなく、それこそリドルくんよりも何もない。
リドルくんとこの家と今の職場以外に何もない。
ひとつでも無くなってしまうことが怖くてしょうがなかった。
リドルくんを甘やかしたがったのは、私がリドルくんを離したくなかったから、離れて欲しくなかったからだ。

「こ、今後ともよろしくお願いします…」
「うん、よろしく」

最後に見たのは、リドルくんの満足そうな笑顔だった。
唇に触れる温もりを感じながら、今後の説明が大変そうだなとぼんやりと思った。

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