リドルくんはマグを有効活用してほしいと思っているらしい。
今年の冬はお菓子だけではなく、粉末のココアやコーヒーまで送ってきた。
その光景が大学時代の親からの仕送りに似ていて、どちらが親なのかわからなくなった。
表向き、リドルくんは英国のはずれにある、田舎の学校に行っていることになっている。
そこは戦争の影響が少なく、他国からの物資が運ばれてくるところ、ということになっている。
本当のことを知ってはいるし、現実にそんなところがあるわけないのも知っている。
頭のいいリドルくんが、私がそれに気づいていないとは思えない。
考えてみれば、少し奇妙なことだ。
でもそれでも、私とリドルくんの関係は変わらない。
リドルくんは月に1度はお菓子を送ってくれた。
5年目の夏、16歳になったリドルくんにどう接していいのか、私は悩んだ。
6年生のリドルくんは、秘密の部屋を開け、マートルを殺す。
「名無しさん、買い物行って来るけど」
「あ、うん。分かった…あ、紅茶が切れてたから買ってきて」
「了解。そういえば、今日、仕事の人が来るんだっけ」
「そう。でも別に気にしなくていいからね。向こうの人もリドルくんのことは知ってるから」
今日は仕事の打ち合わせがうちである。
普段、リドルくんがいない時はよくやっているけど、リドルくんが在宅の時にやるのは初めてだ。
ただ、打ち合わせといっても今後の仕事の量だとか、翻訳の内容だとかの確認程度で、あまり大した話はしない。
今までは会社に行ったりもしていたけど、最近情勢がよくないため、女性一人で出歩くのは危ないという配慮から、担当が我が家にやってくるのだ。
担当が来るのは今から一時間後くらいだから、リドルくんと鉢合う可能性は高い。
彼もリドルくんのことを知っているし、むしろちょっと会いたがっているくりだ。
居てくれて何ら問題はない。
「わかった。とりあえず、行ってきます」
「はーい、いってらっしゃい」
リドルくんを玄関で見送って、部屋に戻った。
それにしても、最近は本当に治安が悪い。
私も買い物の時に職場の人についてきてもらうくらいだ。
リドルくん1人で大丈夫か、ちょっと心配ではある。
ただ、最近外にいる男性は徴兵を免れるような人くらいだ。
そういえば、リドルくんにも徴兵の内容が来ていたけど…あれ断っていいんだよね。
一応学生だし、夏の間以外うちにいないからまあ、断るのは楽でいい。
「こんにちはー!名無しさんいますか?」
「あ、はいはいー。結構早かったな…」
リドルくんが買い物に出て40分ほどで担当がやってきた。
そろそろリドルくんも帰ってくるころだから、多分鉢合わせるなあと思いながらも、扉を開けた。
そこには男性の担当、ではない人と担当が一緒に立っていた。
一緒に立っているというと語弊がある。
担当は膝をついて、洋服の首根っこを掴まれて、立たされている。
「は?」
一瞬だった。
担当の様子に目を奪われている隙に、もう1人の男が私を突き飛ばし、その間に、もう1人が部屋の中に入る。
担当を掴んでいた男性が、担当を殴って、こちらに手を伸ばしてきたのだ。
そこでようやく事態を把握した、強盗か何かだ。
「っ、離して!誰かっ…」
その手を振り払って、部屋の奥に逃げ込んだ。
リビングには外に繋がる大きな窓がある、そこからなら出られる。
担当を殴った大柄の男は、私を追いかけてくる。
身なりははやり、悪い。
リビングに入ったが、もう1人の男が見当たらない。
今のうちに窓から外へ逃げて、助けを呼ばないと。
「そうはさせないぜ」
「っ、離して!ここには何もないわよ!」
「ほんとにな。政府とつながってる翻訳家なんだからもっといろいろあると思ってたのによお!」
殴られた、身体が硬直する。
男はそのままソファーに私を縛り付けるように押し倒した。
「へえ、日本人ってのも悪かねえな」
「はあ?その貧相なののどこがいいんだよ」
もう1人がこちらをちらと見て、不機嫌そうにそういい放った。
その方がまだいい、私を押し倒している方の男はかなり本気っぽい目をしていた。
それが怖くて、目を逸らす。
大柄な男は、私の机を物色し始めた。
大切なものは鍵のかかる引き出しにいれている、その鍵は、クローゼットの中のコートの裏ポケットの中だ。
見つかりはしないだろう。
