その階段は少し急勾配で、背の低いなまえは上るのに苦労した。
しかし、半年も上っていれば慣れてくる。
いまやなまえはその道をすいすいと難なく登っていく。
最上階から1つ下の階、一番奥の教室、そこがいつもの場所だった。
差し込む眩しい日差しに、目がくらむ。
「なまえ、こんにちは」
「こんにちは、セドリック先輩」
その眩む視界に溶け込むようなこげ茶色の髪を見つけた。
明るいところで見ると髪色は大分違って見えるものだなぁと、なまえはそう思った。
なまえの髪は日に透かしても真っ黒なままだ。
引かれた椅子にちょんとなまえが座れば、柔らかな香りを漂わせる紅茶が目の前に現れる。
紅茶の脇の空っぽのお皿に、持ってきた紅茶のクッキーを置いた。
「今日は紅茶のクッキー?美味しそうだ」
「セドリック先輩、何持ってきても美味しそうって言うじゃないですか」
「うん。だっていつも美味しいよ、なまえのお菓子」
毎日食べたい、というセドリックに苦笑して、なまえは紅茶を飲み始めた。
保温魔法でしっかりと温かさを保った紅茶は口の中でふわりと香りを広げる。
ほう、と一息ついた。
「やっぱりここちょっと遠い?」
「遠いですけど、私はここが良いです。見晴らしもいいですから」
天文塔の最上階に近いこの場所からはとても綺麗な夕日が見える。
天文学を取っていないなまえはこの塔に登ることもないから、この景色は新鮮だった。
夕暮れ時の森の様子や、湖の色、遠くに見える山派に消える太陽、徐々に藍色を帯びる空。
なまえはその風景がお気に入りだ。
紅茶を飲みながらゆっくりその風景を眺めるのが大好きだ。
その夕暮れが始まるまで、セドリックと話すのも大好きだ。
「来年もこうしてお茶会してもいいかい?」
「はい」
「よかった。来年からはディメンターも居なくなるみたいだし、ピクニックもできると良いね」
元はといえば、シリウス・ブラックが逃走していて危険だからという理由でピクニックができないから、お茶会という形になったのだ。
これはこれでいいが、たまには外に出るのも悪くないかもしれない。
それにしても今日のセドリックはやけに話が途切れ途切れだとなまえは思った。
ふとセドリックを見ると、目を逸らされた。
「セドリック先輩?」
「…あのさ、なまえ。なまえって今、好きな人とかいる?」
「随分タイムリーですね。昨日、それを同室の子に言われたんです。…結論から言えば、いません」
なんなのだろう、昨日からそんな話ばかりだ。
なまえが不思議そうに小首をかしげる中、セドリックはティーカップをソーサーに戻した。
かちゃん、と小さな音が聞こえて、なまえはそちらを向く。
セドリックの灰色の瞳に自分の姿を見た。
「そう…、そうか」
「どうしたんですか、先輩…?」
なまえを写していた戸惑うような揺れる瞳が、すっと伏せられる。
いつもと違うその様子に、なまえは戸惑ったように声を出す。
「ごめん、なまえ。やっぱり、伝えたいことがあるんだ、君に」
「はい…?」
伏せていた瞳を上げたときにはもう戸惑いも、揺らぎもなかった。
真っ直ぐに灰色の瞳がなまえを射抜くように見ている。
なまえはその様子にさらに戸惑ったように、小首をかしげる。
どうしてこんなことになっているのか、なまえにはさっぱり分からなかった。
ともかく、セドリックの話を聞こうと、彼が口を開くのをゆっくりと待つ。
「なまえのことが好きなんだ。ずっと好きだったし、今も好き」
「…はい」
「付き合ってくれないかな…、その、僕と」
パンジーの言うことは最もだったらしい。
なまえはセドリックのことを兄のように思っていたが、セドリックはそんなことはなかった。
ぼんやりと昨晩の話が脳裏をよぎった。
はっきりいえば、パニック状態だ。
まるで走馬灯のように、昨日の晩の話が蘇る。
なまえが黙り込んでしまったのを見て、セドリックは焦ったように言う。
「別に今すぐにだなんて言わないから。ゆっくり考えておいて。僕は今までどおりでも、構わない。ただ、どうしてもなまえに伝えたくて…困らせちゃってごめん…」
「あ…いえ、その、こういうのには殆ど免疫がないから…えっと、ちょっと考えさせてください」
「うん、急がなくて良いから」
穏やかに笑うセドリックに、ようやくなまえはほっとした。
なんだか、先ほどの真剣なセドリックにドキッとしたのだ、怖いような…不思議な感じ。
とりあえず、今すぐ答えを出せというわけではないようなので、ゆっくり考えて答えを出そう。
…もう殆ど決まっているようにも思えたが。
その後はいつもどおりだった。
なまえの成績の話が主で、たくさん褒めてもらった。
ハッフルパフでも話題に上がったらしい。
「あ、そうだ。なまえは夏休みの間、どうしてるの?」
「…え?あー、アルバイトを少しするくらいです」
ちょっとドキッとしつつ、アルバイトをしている旨を伝えた。
去年まではアルバイトをしていたが、今年からは薬品作りになる。
しかし、それを言うわけにもいかないので、適当にごまかした。
「そっか…アルバイトの予定とかもう決まってるの?」
「いえ。結構自由に時間は使えます」
まあ、シフトも何もないのだから当然だ。
それを聞くと、セドリックは嬉しそうに笑った。
「じゃあ手紙を書くよ。宛名だけで届くと思うから」
なにがじゃあ、なのかなまえはいまいち分からなかったが、とりあえず頷いておいた。
外は既に夕暮れで、教室内にはオレンジの光が差し込んでいた。
なまえは窓際に椅子を移動させて、外の様子を眺める。
毎週そうだ、天気の悪い日だって、なまえは必ず窓際から夕日を見ようとした。
窓辺に腰掛けるなまえの姿は、どこか儚げで美しいとセドリックはそのたびに思うのだ。
落ちてしまうのではないかと手を引きたくなるが、触れるのも憚るような気持ちになる。
羽化したばかりの蝶がそこにいるかのようだ。
あるいは、夕日が消えるのを待つ夜のようでもある。
じれったくて、でも綺麗だ。
つややかななまえの黒髪が風に揺れる、ビロードのような黒が夕日に混じることなく広がっていた。