遙かなる群青と戯言
相変わらず俺が赤司の護衛をやっている理由は、名前さんにあった。
名前さんが大輝くんがいないならいかない、と断言しているからである。
俺は今まで裏社会を知らないで生きていたと言うのに、ここ1ヶ月くらいで急展開を遂げた。
今ならはっきりと思える、世の中には知らない方が言い事もあると。

兎吊木と対面した時や式岸の隣に立ったときとは、また違う怖さがある。
見た目はただの青年だ。
俺や赤司とそう年齢は換わらないように見える。
ただ、その目だけは絶対的に違った。
色彩の無い死んだ目だ、にごっていて、何が見えていて何が見えていないのかわからない。

彼は少しだけテツに似ていた。
その穏やかそうな口調だけは。

「初めまして、赤司くん。僕がいーさんと呼ばれているものです」
「…初めまして、赤司征十郎と申します。お忙しい中、お越し頂きありがとうございます」
「ご丁寧にどうも…で、友。何で僕が呼ばれたの?」
「うに?」
「あれ、友ちゃん説明してなかったんですか?」
「ってか、何でこの人私の前に何度も現れるの?」

長い革張りの黒いソファー。
そこには紺色の髪をした童顔の女と短い茶髪の青年が隣り合って座っている。
その後ろには兎吊木ともうひとり…とても嫌そうにしている女性が立っていた。
今回の護衛はその2人なのだろう。

ガラスの長いテーブルを挟んで、ひとり掛けの椅子が2つ。
その1つ、青年の正面にあるほうに赤司が、その後ろに俺が立っている。
名前さんは女の前の椅子に座り、その左には式岸が立っていた。

名前さんと女は顔を見合わせて小首を傾げあっている。
ちなみにこの童顔の女が玖渚友…玖渚機関のお嬢様であるらしい。
その隣の青年こそが、今回のキーパーソン、いーさんとやらだ。

「最初に自己紹介や事情説明をしたほうがよろしいのでは?」
「そうだね。名前さん、お願いできる?」
「了解です」

玖渚友の後ろに立っていた、パンツスーツの女が始めて口を開いた。
女の割には若干低い声をしているように思えるが、この場にいる名前さんや玖渚友の声が子供じみているからかもしれない。
さておき、名前さんは軽く説明を始めた。

「事の発端は、ここにいる赤司君の父、赤司征二によります。彼は友ちゃんといーさんを前に、いーさんを侮辱する発言をしました。それに怒った友ちゃんが赤司家の本家である赤神家に連絡したことから、ここにいる赤司君は事情を知りました。赤司君は現在赤司家から独立していますが、赤司を名乗っている以上、けじめをつけるべきであると判断し、行動に移している次第です」
「ずいぶん真面目だね」

名前さんにしては堅苦しい話し振りだったが、いーさんの反応は軽かった。
彼は特に興味がないらしい。
ただ、玖渚友のほうは目つきが変わった。
どうやら、そのときの怒りを思い出したようだ。

「ふぅん、そうだったんだ。で、名前さんちゃんはどうしてそっちの味方をしているの」
「赤司君の友達が私の恩人だったので。私が約束に厳しいというのは知ってますよね」
「私とも約束したよね?忘れてないでしょ」
「忘れてませんとも。私は全面的に友ちゃんの味方ですし、彼らに頼まれたのはここまで連れてくる事ですから。立会いしかしませんよ」

玖渚友の口調と雰囲気が変わったのには、すぐ気がついた。
冷静に怒るタイプらしい。
彼女の怒りの矛先が名前さんに向いた。

名前さんはそれに対して、笑って対応して見せた。
しかし、それは俺等にとって不利になるような言葉だ。
そういえば、そうだった。
名前さんは最初に、謝るべき相手に引き合わせるといった。
つまり、引き合わせた後はもちろん、味方になるとは限らない。

そりゃ、仕事先を立てるに決まっている。

「そう、ならいいんだけど」
「あとは友ちゃんにお任せしますよ。分からない事があったら聞いて下さい」

名前さんはそれだけいって、手元にあった紅茶を飲み始めた。
どうやら本格的に傍観に徹するらしい。
玖渚友は名前さんから視線をはずして、赤司を見た。
いーさんもまた、ぼんやりと赤司を見ている。
その様子を見て、兎吊木が楽しそうに笑っているのが何とも言えず恐ろしい。

赤司はそれらの視線に臆する事無く、淡々と謝罪を始めた。
独立したとはいえ、赤司家の代表が礼儀に欠いた発言をしたこと、また謝罪が遅れたことなどを全面的に認め、許される事が無くてもいいがどうしても謝っておきたいと述べた。
まるで政治家の謝罪会見を聞いているような気分だった。
こんな丁寧な謝罪を生で聞くのは初めてだと、かなりずれた考えが脳裏をよぎった。

