Pr.黒の場合
僕がこの仕事を選んだのは、なんというか、そうなる運命だったとしか言いようがない。
生まれつき影の薄い僕だからこそ、この仕事は天職だった。

読書好きの僕はこの仕事について、様々なロマンを感じていた。
英国の探偵のように奇妙の事件を解き明かしたり、東洋の探偵のように怪盗から宝を守ったり…まあそれはないにしろ、面白そうだとは思っていた。

「…あんのくそアマ…子供おいて…あんな野郎と…」
「調査は以上になりますが…」
「結構だ」

血走った眼で茶封筒を引っ手繰るようにして手に持った男性が、事務所から出ていく。
今回の仕事は楽だった、調査対象がかなり適当だった。
調査対象よりも切れている依頼人のほうが怖いくらいだ。

僕はソファーに座り直して、冷めきったコーヒーを口につけた。
探偵事務所なんてこんなものだと知ったのは、大学の時か。
大学の時に浮気調査の手伝いをして、そこから探偵の道が開いた。
このご時世、悲しかな、意外とこの仕事は儲かる。

「あら、ディアマイフレンド、顔色が悪いですわね」
「小唄さん天井を引っぺがすのはやめてくださいと何度言ったらわかるんですか」

あまり楽しいとはいえない仕事を続けている理由は、向いているからというだけではない。
向いているということに加えて、ちょっと面白い人ともかかわりが持てるから。
築30年の3階建てのビルの最上階が僕の事務所なのだけど、いつも天井の一部を剥がして…もしくは窓から侵入してくる怪盗がいる。
怪盗という時点で、もうこれを冗談だと思う人は多いだろう。
僕は今も昔も冗談は苦手なんだけど。

この怪盗、石丸小唄さんはなにやら僕を気に入って、よくうちに訪れる。
冷やかし9割、まれに仕事を持ってくる。
ただ、小唄さんの仕事は面倒なものが多いから冷やかしの方がよっぽどましだ。

「また浮気調査ですの?つまらないことばかりしていますのね、もったいないですわ」
「そちらの世界で仕事するくらいならつまらないほうがましです」
「つまらないけれど賢い判断ですわ、ディアマイフレンド」

小唄さんは、表の人間ではない。
まあ怪盗を名乗っている時点でまともでないことは確かなんだけれど。

この世の中は、4つの世界に区分される事を知ったのは、この仕事を始めて1年目のことだった。
とある事件に巻き込まれた僕は、今まで幸せな世界に住んでいた事を知った。
僕が暮らしていた幸せな世界は、表の世界。
その他に、財力、政治力、暴力の世界が存在する。
僕が関わってしまったのは暴力の世界…もう二度と関わるまいと心に決めている。
生きて今ここにいることが、不思議なくらい暴力的な世界だった。

その世界に関わらずに住むなら、浮気調査くらいいくらでもやろう。
小唄さんは4つの世界のどれにも染まらず、適当にやっているらしい。
彼女くらい身軽で頭脳明晰ならまあ、やっていけないこともないのかもしれない。

僕は彼女の為にコーヒーを入れた。
砂糖はなし、ミルクも無しのブラックだ。
僕も自分の分のカフェラテを作ってテーブルに戻った。
小唄さんは長い足を優雅に組んで微笑んでいる。

「ディアマイフレンド、今日も面白いお話を聞かせてあげますわ」
「それは、どうも」

小唄さんは僕をあちらの世界に引き込もうと、あちらの世界の面白い話を聞かせてくれる。
興味を持ってくれれば、という思惑なのかもしれない、というかそうだろう。
面白いから聞くけれど、絶対にあちらにはいきたくない。

「今日のお話は財力の世界のお話ですの」

このお話が、僕をあちらの世界に引き込むきっかけになると知っていたら、僕は聞かずにいただろうか。
いや、そんなことはないだろう。
僕はこの話を聞いたことを後悔することはないだろう、もう一度あちらの世界に足を踏み入れることになるとしても。
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