鍋からの熱と、密室の組み合わせは最悪だ。
まるで蒸し風呂状態の部屋の中で、なまえはせっせと鍋を掻き雑ぜる。
早く終われと思うのだが、なかなかそうもいかないのが魔法薬学。
1つでも混ぜ方を間違えれば、その鍋いっぱいの材料を無駄にすることになる。
火加減1つも油断ならないので部屋は締め切りだ。
長い髪を高い位置で結んだものの、やはり熱いことに変わりはない。
首筋に垂れる汗の感触が気持ち悪かった。
「ふぅ…」
鍋を回して2時間ほど、漸く出来上がった薬を小瓶に入れる。
小瓶はテーブルいっぱいにできた、これでしばらくの間お金には困らないだろう。
なまえは隣の部屋に向かう、さっさとシャワーを浴びたかった。
隣の部屋は冷却魔法がかかっていて、心地よい涼しさを保っている。
窓際のテーブルで、リドルが何かせっせと羊皮紙に書き連ねている。
綺麗な筆記体がそこかしこに書かれていた。
なんのことなのかさっぱりなのでちらりと一瞥するだけで、すぐにシャワールームに向かった。
「なまえ、お疲れ様。アイスティーあるよ」
「うん、ありがと…」
シャワーから出てくるとリドルがアイスティーを手渡してくれた。
作っていた薬品はいつの間にかこちらに持ってきたようだ。
それらにラベルを貼る作業をリドルがしていた。
ラベルには“ポリジュース薬”とかかれている。
どろりとした全く美味しそうではないその液体。
しかし、それなりに高値で売れる上に、運よく学校で材料が手に入った。
おかげさまで今年の夏休みは有意義に過ごせそうだった。
「なまえ、午後からどうする?どこか出かける?」
「うん…そうしようかな。古本屋さんにでもいく。…あとスダッズキッチンでごはんする。約束だし」
スタッズキッチンとは、去年までなまえが働いていたアルバイト先である。
今年からは辞めるということを夏休みの数ヶ月前に告げておいた。
店側の人では足りているはずなのに、チーフであるあのおばさんは残念がっていた。
どうやらなまえがお気に入りだったらしい、時々食べに来るようにとそういわれたのだ。
なので、今度は客としてスタッズキッチンに行くことを約束した。
今日は曇り空だし、あまり暑くないので外出には丁度いい。
黒のワンピースに袖を通し、薄手のカーディガンを羽織る、荷物はポシェット1つで足りた。
「こんにちは、おばさん」
「ああ、なまえ!来てくれたのね!どこでも座んなさい!」
「はい」
先に食事を済ましてしまおうとスタッズキッチンに向かった。
そう広くない店内は、なまえが働かせて欲しいと懇願したときと何一つかわっていなかった。
薄汚れた店内、背もたれのない椅子、忙しそうにフライパンを振るコックたちはなまえを見ると笑顔を見せてくれた。
突然辞めるといって迷惑をかけたのに、とても優しかった。
最近夏ばて気味であまり食べられないので、スープとパンを頼んだ。
「これだけ?相変わらず小食ね…もっとひどくなってない?」
「今はあまり動く仕事をしていないので、食欲もあまりないんです」
「そうなのかい?全く残念だね、なまえほど真面目に働く子は居なかったから」
「すみません、突然辞めてしまって」
「いいんだよ。まだまだ若いしねぇ、こんな溜まり場で働くよりも、もっといいとこで働きな!そのほうがいいさ」
なまえはここを溜まり場だと思ったことはない、そんなに酷いところではない。
しっかり働く従業員には優しくて、怠け者には厳しい。
給料も子どもだからといって下げることもなく、きちんと支払ってくれていた。
なまえにとって、学校なんてよりもずっといい場所なんじゃないかと思える場所だった。
運ばれてきたミルクの入ったスープとライ麦パンを静かに食べ始める。
ここは客が少なくても、多くても比較的に静かな食堂だ。
指示の怒号は飛ぶものの、客は静かで…悪く言えば陰気なので特に話したりすることもない。
話していてもぼそぼそとしていて、聞こえづらい。
1年前とちっとも変わらないその様子になまえは苦笑した。
「そういえば、なまえ。あんた夏休みの計画はどうしたんだい?」
「ああ…今は薬品を作って卸売りを。それ以外は特になくて、静かに過ごしてます」
「若いんだからもっと遊んだっていいと思うんだけどねぇ」
遊ぶ、といってもなまえは特に何をして良いのか分からなかった。
今まで学校でも休みのときは勉強くらいしかしていない。
今も薬品を作る以外では読書をして日がな暮らしていた。
人が多い場所が苦手ななまえにとって、ダイアゴン横丁にでて買い物をする気にはならない。
大抵の買い物はノクターンで済んでしまうので、わざわざダイアゴン横丁に行く必要はない。
教科書もいつも行っている本屋に今年度の4年生のものを1式頼んでおいたので、教科書もノクターンで買えるとくれば、殊更行く必要性はなくなった。
「まぁ人それぞれかねぇ」
「そうですね」
適当な相槌を打って、なまえはスープを丁寧にスプーンですくって飲み干した。
こんな薄暗く陰気な雰囲気と指示の飛び交う場所でも、ミルクスープの味はとても優しかった。