10.君の“好きな人”
椅子に座り、前かがみになっている。
長い髪がカーテンのように顔から腹のあたりまでを覆い隠している。
若干のホラー要素があるような気がしていた。
日陰というのも、さらに恐ろしさを増している。

「苗字さん?」
「ああ、赤司くん。暑いね」
「暑いけど…ここはまだいいな」
「でしょ?お気に入りよ」

初夏の太陽は容赦なくグラウンドを照らしている。

帝光中学の体育祭は盛大に行われる。
父母までしっかりと参加をするため、普段使っている学校のグラウンドでは敷地面積が足りないため、外部のグラウンドを貸し切って行うのが通例である。
今年もその例に準じて、外部のグラウンドにて体育祭が行われている。

外競技をするために作られたグラウンドは、観客席以外に屋根がついていない。
しかも、設計上の問題なのか意図的にやったのかは知らないが、屋根によってできる影は観客席の半分程度だ。
その影ができる観客席は言うまでもなく、保護者席なのである。
生徒はもちろん、日の照り付ける観客席に座ることとなる。

苗字さんは生徒の観客席の中の、放送室の手前の席を陣取っていた。
確かにここなら建物の影になっているから涼しい。
ただし、グラウンドはほとんど見えない。
そのため生徒はまばらで、あいた席に荷物だけが置かれている状態だった。

「赤司くんは休憩?」
「ああ」
「暑いからね」

苗字さんは椅子に座って、足に日焼け止めクリームを塗っていたらしい。
自分の座っている席の隣に置いてあった日焼け止めクリームを足元に置いて、席を開けてくれた。
黒いハイソックスを踝のあたりまで下して、マッサージするようにクリームを塗っていく。
女子は日焼けに敏感だ、桃井も先ほど塗っていた。

「赤司くん、白いよね」
「普段は中部だから日焼けはないし。今日は日焼け止め、塗ってる」
「おお、女子力高い」
「女子力って…」

あまり女子力が高いといわれても嬉しくはない。
苗字さんは両足に日焼け止めを塗り終えたらしく、長い髪を軽く一つに結った。
白いうなじはお預けらしい。

下のグラウンドでは綱引きが行われている。
確か紫原がこれに出ているらしい。

「苗字さんは何に出るんだ?」
「借り物競争と100m走」
「へえ、100m走出るのか」

100m走は運動部が多く出る競技だ。
苗字さんが出るとは意外だった。

苗字さんは目を細くして、グラウンドのほうを見た。
ここからグラウンドは見えない。
ここは観客席の上のほうだが放送室がある関係上、他の席よりも低く設定されている。
それでも苗字さんは、ちらとでもグランドを見ようとしているらしい。
しかし、それも少しして諦めた。
鞄の中をまさぐって、水筒とプログラムを取り出した。

「プログラム的に、楽なのよ」
「…ああ、最初と最後」
「そ。開会式で上に上がらなくて済む、閉会式のために下に降りることもない」
「なるほど、賢いな」
「本当にそう思ってる?」

苗字さんは取り出したプログラムを開いて、指さして見せた。
形のいい爪が指す先には、借り物競争。
そして、その次に、そのずっと下にある100m走。
それらは開会式と閉会式の前後にあった。

確かに賢いが、そんな理由で競技を決める人も珍しい。
苦笑して苗字さんを見ると、少しだけ不機嫌そうにそう言った。
別に呆れているわけではない。

「思っているよ。合理的だ」
「ふうん…まあいいけど」
「そういえば、苗字さんの借り物は何だったんだ?」

借り物競争には黒子が出ていた。
彼は借り物を借りに行ったら誰にも気づいてもらえず、しかも持っている人と持っていない人に分かれるものだったので何度か聞きに行く羽目になり、そのたびに驚かれて時間がかかったらしい。
黒子の借り物は「あんぱん(こしあん)」…難易度的には相当高いように思えた。

ただ、他の借り物も「日傘(フリルのついたもの)」「体育祭実行副委員長」「四色ボールペン」などさりげなく難易度が高かったそうだ。
競技委員が面白おかしく作ったのだろうが、簡単そうだと思ってこの競技を選んだ人は泣き目を見たらしい。
特に「体育祭実行副委員長」はその時グラウンド外の駐車場で保護者誘導をしており、走る距離が尋常じゃないことになったそうだ。
しかも誘導の引継ぎまであったらしく、その借り物を担当していた彼はビリもビリ、競技が終わる間際になってやってきた。

さて、苗字さんはどんなことになったのだろう。
苗字さんは苦々しい顔をしているから、それなりに面倒なことになったのだろうことは予想できた。

「…思い出すのも嫌なんだけど」
「そんなに嫌なものだったのか」
「ベタだったの。“好きな人”よ…全くふざけてる」

思ったよりもすごいのが出てきた。
確かにベタではある、だが現実にそれを手にした時の気持ちは計り知れない。
好きな人がいれば、恥ずかしいながらも、とか恥ずかしいからやめておこうとか、様々な葛藤があることだろう。
それがいい思い出になる…のかもしれない。
しかし、好きな人がいないとか、そういうアクシデントが嫌いというタイプの人にとっては地獄だ。
うまくやり過ごさなければならない。

というか、俺はこの答えを聞くべきなんだろうか。
苗字さんに好きな人がいるのかいないのか、現段階で予測不可能。
噂も聞かないが、苗字さんのことだ、きっといても秘密にしていることだろう。

苗字さんも不機嫌そうだし、聞かないほうがいいかもしれない。
ここで話題を変えてしまうのもアリだ。
でも、聞きたいような気もしている。

「…誰を連れて行ったのか、気になる?」
「いや…」
「じゃあ、秘密にしておく」

苗字さんが先手を打ってきたので、聞かないことにした。
でも、気になる。
いったい彼女は誰を“好きな人”と認識しているのか。
誰の手を引いて、ゴールへ向かったのか。
考えるだけで、身が引き裂かれる思いだ。

ゴールして、係りの者にどんな風に思われたのだろう。
苗字さんさんはこの人が好きなんだ、とか思うのだろうか。
そんな風に思われて、どうなのだろう。
考えれば考えるほど、イライラする。

わかることは、その時、俺は連れて行かれなかったという事実だけだ。
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