05.開かれた本
朝練が終わった後のことだ。
俺はいつも通り、更衣室の鍵を職員室に届けに行った。
職員室はB棟の2階にある。
一軍が練習をする第一体育館からそこに行くためには、1年と2年の教室が入っているA棟から2階の渡り廊下を渡っていくのが最も楽なルートだ。
第一体育館は2階建てで、その二階部分がA棟2階と渡り廊下でつながっている。
A棟にある自分の教室に荷物だけを置いて、鍵だけ持って職員室に行くことができる。

ふと、隣の二軍の先輩を見て思い出したのだ。
二軍のいる第二体育館はコンクリートの三和土でB棟1階と繋がっている。
図書室は、B棟の1階隅にある。

朝に、苗字さんがいるとは限らない。
むしろ図書室が実は朝も開いているということを知っている人はほとんどいない。
B棟1階は職員玄関と図書室くらいしか主要な教室がないため、大抵の生徒は朝にそこを通ることはない。
図書室側も、朝に開けている理由は授業前の教師のためであったり、部活動で閉館時間に間に合わない生徒のためだったりで開館しているに過ぎないから、大体的に朝も開館していることを公表しているわけではない。
苗字さんがいない確立のほうが高い。

だというのに、俺はわざわざ第二体育館を通って図書室の前に行くのだ。
図書室にはほとんど人がおらず、司書の先生がパソコンに向かっているのみだった。
鞄から昨日結局最後まで読まずに鞄に仕舞った本を取り出す。
司書の先生は扉の空いた音で、ちらとこちらを見た。

「あら、君昨日はありがとうね」
「いえ…」

司書の先生は、俺の顔を見てそう言った。
その件に関しては、むしろ俺がお礼を言いたいくらいだった。
先生のおかげで苗字さんと話ができました、本当にありがとうございます。

本の返却手続きをしている先生が、ふと、ああそうだとつぶやいた。

「君、苗字さんさんと仲はいいの?」
「いえ…隣のクラスですが」
「あら、ならいいわね。これ、昨日彼女が忘れていったものなの、届けてあげてくれる?」

ああ、司書の先生、なんていい仕事をしてくれるんですか。
はい、と手渡されたのは図書室の本だった。
裏表紙の裏にある貸出票をみると、綺麗な字で苗字さん名前さんと書かれていた。
どうやら、あのあと忘れて行ってしまったらしい。

俺は自分の本と引き換えに、苗字さんの本を鞄に仕舞って図書室を出た。
苗字さんの借りていた本は、純文学ではなく、俺が持って居たのと同じような軽すぎず重すぎない最近の本だった。


「ああ、図書室に忘れてたんだ。わざわざありがと」
「いや、ついでだったから。こちらこそ昨日は手伝ってくれてありがとう」

いつ行こうか迷ったが、できる限り時間があるときがいいと思った。
時間があれば、少し話が長引いても大丈夫だと思ったから。
そう考えて、結局昼休みに苗字さんの元へ行った。
昼休みが始まって20分ほどした頃だった、そのくらいならちょうど昼食を摂り終えているだろうという考えだった。

その考えは当たっていて、苗字さんは机の上の弁当を片付けている最中だった。
苗字さんに本を手渡すと、少しだけ驚いたように俺を見た。
どうして俺が持って居るのかということが気になったのだろう。

苗字さんは受け取った本を、そのまま鞄に仕舞った。
…いや、これだけじゃだめだ。

「その本」
「何?」
「その本、面白いのか」

苗字さんは不審そうにこちらを仰ぎ見た。
不自然だっただろうか。
苗字さんは少しだけ考え込むように視線を落として、また俺を仰ぎ見る。

「まあまあ。赤司くんがこういうの好きかはわからないけど」
「どんな内容なんだ?」
「…まあ、とりあえず、座ったら?隣、今日は休みだから」
「っああ、すまない」

苗字さんは苦笑して、隣の席の椅子を引いた。
俺は苗字さんの表情の変化に驚いていて、すぐに反応することができなかった。
普段、飄々としていて滅多に表情を崩さない苗字さんが、こうもあっさりと笑ってくれるとは。
いや、苦笑いだから笑みとは違うが、それでも普段とは全く違う雰囲気だ。

苗字さんは鞄に仕舞った本をわざわざもう一度取り出して、ぱらぱらとめくった。

「返却期限今日なんだから手続しちゃってよかったんだけど、これ」
「ああ、そうだったのか」
「読んだの、少し前だから。ちょっと内容が怪しい」

苗字さんの話し方は、少し独特だ。
話の内容が少し飛ぶ。
きっと苗字さんの頭の中では、内容がまとまっているのだろうが、たぶん口数がそれについていけていない。
まあそれでも慣れれば大したことはないだろう。

「この本、○○って人の本なんだけど…軽すぎず重すぎないから、読みやすい」
「ああ…俺も読んだことあるよ、その人の本」

苗字さんの借りていた本は、俺が今日返した本と同じ作者だった。
幸運な偶然である。
苗字さんは驚いたように目を見開いた、意外だったらしい。

「純文学とか読んでるイメージだった」
「俺もだよ」

俺たちはお互いにお互いを知らなかったわけだ。
お互いに純文学を読むような近寄りがたい人だと思いこんでいた。
意外と苗字さんは軽い読みものもするし、話しかけてみればきちんとお喋りに乗じてくれる。

昼休みはまだあと30分はある。
苗字さんとこの作者の話で盛り上がれるかもしれない。
俺はこの作者のことをあまり知らないが、苗字さんは結構知っているらしい。
シリーズものも読んだと話してくれた。
俺も今度読もう。

苗字さんの話し方はちょっとぶっきらぼうだった。
俺の周囲の人間にたとえると、虹村さんみたいな。
淡白で、まるで興味がないような感じを醸し出しているが、その反面で俺の質問に丁寧に答えてくれるところだとか、逆に俺に話を振るだとか、そういうところで冷たい人じゃないのだとわかる。

話の途中で、時々、髪を弄ったり指を絡ませたりするのは、まだ俺と話すのに慣れていないからだろう。
彼女のしなやかな指が、黒い髪を巻き付けるそのしぐさも、何とも言えず好きだった。
prev next bkm
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -