03.青い風
これではだめだ。
そう思ったのは、苗字さんに話しかけた次の時間のことだった。
先がない。
話が全く膨らまない、これじゃあ意味がない。

数学教師の数学に全く関係のない下らない大学時代の話を右から左に流しながら、俺は考えた。
俺がしたかったのは、苗字さんの声を聞くことじゃない。
いや、聞きたかったけど。

そうじゃなくて、もっと苗字さんと話がしたかったのだ。
それこそ、部活の友人とするように、自然に。
そうしてもっと苗字さんのことを知りたいと、そう思っていた。

だが、そのためにはもっと大きな話題が必要だ。
例えば、共通の友人の話をするだとか、委員会だとか、部活だとか…。

「赤司、聞いてたか?」
「…はい」
「じゃあ前でて、設問2解いてくれ。で、倉間、お前が…」

全く聞いていなかった。
いつの間にか黒板には設問が3問書かれていた。
俺はそれをノートに写す暇もなく、黒板に向かう。
まあ、その場で解いてしまえばいいから問題ない。
ノートに書くのは、ほかの設問の解説をしているときでいいだろう。

それよりも、苗字さんとの話題だ。
…勉強の話はどうだろうか。
確か苗字さんの成績は上位…勉強には困っていないかもしれない。
というか、苗字さんが勉強を教えてくれと言ってくるようなシチュエーションなんてないだろう。
まさか俺が教えてくれというわけにもいかない。
当然だと思っていた学年トップが非常に憎たらしく思えた。

教師は俺が解いた設問2に関して解説をしている。
先ほどのように集中していないのがばれて声をかけられるのが嫌だから、教科書をぺらぺらとめくって見せた。
…そういえば、苗字さんはよく本を読んでいる。
初めて苗字さんを見た時も、図書室で本を読んでいる姿だった。
この前、黒子を呼び出したときもだ。

あの細い指が捲るページにはどんな内容の文が書かれているのだろう。
あの小さな手に収まる文庫本はどんなものなのだろう。
そうだ、今度はそれについて聞けばいい。
もしかしたら、いまでも昼休みは図書室にいるかもしれない。

そう思うと、胸が躍るような気持ちになった。
少し退屈で、眠気があった数学の授業も苗字さんにどうやって話しかけるのか考えているとあっという間だった。


あっという間だったというのに、ついていない。
4時間目の国語の授業の終わりに、俺は担任に呼び止められた。
普段からこういうことはあったが、この時ほど憎たらしく思ったことはない。
内容は、図書準備室の整理に行ってくれないかということだった。
クラスで一名、代表を出さなければならないのを忘れていたらしい。

今日の昼休みなんだが…すまない、頼めるか、と聞くくらいなら頼まないでほしい。
教室の生徒の多くが購買に行ってしまっていたり、他のクラスに行ってしまっている今、担任が自信を持って頼めるのは俺くらいだったのだろう。

「わかりました」

非常に腹立たしい。
しかし、断る理由が見つからなかった。
部活の集まりが今日ないのは、おそらく顧問からも聞いて居るだろう。

俺は仕方なく、軽く昼食を摂ってから、図書準備室に向かった。
大体、伝達をミスする教師など言語道断。
社会人だというのに報告ができないのは大問題だ。
そういう点で、教師は社会性が足りていないのではないかと思う。

準備室につくと、そこにはまだ図書館司書の先生しかいなかった。
どうやら他の生徒はまだ一人としてきていないらしい。

「あら…まだあなたしか来てないのよ…まったくもう」

怒りたいのはこちらも同じである。
しかし、図書館司書の先生に怒っても仕方がないので、何をすればいいのか聞いて、さっさと仕事始めた。
図書室はすぐ隣だ、早くに終われば苗字さんと話ができるかもしれない。

司書の先生はしばらく指示を出してくれていたが、ある程度仕事内容がわかってきたあたりで図書室に戻ってしまった。
俺は一人黙々と仕事を進める…下手に誰かがいるよりもこのほうが早く終わりそうな気がしてきた。

作業をしていると、先ほど席をはずした先生が帰ってきた。

「赤司くん、この子手伝ってくれるみたいだから一緒にやりなさい」
「…あ、」
「苗字さん…」

司書の先生、本当にありがとうございます。
どうやら司書の先生は図書室にいた暇人、苗字さんを助っ人として連れてきてくれたらしい。
苗字さんは俺の姿を見ると、少しだけ驚いたような顔をした。
しかしそれは一瞬で、すぐにいつもの無表情に戻ってしまった。
少し残念ではある。

先生は苗字さんにお願いね、とだけ声をかけて、また図書室に戻っていった。
本当にいい仕事をしてくださる先生である。
俺とともに残された苗字さんは、軽く辺りを見渡して、少しため息をつきながらも、長い黒髪を作業の邪魔にならないように軽く結い上げた。
そのような髪型も、どこか新鮮で目を奪われる。
肘まで捲られた長袖のワイシャツの袖から見える傷一つない柔らかそうな腕が、重そうな辞書を抱えようとする。

「重いものは俺がやるよ」
「そう?ありがとう」
「苗字さんはこっちの文庫本のほうを頼む」
「わかった」

苗字さんの腕に抱かれていた辞書を、丁寧に奪い取った。
苗字さんはそれを気にすることもなく、言われた通り文庫本へと手を伸ばす。
面倒事は嫌いだとばかり思っていたが、意外と任されれば積極的にこなすらしい。

換気のために開けられた窓からは、早くもグラウンドに出て遊んでいる生徒たちに賑やかな声とともに、軽やかな風が通っていく。
そのたびに、苗字さんの前髪が揺れた。

「こっち、終わったけど」
「ああ、悪い。こちらがまだ終わっていないから…俺が上にあげるから、苗字さんは並べ直してもらえるか」
「うん」

ぼんやりしていたら、こちらの仕事が遅れてしまっていた。
申し訳なさと、恥ずかしさで彼女の顔を見ることができない。
苗字さんは淡々と仕事をこなしていく。

俺が床の辞書を持ちあげるとき、苗字さんのスカートが視界の端で揺れるのがとても気になった。
そして、そのスカートから覗く華奢な足は程よく――、って何を考えているんだ俺は。
青峰みたいな考えに嫌気がさし、慌てて最後の辞書を本棚に移した。
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