玖渚友は黙ったままだった。
ふぅん、とまた気のない返事をするばかりだ。
しかし、隣のいーさんが口を挟んだ。

「ところで、友。なんでそんなに怒ってるんだ?」
「だってさ、いーちゃんのこと、こんなフツーな男なんて、って言ったんだよ?」
「…え、それだけ?」

そういえば、玖渚友を怒らせた言葉を聞いていなかった。
いーさんはそれを疑問に思っていたらしい。
聞けば、あっさりと答えてくれた。

理由を聞いたいーさんは真顔で、それだけか、と返した。
玖渚友は、それだけなんて思うのはいーちゃんだけだよ、とふくれっ面である。

「その上、うちの息子の方がいいとか何様?って感じ」
「ああ…それは怒っても仕方ないか」
「でしょー?」

まあ、その気持ちは分からないこともない。
確かに旦那が微妙そうだから乗り換えませんか?なんて言われたら怒るだろう。
というか、そんな簡単なことだったのか、この事件。
侮辱とかなんとか言っていたが、ただ単に旦那大好きな嫁が怒っているだけ。
怒らせた相手が怖いだけで、内容はそこまで怖くない。

だからこそ、解決が難しいのかもしれない。
何たって、あとは嫁さんの気持ち次第なんだから。

「父が馬鹿なことを…」
「既婚者にいう言葉じゃないですね」
「本当に申し訳ありません」

確かに、馬鹿なことを言うもんだ。
相手が目上の既婚者だということはわかっていたのだから、本当にそんなことを考えていたのかもしれない。
確かに赤司はハイスペックだが、このいーさんほどの独特さはない。

俺は思うのだ、赤司は天才といえないのではないかと。
天才というのは、どこか一つの分野において飛びぬけた才能を持った人のことを大抵は指すだろう。
赤司のように、オールマイティに物事こなす人は天才というより秀才であると。
いーさんのような独特さがないと、きっとこの世界ではやっていけないのではないかと。
ここ数週間、裏社会を見て俺はそう思った。

「っていっても、君が言った言葉じゃないし。…まあ、いいや。君は許すよ、赤司征十郎くん。でも、お父さんのことは諦めて。僕が許すのは君だけだ…ってことでいいかな、友」
「いーちゃんがいいならいいよん。でもけじめは必要だから、半分は持っていくよ」

赤司自身が言ったことではないのに、ここまで大事になるほうがすごい。
彼らがどんな権力や地位を持っているのか俺にはわからない。
しかし、たった一言、冗談のように言われた言葉を大事にできる。
そういう権力を持った人間もいて、そういう事態が当たり前な世界もあるのだ。

まあ、そういう世界があるのはなんとなくわかっていた。
テレビの中で政治家が不適切なことをぽろっと零してしまい、それが大事になるように。
でも、それこそ、遠い世界だと思っていたのに。
俺もその世界に足を踏み入れてしまったのだ。

そう思うと、少しぞっとした。
やばいことをしてしまったような気がした。
自分勝手なことだが、後悔しそうになった。

「半分?何の半分でしょう」

赤司が、そう聞いた。
その声は少しふるえて居たように思えた。
そういえば、赤司が怖がるところなんて俺が見たことがない。
見たことがない、今まで怒らなかったことが当たり前に起こるようになっているのだ、この世界は。

普通、小学校時代に消息を絶った幼馴染なんて見つかりっこない。
普通、その謎の幼馴染がこのような大事を解決できる力を持って居るわけがない。
普通なら、きっともらった電話番号もつながらず、まあそうだよな、ってなるはずだったんだ。
そもそも、そこから普通じゃない。
なんで違和感を覚えなかったのだろう。

「家だよ。赤司家の半分。権力とか地位とか半分もらう。あと、それに伴って赤神家からも離れてもらうよ。それはこっちから赤神に言うから。で、その代わりに玖渚の下についてもらう」

赤司は一瞬、肩を震わせた。
権力や地位というものは、普通その人その家についているもので、誰かに渡すことができるものではないような気がするのだが、この世界では関係ないらしい。

「…分かりました。ご配慮、感謝します」
「本当に君は敏いねえ。あの父親からは考えられないくらい。いいことだよ。今後ともその姿勢を忘れないでいれば、うまくやっていけるだろうね」

玖渚友はそういって微笑んだ。
先ほどまでのピリピリした緊張が少しほぐれた。
彼女の隣のいーさんもうんうん、と頷いている。

玖渚友がテーブルの上のオレンジジュースに手を伸ばしたところで、ようやく周囲が動きだした。
どうやらこの空間の支配者は彼女らしい。

「名前さんちゃんもわざわざお疲れさまだったね。引きこもりなのに」
「いやいや。友ちゃんこそありがとうございますですよ、時間裂いてもらっちゃって」
「やだなあ、そんなこといいのに。私、名前さんちゃんのこと気に入ってるし、久々に外で会えるのもいいものだしねえ」

名前さんは玖渚友といーさんが共に飲み物を一口飲んだあと、ようやく目の前に置いてある小さなボトルワインを手に取った。
どうやら名前さんは玖渚友のお気に入りらしい。
見たい眼的に同い年くらいに見えるからだろうか。

玖渚友の言葉には嘘は見えない。
ただ、久しぶりにあった友人にいうように、気にしないで、といった。
先ほどの厳しい決断を下した人間とは別人のようだ。

「彼が、名前さんの恩人?名前さんって恩人を作るようタイプじゃないと思ってたけど」
「そうですね。こっちに来る前の恩人なんですよ」
「へえ。名前さんってこいういうタイプ好きだよね。ぐっちゃんともちょっと雰囲気似てる」
「あはは、そうかもしれないですね」

名前さんはそう笑ったが、いつもの爛漫さはない。
どこか空っぽな笑いだった。
それに玖渚友も気づいたのだろう、それ以上名前さんに話を振ることはなかった。
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