12.疾走する心
午後になり、体育祭も終盤。
グラウンドに向かう列の中に、長い黒髪を見つけた。
黒のソックスに、シンプルなワンポイントが付いたヘアゴム。

「苗字さん、もう行くのか?」
「うん。もう少ししたら混みあうだろうし」
「俺も行く」

苗字さんはゆっくりと階段を降りて、日陰に身を隠した。
グラウンドではまだ前の騎馬戦の片づけをしている。
生徒たちは皆引き払っていて、委員だけが忙しなく動き回っていた。

苗字さんはそのグラウンドをじっと見ていた。
まだ暑そうだ。

「それにしても、苗字さんが100m走に出るなんて意外だな」
「普通は運動部がでるよね」
「ああ…立候補したのか?」
「まさか。100m走の早さと他競技との兼ね合わせでこうなっただけ」

さすがに階段の上り下りの回数で決めたわけではないらしい。
となると、苗字さんはそれなりに足が速いことになる。
苗字さんが走る姿はあまり想像できない。
いつもしゃんと背筋を伸ばして座っているところしか見ていないから。

アナウンスが入ると、ぞろぞろと生徒たちが降りてきた。
俺たちはその人ごみに紛れて、分かれた。

「お、赤司じゃんか。これ、バスケ部ほとんど出場してんな」
「黒子以外はな」
「テツは無理だろうなー」

言われた順番通りに並ぶと、隣に青峰がいた。
青峰曰く、先ほど黄瀬と紫原を見たという。
俺は少し前に緑間から推薦されて断れなかったと愚痴られたので、確かに黒子を除いた全員が出ているらしい。

100m走は女子が先に走るので、男子は待機である。
女子の列を見ると、陸上部の短距離担当だとかバスケ部、バレー部と運動部が揃っている。
ただ、中には運動部ではなさそうな肌の白い子が数名。
苗字さんもその中のひとりだった。
陸上部の女子がストレッチをしている横で、つまらなそうに体育座りをしている。

「おー、陸部の女子エースに女バレのレギュラー、女バスの部長。気合入ってんなあ」
「これじゃあ部活対抗リレーとそう変わらないな」

確かにな、と青峰は女子のほうに視線をやったまま答えた。
これだけ運動部が揃っていると、そうでない生徒は大変だ。
クラスの順位が掛かっているだけに、プレッシャーもあるだろう。

「でも中には運動なんて全然しなさそうなのもいるよな。ダークホース的な感じで」
「ダークホースになりえるかはわからないが」
「でも面白そうだぜ」

青峰は楽しそうにそう言って、レーンを見ていた。
第一走は陸上部と女バス、見たことはないが運動部のような生徒2人のようだ。
みたところ、苗字さんは3走くらいか。

俺としては、そのダークホースたる苗字さんの走りに期待しているが、隠しておく。
あまり青峰に目を付けられたくない。

陸上部と女バスの戦いは、陸上部が勝した。
その次は女バレとソフトボール部、それから運動部ではなさそうな生徒が2人。
運動部でない生徒はやはり歯が立たずに、3位4位に収まった。
仕方名のないことだ、クラスメイトもそれは理解していることだろう。

「うわ、あの女子可哀想だな」
「…ああ、より取り見取りだな」

第三走は、先ほどストレッチしていた陸部とソフト部、女バスとより取り見取りである。
皆揃ってショートカットなので、ロングヘアの苗字さんは目立つ。
特に際立って白い肌が浮いて見えた。

苗字さんは周囲の視線を気にすることなく、ただ前を見据えている。
緊張している様子もなく、ただ自然な様子だ。
普段と同じ、涼しい顔をしている。
額の赤い鉢巻が実に似合わないが、それ以外はいつも通りだった。

バン、と空砲の音がしたと同時に、苗字さんは動きだした。
遅れて、長い髪が靡く。

「マジか…はえーな、あの女子」
「本当にダークホースだったな」

勝負は一瞬だった。
スタートダッシュは陸部に負けず劣らず綺麗に決めて、2番目に躍り出た苗字さんはそのまま2位をキープしたままゴールした。
後ろから追いかけてくるソフト部や女バスの生徒は、確かにそんなに早いほうではなかった。
だがそれでも、無名の苗字さんがこのメンバーの中で2位をとったことはすごいことだ。

「ってか今の子、誰だ?美人だったよな?俺の目が腐ってなけりゃ、めっちゃ美人のように見えたんだが」
「安心しろ、田代、お前の目は腐ってない。…青峰、あの子知ってるか?」
「なんで俺に聞くんだよ、知らねーよ」

前に座っていたサッカー部の田代と野球部の山室が興奮した様子でこちらを振り返った。
殺意しか芽生えない。
苗字さんは目立たないだけで、美人である。
今まで知りもしないのに、こういう時にこぞって出てくる男どもは何なんだ。

青峰も呆れた様子で返答した。
山室と田代は俺のほうをちらと見たが、何も言わずに前を向いた。
知っていても教えるつもりはない。

「確かに美人だけど、胸が小さすぎだろ」
「お前は本当にそこしか見てないんだな」

走っても揺れないってことはC以下だぞ?と真顔で言われた。
青峰の馬鹿は今に始まったことではないので無視しておく。
なぜ胸でしか女子を見られないんだ、コイツは。
まあ今回に関しては幸いなことだが。

「馬鹿野郎、今の子は足が最高なんだよ」
「脚フェチかよ、田代」
「青峰よりよっぽどましだっての!あの足の曲線めっちゃ理想的じゃねーか!」
「お前ら、さっさと進め」

田代が唐突に振り返って主張しだした。
確かに田代の目は青峰より確かかもしれない。
苗字さんの足の曲線はバランスよくついた筋肉と姿勢によってもたらされるものだ。
内またになったりしてO脚の女子が多い中、苗字さんの足はかなり理想的ではある。
それが分かるとは田代の目は悪くない。
だが、今回ばかりは万死に値する。

進みだした列を乱している田代の肩を結構強めに叩いた。
彼が驚いたようにこちらを見たが、俺は無視した。
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