06.星を知る
俺は比較的幸せな人生を歩んできた。
自分がやってきたことで報われなかったことなんてほとんどなかった。
壁はあったけれど、越えられないものはなかった。

努力と苦労は人並み、だけど楽しかったことや幸せは人並み以上だったと思う。
だから、その余った分の幸せを余裕に変換して、俺は今までやってきた。

「なんで、いくらでもわがまま言ってください!」
「…はあ」
「なんすか、結構俺、真面目っすよ」

早朝のカフェは静かすぎる。
開店して間もない店には俺以外の客はいなかった。
そもそもこの店は奥まった場所にある上に、大学に近すぎるために近隣の住民からはちょっと距離を置かれている。
大学生が入るかと思えば、その値段の高さから敷居が高いと思われるらしく、入らない。
表に置かれた看板が逆効果である。
来る客はもっぱらコーヒー好きの教授だとか職員だ。

だから朝はガラガラ。
名前さん先輩1人でオープン作業をするくらいには、人がいらない。
俺はそこでブレンドとブリオッシュを食べていた。

さて、本題。
俺は今、絶賛名前さん先輩の我がままを聞こうキャンペーン実施中。

「じゃあ、帰って」
「そういうのは無しっす!」

コーヒーゼリーを作っている名前さん先輩はこちらをちらとも見ずに、そう言ってのけた。
辛辣だが、それすらも嬉しい。
俺、いつからマゾになったんだろうなあ。

「もっとなんかないんすか?我がままっていうか、欲しいものとか、食べたいものとか」
「…別に思いつかない」
「んー、じゃあ質問を変えるっす。名前さん先輩は何が好きっすか?」

我がままを言うのは難しい、という話を聞いたことがある。
それを教えてくれた人は、責任感が強く、人に頼ることを嫌う人だった。
人を使うことにたけてはいても、頼ることは決してしない、孤高の人。
それが赤司って言う人だ。

曰く、「頼ることは難しい。それをするくらいなら、自分ですべてやってしまおうという気になる」だそうだ。
分からないこともない、できないかもしれない人に頼るよりも、確実に時間がかかってもできるなら自分でやってしまいという気持ちは。
その方が安心だし、確実だし、堅実だ。

でもそれは、つまりは、信頼がないのだ。
「それって悲しいことじゃないですか」、と苦笑していったのは黒子だったか。
赤司はそれを聞いて、「すまない。そう言うつもりではないのだけど、そうなんだろうね」と返していた。

「…すきなもの」
「そうっすよ。たとえば、ケーキとか。俺ならバスケとかおしゃれとか、洋服とか、お出かけとか、あと名前さん先輩っすかね!」
「むずかしいね」

さらっと最後の一言はスルーされた。
まあ想定内だ。

好きなものを聞いたのは、単純に知りたいからという理由もある。
だけど、根本的な信頼関係という点において、知るという行為は大切だ。
我がままを言えるほど、俺らの関係は深くない。
それは重々承知している、だから少しずつの歩み寄りが必要だ。

名前さん先輩はコーヒーゼリーの原液を混ぜながら、眉根に皺を作った。
考えすぎだな、と俺は思った。
好きってもっと単純な思いのはずだ。

「…そもそも、好きってなんだろうね。基準が難しい。どこまで行けば好きなの?」
「そんなに難しく考えること、ないっすよ」

名前さん先輩は本当に考えすぎだ。
基準なんて作るべきじゃない、必要ない。
自分が直感的に思うことだ。

これは、もっと押していいのかもしれない。
知らないなら、教えてあげればいい。
俺は立ち上がって、名前さん先輩のもとへと向かう。

「自分がしたいこと、好きなこと、考えてください。好きになることは悪いことじゃないっすよ。大丈夫」
「…ちょっとよくわからない」
「名前さん先輩、逆のこと聞きますけど、嫌いなことってなんすか?」

カウンターに肘を置いて、名前さん先輩を見た。
いつもの無表情に、戸惑いの色が浮かんでいる。

怖がりで、臆病な名前さん先輩は好きになることから逃げている。
特別を作ることは、ある意味では弱くなるということ。
でもある意味では強くなる、なんてありきたりなことだ。

そしてそれと同じように、嫌いなものが好きになることも、よくあること。

「ちなみに俺は、ミミズ、嫌いっすね」
「そんなのでいいの?」
「もちろん」
「私、はね。人が嫌い。あと、辛いものも、あんまり。あとは、忙しいのも嫌い」

ちょっとずつ、考えながら。
名前さん先輩はぽろぽろと言葉を零す。
人が嫌いなのはよくわかっていた、まあ想定内。
辛いものと忙しいことが嫌いなのは意外だった。

これはきっと名前さん先輩の本音だ。
珍しくも、飾り気のない本音だ。

「あ、俺のことは嫌いじゃない?」
「君は人じゃないの?」
「はは…」

切り返しが上手すぎて泣きたくなった。
俺ピンポイントで嫌いといわれなかったことを喜ぶべきか、悲しむべきか。
俺は都合のいい男なので、どちらかというと、嬉しいのだが。

嫌いなものは、ひょんなことで好きになる。
ミミズはともかくとして、人ならきっと。



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