なまえの部屋はもともと客間として使われている場所らしかった。
セドリックの部屋の隣で、日当たりのいい場所だった。
「ここがなまえの部屋だからね。隣が僕の部屋だから何かあったら声をかけて」
「ありがとうございます」
なまえの足元で忙しなくライルがうろうろしている。
その頭を撫でて、なまえは窓際に向かった。
外には少しの民家と麦畑が広がっている。
麦畑は見たことがなかったので、新鮮な景色だ。
燦燦と照る太陽に照らされて、その緑が輝いていた。
秋には綺麗な黄金色の景色が見られるのだろう。
「外、気になる?」
「はい。麦畑ってはじめて見ました」
「そっか。散歩の時、あっちのほうまで行ってみようか?」
「わん!」
答えたのはなまえではなく、ライルだった。
その様子に呆れたように見るセドリック、なまえは嬉しそうにライルを撫でた。
部屋に荷物を置き終わった後、すぐに2人は階下に戻った。
散歩の準備をして、夫人に声をかけて外に出た。
「んー…、気持ちいいですね」
「うん、ダイアゴン横丁なんかに比べたら凄く静かだろう?何もないところだけど、僕は気に入ってるんだ」
玄関の外は広めの庭だった。
庭は芝生で覆われ、端のほうに大きな太い木が生えている。
その木にはブランコが風に揺れていた。
その脇にはガーデニングのされた花壇に色とりどりの花が咲いていた。
まるで絵本の中の庭みたいだった。
その風景を見ていると、なまえの手にライルが頭をこすりつける。
ぼんやりライルをみると、その口にリードをくわえていた。
「リード、なまえに持ってもらってもいい?」
「もちろん!」
なまえは緑のリードを手に絡ませた。
セドリックの家の西側は遠くまで麦畑が広がっていた。
しかし、その反対側は小さな町になっていて、住むのに困ることはないようだった。
ここも数ある魔法族だけの町らしく、暑い中ローブを羽織っている人もちらほら目に付いた。
ダイアゴン横丁などよりはずっと静かなだが、ちょっとした活気のあるマーケットもある。
セドリックは町の中でも人気者なのか、何人かの人に声を掛けられていた。
そのたびに隣を歩くなまえのことを聞かれた。
セドリックは友人だといったが、一体何人があらぬ勘違いをしているのだろうと思うとなまえは少し複雑な気持ちになった。
「いい町ですね…ダイアゴンよりも静かで、でも静か過ぎず」
「うん。とても過ごしやすいと思うよ。魔法使いだけの町だから閉鎖的ではあるけれど」
市場のおばさんにもらった林檎を片手に前を歩くセドリックに話しかける。
町を褒めるとまるで自分のことをほめられたかのようにセドリックは笑った。
「なまえの住んでいた国はどんな町並みだったの?」
セドリックの問いかけに、なまえは自分の住んでいた町を思い返してみた。
国が違うのだから、無論町並みも全く違う。
…褒めるようなところはない気がした。
灰色のコンクリートがよく目立つ都市部だった、施設だってそう綺麗なものではなかった。
綺麗だなと思えたのは、中庭にあった大木だけだ。
よっぽどこの町のほうがなまえにとってはしっくり来るようになってしまった。
もう、国に帰ることはないだろう。
寂しいものだ、セドリックのように故郷を愛することもできやしない。
「…どうと言われると難しいですね。でもここやイギリスの町並みとは全然違いますよ。色合いとか」
「へぇ…色合い?」
「こちらはレンガとかが多いじゃないですか。私の国にはレンガは一般的じゃないのでないんですよ」
イギリスに来て、特に魔法界にきて驚いたのは風景の色彩が豊かだったことだ。
写真などで見たことはあったが、実物はそれら以上だった。
レンガの綺麗な赤、窓の桟の白、並木の緑…色鮮やかで見応えがある。
日本の風景が嫌いと言うわけではないが。
「そうなんだ…。行ってみたいな」
イギリスに着たばかりの頃は、帰りたいと思い続けていた。
ダンブルドアに見捨てられて、また捨てられたと実感して、酷く気が滅入って。
とにかく帰りたかった、しかし、それは日本にではなかったと思う。
ただ、自分の安心できる場所に帰りたかった。
そして、気づいた、自分の安心できる場所なんて果たして日本にあっただろうか。
施設にいても厄介者扱いをされ、学校にいても腫れ物を扱うようにされ。
友人も家族も何も無い場所で、無論不安だったわけではないが、安心できると言うわけでもなく。
ただふわふわと日常を過ごすのみだった。
帰りたいと願った場所は、現実にはなかった。
だから、途中から日本に帰ることなんてどうでもよくなった。
ただ、新しい土地に対応できるように努力した。
「そうですか」
もう、日本に帰る気など、なくなっていた。
だからセドリックが日本に行ってみたいといっても、特に何の反応も示すことはできなかった。
そもそも、日本を案内するにしても、なまえは施設と学校の周り程度しか知らないのだから案内などできるわけもなかったのだが。
そのなまえの変化に気づいたのはなまえの足元を歩くライルだけだった。
彼は心配そうになまえの足元をうろうろとしていた。
「そろそろ戻ろうか。最近日が長いから感覚が狂うね」
「そうですね」
街は夕日でオレンジ色に染まっていた。
赤レンガが更にその赤みに深みを持ち、透明な窓ガラスは夕日を反射し、乱反射している。
自分とセドリックの長い影だけに、なまえは懐かしみを感じた。