86.とぐろ
堅実ななまえは、多角的な視野を持っている。
だから、目の前のアンブリッジだけではなくて、その先のこともきちんと見ている。

「今年の防衛術は特に勉強する必要はないかな」
『むしろ勉強しなければならないだろうけど、まあそうともいえるか』

今年の按配についてリドルと話し合った末、なまえは同室のパンジーたちが帰ってくるのも待たず、眠りについた。
そして、彼女たちが起きるよりも先に起きて、誰もいない談話室にひとり佇んだ。
そこにいるだけで、暖炉には火が入り、温かな紅茶が少し眼を離したすきに用意されるのだから、この世で一番素晴らしい生き物は屋敷しもべ妖精であるとなまえは思うのだ。

暖炉の前の席を陣取ったなまえは予定表とにらめっこをしながら、淡々と計画を立てた。
今年はOWLと呼ばれる大きな試験がある。
なまえは将来についてほとんど考えていなかったから、この試験が今後重要になってくるのだろうと考えていた。
アンブリッジや闇の陣営の動きも気にしなくてはならないが、それと同じくらい、それもそれ以上に大切であると感じていた。

リドルに出会ってから、なまえの名前は大広間前の廊下に張り出される順位者リストの上位にある。
なまえは将来について本当に何も考えていなかった。
というよりも、考えられなかった。
両親のいない、まともな大人のいない環境で育ち続けたなまえにとって、大人が何をしているのか、また何をしていれば普通なのか、どのような生活をしているのかということをイメージするのは難しいことなのだ。
ノクターンにいる大人の仕事といえば、肉体労働が6割、サービス業が2割、残りは無職であったり人には言えないような仕事をしていたりする。

なまえがイメージできる仕事は、今の薬品の卸売りやコレットのお手伝い、もしくはスタッズ・キッチンでウェイトレスくらいだ。
一番現実味があるのは薬品の卸売りだろう。

「何になるとしても、知識が無駄になることはないか」
『その通り。OWLでいい成績を収めることも、無駄にはならないだろうね』
「薬学、防衛術はいいとして、呪文学とルーン文字はちゃんとやらないと。歴史は本で読めばいいかな」

薬品の卸売りをするにしても、防衛術はノクターンで生きるためには必須。
呪文学もあって損するとはないし、ルーン文字や歴史は話の種になる。
OWLのためというよりは、自分のために勉強をする、そういう心持だった。


そんななまえだからこそ、この授業をまじめに受けるつもりはさらさらなかった。

「…すっげーな、この授業」

ぼそっと隣から呟きが聞こえた。
その声はかなり小さなものだったが、二つ隣のなまえ、それからおそらくなまえとザビニの間にいたノットくらいだろう。
もしかしたらザビニの前にいるドラコくらいまで聞こえたかもしれない。
しかし、誰もそれを咎めることはないだろう。
彼のいうことは、間違いなくこの教室の全員が思っていることだからだ。

目の前のアンブリッジは何が嬉しいのかニコニコと微笑んでいる。
なまえは教室をぐるりと見渡した。
微笑むアンブリッジの横には白い字が走る黒板、そこには綺麗な字で綺麗なことが書いてあった。
原理を理解すること、状況認識を学習、実践的な枠組みに当てはめて考えること。
それらは確かに学習することにおいて重要なことだが、…間違ってはいないのだが、根本的にいろいろとおかしい。
実技が重要な魔法にとって、実技を抜いて何が学べるのだろう。

『いい手だね、やるじゃないか、僕』

リドルがおかしそうにそういった。
魔法省が学校に干渉してきた、しかも若者の戦力を削ぐような。

若者、といっても一部だけだ。
スリザリン生はそこに含まれない。
これ気付きながら、それを誰も指摘しないのは、スリザリン生だからこそだ。

学ばなくとも、学校で習うような実技ができる生徒はいくらかいる。
純血の家では英才教育を子に施すのが当然という風習がある。
そのため、ドラコやノットは当たり前のようにある程度の防衛術は使える。
また、それを上級生から下級生へ教えるのもそう珍しいことではない。
スリザリン生はそうして成長していく、リドルの頃も、今もだ。

「僕以外に守り魔法ができるのは?」
「俺」
「できる」
「私も」

授業が終わったあとの自由時間。
寮の談話室では、各学年が集まり、各々の学年内で誰がどの魔法を使え、どの魔法ができないのかを集計しはじめた、
だれがやろうといったわけではない、しかし、誰かが自主的に始めた。

