74.君と僕
なまえは水に上がってしばらくの間は、呆然とした様子で座り込んでいた。
ただ、ぼんやりとしていて、ときどき零れるのは謝罪の言葉。
錯乱状態から抜け出せないまま、なまえは気を失ってしまった。

「おそらく、水になにかトラウマがあったのでしょうね。今のところは様子を見るほかありません」
「そうですか…」

なまえの過去に何があったのかは、知らない。
しかし、なまえが過去に縛られたままであることは確かだ。

いくつか推測をすることはできる。
確実なのは水に対して恐怖心を抱いていること。
川で溺れたのかもしれないし、風呂場で溺死しかけたのかもしれない。
ただ風呂自体は好きなようなので、後者の線は薄いかもしれない。

あと、もう一つ可能性としてあり得るのが、親からの虐待。
なまえはずっと親を恐怖の対象としていた。
ボガートが両親に化けるくらいだから、相当だと思う。
その親に水に関する何かトラウマを植え付けられたのではないかとリドルは推測していた。

リドルの隣に立つセドリックは不安げになまえを見るだけだ。
彼はなまえの素性を全くと言っていいほど知らない。
ただ知っているのは、なまえが人間との接触を避けるということ。
それでも彼はなまえに全幅の信頼と親愛を向けている。
それはリドルさえも感服する精神だった。
“よくわからないもの”に全力で尽くすことの難しさは筆舌に尽くしがたい。

セドリックは長いことなまえのそばにいたが、就寝時間近くになったころ、医務室を出て行った。
マダムも自室に戻り、医務室にはなまえが残るのみとなった。

眠っているというよりは、目をつぶっているだけのように見えるのは、その表情が固いせいだろう。
いつもの安らかな眠りとは全く違う様子。
痛々しくて見ているのも辛い。

なまえが目を覚ましたのは、二次試験が終わってから丸々1日たったころだった。

『なまえ、起きた?』
「起きた…どれくらい寝てた…?」
『丸々1日くらいだよ』

なまえは起きてなお、唇を震わせていた。
顔色は悪く、青白い。
布団を握りしめてうつむくばかりのなまえにリドルはただ寄り添うだけ。
マダムを呼ぶこともなく、しばらくの間静かにしていた。

「みょうじ、目が覚めたのですか」
「…はい」
「体調はあまりよくないようですね。今はゆっくりやすみなさい」

なまえはこくりと一つ頷いて、ベッドに横になった。
それを見たマダムは、静かにカーテンを閉めて部屋を出て行った。

また、部屋の中はリドルとなまえだけになる。
なまえは静かに目をつぶっていた。
眠っているわけではないようだが、身じろぎ一つしない。

「水がね、怖いの」
『ああ』
「昔、かけられたり沈められたりしたから。親にじゃないよ。知らない人」
『知らない人?』
「施設の人。大人だったか子供だったかも覚えてないよ」

朧気な記憶らしい。
なまえは淡々と話していて、感情が読み取れない。

なまえの経験したと思われる事態は、普通じゃあ考えられないものだ。
施設内での虐待、少なくともリドルのいた施設ではそんな経験なかった。
思ったよりも、なまえの過去は暗く根深い。

『今回は運が悪かったね』
「うん。もっと冷静になればよかった。二次試験は水の中だってわかってたのに」

そう、二次試験は水の中で宝を取り合うということをなまえは知っていたのだ。
宝になるといわれた時点で、自分が水の中に入るというのは確実。
スネイプが何か企んでいるという点にのみ焦点を当ててしまったので、その点をすっかり忘れていた。

『お風呂は平気なのに変な感じだ』
「うん。お風呂は温かいし気持ちいいからむしろ好き」

ぶつり、ぶつりと話題が切れるリドルやなまえにしては珍しい会話。
それでも話しているほうがまだ気がまぎれるのだろう。
なまえはじっとリドルを見て、彼の口から零れる簡単な問いかけに答え続けた。
小さな問答の中のなかで、なまえは徐々に固かった表情を和らげるようになった。

『なまえ、眠くなったら寝てね』
「うん。でももう少し」
『いいよ。そうだな、僕が学生の頃の話だけど…』

リドルの話の内容は、問答から昔話へと変わっていった。
なまえに答えを求めないものにすることによって、なまえを寝かせようという算段だ。

ただ、学生時代のことなんてそう話すことはない。
一般的な学生とは違い、青春らしいことも楽しかったこともあまりなかった。
ほとんどが偽りで、自分の野望のためにはどんなものも犠牲にした。
野望を捨てた今のリドルにとって、学生時代はどこか空しいものだった。

「リドル?」
『いや…学生時代はほとんど今の僕の基盤作りだったなと思って』
「うん、そうみたいだね」

話を聞いていたなまえもリドルの言葉に頷いた。
率直な感想に少しへこみつつも、話を続ける。

リドルの学生時代の登場人物は、オリオン・ブラックやアイリーン・プリンス、アブラクサス・マルフォイなどだった。
彼らの息子や孫は、現在ヴォルデモートの配下である。
学生時代の友人はすべて闇にかかわる人で、なまえの耳には悪いものばかり。
選りすぐって話していると、5分も持たなかった。

なまえはリドルの自虐に素直に笑った。

『なまえは、楽しまないとダメだよ』
「私は十分楽しんでると思うよ」

なまえはくすくすと笑って、布団の中に顔を半分うずめた。
寝ることはなかったが、顔色は良くなったようだ。

「せっかく生き返ったんだから、リドルも学生生活を楽しめばいいじゃない」

突っ込みどころはいろいろある。
リドルの姿はなまえ以外に見えないし、実体化をすれば誰にでも見えてしまうから危険だ。
だから学生生活を楽しむというのは無茶なことである。

でも、なまえは至極本気だ。

『なまえが学生生活を楽しめば、模擬的に僕も楽しめるよ』
「そう、ならよかった」

実際にリドルはなまえに自分を投影している節がある。
それはリドル自身も自覚していた。
自分と同じような境遇に育ったなまえが楽しく過ごす姿に、幸せそうにする姿を見て安らぎを覚える。
いつでもなまえとともにあるからか、なまえと同じように物事を感じるようになってきていた。
さすがに、恋愛沙汰に関しては例外だが。

とにかく、リドルはなまえに救われつつあった。
今なら、昔の友人に学校生活の楽しさを語れる気がした。
リドルが直接経験しているわけではないのにもかかわらずだ。

『さあ、そろそろ寝ようか』
「そうだね…おやすみ」

なまえは素直にうなずいた。
いつの間にか寝かせるつもりが、会話を楽しんでしまっていたらしい。

少しすると、静かな寝息が聞こえてきた。
今度は少しでもいい夢が見られるといい。

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