16.オアシス
全中を目前にして、バスケ部は練習に追われていた。
バスケ部のミーティングが増えて、昼に苗字さんと話す機会は徐々に減っている。
バスケは楽しいし、価値を追い求めるのもいい。
だが、どこか何かが乾いていくような、そんな気もしていた。

「赤司くん、赤司くん…?」
「ああ、すまない。なんだ、桃井」
「あ、うん。むっくんのことなんだけどね…」

青峰の好調は異常だった。
誰も彼について行けず、苛立ちが募っているらしい。
青峰自身も辛いだろうが、傍にいる桃井や黒子も辛いのだろう。
最近、桃井の笑顔も見なくなってしまった。

部内の雰囲気はどこか殺伐としている。
去年はこんなではなかった、緊張感はあったが、それでも誰かしら笑えていた。
俺のやり方がまずいのか、それとも方向性が悪いのか。

そして、畳みかけるように紫原の好調。
もともと気まぐれで、バスケに対する好意も薄い紫原だ、もし青峰のようになったら練習には来なくなるだろう。
そんなことになれば、チームプレイができなくなる。

「やっぱり、むっくんもすごく成長してる。…それが、ちょっと怖くて」
「やはりな…わかった、ありがとう。もう少し見ていてくれるか」
「うん。ねえ、赤司くん、大丈夫だよね…?」
「何がだ?」
「また、みんな楽しくバスケできるよね?」

不安気な桃井が、こちらを見上げる。
湿った瞳が俺に縋るように見える。

正直、このチームがどうなるのかは少し俺も不安だった。
だけど、答えは大丈夫、だ。
これ以上桃井を不安がらせるのもよくない。
彼女がチームの雰囲気をいつも柔らかくしてくれているのも知っている。

きっとここが分岐点だ。
きっと何事に関しても、進む先で大きな困難がある。
それをどうやって乗り越えていくか、それが重要だ。

「ああ、できる。そうなるように、努力しよう」
「…うん!ありがとう、赤司くん!」

虹村さんがいなくなった今、俺がしっかりしなければならない。
青峰や紫原が急成長したというなら、それについて行けばいい。
そうすれば、青峰は好敵手がいないと嘆くこともなくなるし、紫原も楽しめるだろう。
そのためには、誰よりも俺が努力しなければならない。
勝つためにはそれが一番いい。

手に持っていたボールを、ゴールに潜らせる。
バッシュの甲高い音やドリブルの音が、やたら大きく聞こえた。

「お疲れ様でした、赤司くん」
「ああ、お疲れ」

今日は父が帰宅する日だった。
あの人はとても忙しい人だから、家に帰る回数はそう多くない。
だから、父が帰る日は必ず俺も早く帰宅して夕食を共に摂るというのが、我が家のしきたりだった。

急いで帰り支度をして、帰路についた。
正直、少し気が重い。
父はバスケをよく思っていない…もともと、母が懇願したから仕方なくやらせているという状態だ。

バスケに傾倒しすぎて、学問に支障をきたせば、父が何というかは想像にたやすい。

「文武両道、あらゆる面で秀でてこそ、赤司家の人間だ」

もう、聞き慣れた言葉だ。
自分の中に刷り込まれた言葉、そしてこの答えも俺の中に刷り込まれている。
夕食に食べたものの味は、ほとんどしなかった。

部屋に戻って、勉強でもしようかと思ったが身体が重い。
青峰や紫原が好調であればあるほど、自分が不調になっているような気がする。
無論それは錯覚だろう、しかしその錯覚は重大なことだ。
置いて行かれている、その感覚が日に日に大きくなる。
こんなことは、初めてだった。

「疲れた…」

いつも通りの練習、学校のはずなのに、やたらに疲れている。
ベッドに仰向けになって、顔を腕で覆った。
照明の灯りが目に刺さるようで、眩しすぎた。

明日の予習も今日の復習も終わっていない。
動かなくてはならないのはわかっているのに、動けずにいる。

視界の端で、緑のランプがチカチカと光っている。
腕とベッドの隙間から見えたのは、携帯だった。
どうやらメールが来ているらしい。
気だるく重い腕を伸ばして、携帯を取った。

“赤司くん生きてる?”
「…エスパーか、苗字さんは」

メールの相手は苗字さんだった。
ふざけた様な内容だが、全く持って的を射ている。
なぜ彼女がこのメールを送ってきたのかはわからない、ただ単に何をしているかを問いかけているだけなのかもしれない。
だが、今の俺には身に染みるメールだった。

生きている、と返信すると、ならよかったとすぐに返信が来た。
苗字さんは意外と返信が早い…遅いときは本当に遅いのだが、早いときは本当に早い。

“明日の英語の宿題、問3が分からないんだけど、和訳できた?”
「英語…」

そういえば、宿題が出ていたな。
まだ家に帰ってきて一度も鞄を開けていない。
慌てて鞄を開けて、宿題のプリントを取り出した。
ざっと目を通して、軽く和訳して、その内容をメールに載せた。

そこでふと、先ほどまでベッドから起き上がるのも辛かったのを思い出した。
一度起き上がってみれば、意外と動けるものだ。
まったくもって単純な身体をしている。
苦笑交じりに、鞄の中から英語の教科書とノートを取り出した。
予習と復習をしよう、ついでに苗字さんにも教えよう。

“あー、なるほど。ありがとう。ところで、明日の例文なんだけど…”
“それくらいは自分で努力しようか”
“…解けたらまたメールする”

きっと今、苗字さんは一生懸命に例文を和訳しているのだろう。
そして、数分後には時系列がめちゃくちゃな和訳文を送ってくるに違いない。
それを思うと、とても温かな気持ちになる。

苗字さんとのメールのやり取りが、乾いた大地に水を落とすように優しくしみわたっていくようだった。

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