5年ではドラコが率先して動いた。
戦闘で使えそうな呪文をピックアップし、それが使える人を集める。
そして、その中で教えるのがうまそうな人が教え、対戦の上手な人が相手をする。
攻撃呪文をするのも、生徒で。
監督生として、ドラコが率先して後輩にもこの行動を促した。
すべては、守るため。

「ま、自衛は大切だよなあ」
「自分の身を自分で守るのは基本でしょ。低学年にもそれは徹底させないと」
「まずはプロテゴ、プロテゴができる上級生は結界的なもの張れるといい」

スリザリン生はおそらく戦争に参加したがらない。
たとえホグワーツが戦場になろうとも、戦うのは親が陣営に出ている生徒のうちの数人だけだろう。
高潔な純血を絶やすわけにはいかないというのが、スリザリン生の根本にある思いだ。
その思想は時代を超えて受け継がれている。
純血を守るため、子どもたちは自衛をとにかく重んじる。

なまえには血を守るという考えが理解できない。
だが、その考えは非常に合理的であると思っている。
ホグワーツに通う生徒が戦いに挑んだとして、その何割が生き残れるのか。
ホグワーツに通う生徒が生き残るために、何人の大人が犠牲になるか。
それを考えれば、自衛に力を入れるのは当たり前だ。
戦い方を覚えるのは、そのあとでいい。

「先輩に使えそうな人いそうじゃない?」
「聞いてみよう。いたら、なまえが習いに行ってくれ」
「私?」

話を聞いて居るばかりだったなまえにドラコが話を振った。
守りの結界に関しては、知識として知っているが、実際に使ったことはない。
練習しなければ使えないだろうと思い、自発的にできるとは言わなかった。
しかし、先輩とワンツーマンで教わるくらいなら、自発的にできるといってしまえばよかったかもしれない。

確かに、スリザリンの考えには賛成だが、参加するかどうかは別。
なまえは後輩に教えるのも、先輩に教わるのも、あまり乗り気ではない。
恐らく、そういう生徒は多少なりともいることだろう。

「自力でじゃだめ?」
「できるなら問題ないが…できるのか?」
『僕が教えるから大丈夫だよ』
「できると思う」

後ろにいるリドルが自信ありげにそういうので、なまえはそう答えた。
ドラコは少し不安そうではあったが、なまえの性格や血筋を考慮して了承してくれた。
同学年の中ではそれなりの対応をしてもらえているが、先輩たちに何かされる可能性が0ではない。
なまえの血筋を聞かないのは暗黙の了解ではあるが、それをよく思わない人も無論いる。
それらの諍いが起こってしまうと面倒だし、内部分裂だけは避けたい。

話し合いの結果、なまえの仕事は自らで呪文を覚え、それを同学年の人に教えるということになった。
なまえにとっては嬉しい話だ、これで知らない人と知り合うきっかけはなくなった。
自分の先生はリドルだけで済むし、一人で気楽に勉強ができる。

この結果はリドルも喜ばせた。
なまえはリドルだけを頼る結果になったからだ。
この喜びを感じた時、リドルは少し複雑な気持ちになったが、それでも喜びのほうが大きかった。

ただ、ヴォルデモートにとっては少々不利になったな、とリドルは思った。
もともと人付き合いの苦手ななまえが、嫌々ながらも人付き合いをするきっかけがなくなったのだから。
とはいえ、今の自分にとってヴォルデモートの考えはどうでもいい。
そう思えるようになったことに驚きを感じたのは、今年の夏だったか。
どうやら自分は今の自分とは全く違った人間になっているということがよくわかった。
しかし、それも悪くないと思えるから、問題はない。

「リドル」
『うん?』
「ぼうっとしてたね、私の話、聞いてなかったでしょ」

なまえがちらとリドルを読んだ。
薄暗い階段を、部屋に向かうために下っていた。
なまえはリドルよりも低い段に立って、こちらを見上げていた。
蝋燭の光が揺らめいて、なまえの整った輪郭をぼんやりと写していた。

話を聞いて居なかったことを咎めているわけではない。
ただ、少しだけ楽しそうだった。
恐らく、僕がぼんやりしているのが珍しくて面白いのだろうとリドルはそう考えた。

『聞いてたよ、勉強の話でしょ』

嘘だ、リドルはなまえの話を全く聞いて居なかった。
ぼんやりしていたから、全く。
しかし、今なまえが話しそうなことはそれくらいだから、そう答えた。

なまえはリドルの答えを聞いて、ふぅん、と鼻にかかった声でそう言って、階段の下のほうに首を戻した。

「私、何も言ってなかったんだけどね」

一歩、階段を下った後に、なまえは可笑しそうに言った。

prev next bkm
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -