01.初恋が恋しい
とても静かな子だと思った。
森の奥の澄み切った湖のような、神聖さと静寂を孕んだ子だと。
深い黒の髪には、水で濡らしたように艶があり、伏せられた瞳は長い睫で彩られていた。
彼女を図書室の隅で見つけた時、まるで誰も見つけられなかった深窓の人を見つけた気分になった。

俺は本を読むふりをして、少し遠くの席から彼女を盗み見るようになった。
声をかければよかったけれど、なんだかそれすらも気恥ずかしかった。
思えば、あれが俺の初恋だったのだと思う。

「でも、初恋って叶わない言うよな」
「そんなことないもん!」

なぜ初恋の話をしているのかといえば、目の前の桃井が原因である。
中学生の女子といえば、そういった色恋沙汰の話が好きだ。
今回も、桃井の気まぐれでそう言った話題が上がっていたのだ。
それで思い出したのが、小学校3年生の時の彼女である。

彼女の名前を、彼女の口から利くことは、結局なかった。
俺は自分で思っているよりも臆病で、彼女に声をかけることができなかったからである。
人伝に聞き、彼女の名前が苗字さん名前さんであるということが判明したくらいだ。
それ以上のことは知らなかった。
何より、4年生になると彼女はぱったり姿を消してしまったのだ。
引っ越したということだけ、隣のクラスのやつから聞いて、とても後悔したのを覚えている。

「てっ、テツ君はそういうのあった…?」
「初恋、ですか?」
「そう!」
「…幼稚園の頃ですかね、先生が好きでした」
「あー、あるあるっすね!」

幼稚園の先生が初恋の相手、というのはよくある話らしい。
あるある、と答えた黄瀬もそうらしい。
それがいわゆる恋であるのかは、一目瞭然じゃないのか。
初恋とはそんなレベルのものでいいのだろうか。
気になる点はいくつかあるが、そもそも恋の定義すら個人差があるのだから、こうなるのは当たり前なのかもしれない。

「うーん、分からないこともないけど…男の子って結構その傾向あるの?」
「大人のお姉さんが好きになるときがあんだよ、男には」
「大ちゃんがそれいうと、すごくいかがわしい…」
「あ?」

桃井のいうことは、確かだとだけ思った。

退屈になってきたらしい紫原が席を立った。
恐らくドリンクバーに向かうのだろう。
俺もそれに倣って席を立った。
この件に関して言及されるのは、あまり好ましくない。

彼らの初恋のレベルが幼稚園の先生だというなら、俺のあれはかなり生々しく、また桃井を喜ばせることだろう。
そうなるのは、少し厄介だと思った。

「赤ちんは初恋とかないのー?」
「…紫原からそれを聞かれるとは思っても見なかったな」
「だって、超聞かれたくなさそうだったからさー」

ドリンクバーで大しておいしくもないだろうコーヒーが抽出されるのを待っていると、紫原にそう問いかけられた。
まさか紫原に言われると思っても見なかったので驚いた。
そして、自分がどれだけこの話題を避けようとしていたのか、どれだけそれが相手に伝わってしまうような稚拙な隠し方をしていたのかを知った。

答えあぐねていると、紫原は興味なさそうにまあいいけど、と諦めた。
紫原でよかった、彼は元より他人に興味関心が薄い。

「でもさ、もしかして、初恋の相手に会ってるとかかなーって思って」

しかし、紫原は変なところで鋭い。
紫原のいう通り、俺は苗字さん名前さんにこの中学で再会した。
そして間もなく1年が経とうとしているが、一度も話しかけたことがない。
そこが今、目下の悩みなのである。
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