「俺はガキっぽい奴がいいだよ」
「趣味悪いな、おい」
大柄の男は引き出しの戸が開かないことに苛立ったのか手に持っていたハンマーで殴った。
凶器を持っている、担当は無事なんだろうか。
「オイコラ、こっち向け」
「んんっ、」
「ほー、可愛い反応じゃねえか」
背筋が粟立つ、かさついた唇が首元に触れて、涙がにじむ。
気持ち悪い。
その反応ですら相手を喜ばせることになるみたいだから、頑張って涙くらいは堪えたい。
目の前の男は、片手で私の両手首を掴み、もう片方の手でパンツのチャックを下した。
「っなんだてめえ!!」
「おい、何だ!?」
「っ、あ、リド、」
「名無しさんっ」
「リドルくん!危ないから下がって!」
大柄な男が突き飛ばされて、倒れた。
突然のことに、私の上にいた男も飛びのく。
私は呆然として辺りを見渡すだけだ、動けない。
私のところに飛び込んできたのは、リドルくんだった。
そうだ、そういえば、リドルくんが買い物に出ていた。
その後から、担当の人の声も聞こえた。
「警察がもう来るから!」
「っち、おい行くぞ!」
慌てた担当さんの声とバタバタという足音、それからこちらに駆け寄るリドルくん。
「遅くなてごめん、」
「っふ、っ」
「ごめんね」
あの男たちは逃げたのだろう。
リドルくんは私を抱きしめて、あやすように背を撫でてくれた。
大丈夫だから、と囁く声が聞こえる。
その後のことはあまり覚えてない。
その数日後、担当が改めて家に来た。
あの後、リドルくんがものすごく心配してくれて、私は家から一歩も出ることもなく、家事をさせてもくれず、その上勝手に面会謝絶にしていたらしい。
「いや、すごかったっすねえ、名無しさんの息子さん」
「…私あまり覚えていないんですけど、あの後どうなったんですか?」
「リドルくんが家に帰ってきて、すぐに僕を見つけたんですよ。で、僕をひっぱたいて起こして、警察呼んできてくれって頼んで。呼んできて帰ってきたら、彼、一回りの大きい強盗の男を1人のしてたんですから」
いやあ、ホント頼りになる子ですねえ、と笑っている担当の後ろでばつが悪そうな顔をしているリドルくんが見えた。
私の言いたいことはよくわかっているようだ。
「頼りになる子ですけどね…お願いだから無茶はよしてよ…」
「終わりよければすべてよしってことにしようよ」
「今のところはね。次はないからね」
「でも名無しさんも、相手を確認してから鍵を開けること。そういうところ、抜けてるのも問題だから」
「はい…」
しっかりしてますねえ、とクッキーをかじりながら担当がリドルくんを見た。
マイペースな担当は、とんとん、と書類をまとめて席を立った。
「あの強盗、名無しさんが一人暮らしの女性だと思って襲ってきたらしいですから…本当に気を付けてくださいね。次から僕ら原稿は取りに来ますが、必ず社名と名前、それから名無しさんの名前をフルネームで言うようにしますので」
「ありがとうございます。以後、気を付けますね…」
どうやら、あの強盗はこの辺りの女性だけの家に押し入るという犯行を繰り返していたらしい。
殺人も犯していたということだったので、何も取られず、されなかったのは幸運なことだと警察にも話されたのだ。
リドルくんが帰ってきてくれなかったらと思うと、ぞっとする。
学校が始まったら私は一人暮らしになるわけだし、警戒心をもっと持たなければならない。
しっかりしないと、ときゅっと手を握った。
私が昔にいた日本とは全く違うのだから、それを自覚して行動しなくては。
握りしめた手を覆うように、リドルくんの手が添えられた。
びっくりして彼を見ると、彼は酷く険しい顔をしていた。
その顔を見た時、今回の一件で、リドルくんのマグル嫌いが悪化している可能性が脳裏をかすめた。
リドルくんがこの家で関わるマグルは、私と会社の担当くらいなもので、ああいった類の危ない人はあまりいなかった。
「名無しさん?」
「…ううん、何でもない。気を付けるから、大丈夫」
じわ、と不安がこみ上げてくる。
私が気を付けていればこうはならなかった?ちょっとした行動がリドルくんの未来を変えるかもしれない。
それも気を付けていかないと。
心配そうにこちらを見たリドルくんに微笑みかけて、私は緩みかけた手をもう一度握りしめた。