名前さん先輩はきっと俺が嫌いだと思う。
その嫌いの主成分は、羨望。
それに戸惑いと不明瞭さが含まれて、嫌いが構成されている。
俺は嫌われるのに慣れていないようで、慣れている。
光があれば、むろん、影だってあるわけで。
それを考えれば名前さん先輩の嫌い、なんて大したことなかった。
好きな人の嫌いは徐々に、可愛らしさのように感じてくる。
だから今日もまた、俺は名前さん先輩のもとに通う。
「最近、名前さん先輩疲れてません?」
「別に」
思うに、名前さん先輩はいつだって嘘をついている。
本音で生きるのを怖がっている。
臆病で小さな、かわいい名前さん先輩。
あの伸びた背筋が、虚勢だと知ったのはいつだろう。
それに気付いたとき、俺は失望するどころか嬉しく思った。
弱い部分は柔らかくて、可愛らしくて、傷つけないようにそこを守ってあげたいと思う。
そのためなら、いくら悪く思われたって構わない。
「顔色、悪いっすよ」
「だから何」
「外、雨降ってるんすよ。で、名前さん先輩、傘持ってないでしょ」
窓越しだとよくわからないと思うが、細い雨が降っている。
名前さん先輩は視線をちらと窓の外に向けて、眉根にしわを作った。
「借りるし」
「残念ながら、降り始めたのは結構前なんすよ。貸出、終わってます」
調べは万全。
傘の貸し出しが終了したという張り紙を入り口で、名前さん先輩が長らく図書室にいたという情報を司書さんからもらった。
逃げ道はしっかり塞がないといけない。
どんなに小さな穴からでも、名前さん先輩は逃げていく。
「そのまま濡れて帰ったら、風邪引くっすよ」
「…別にいい」
「よくないっす。それに本が濡れたら?」
「それはよくない」
自分の身体よりも本の心配をするあたり、名前さん先輩らしいというか。
眠たそうな濁った瞳、今日もバイトがあるのだろうか。
顔色が悪いのは本当。
真央さんから聞いた、名前さん先輩は今レポートに追われていると。
それでもバイトはいつも通り入っているようだから、そりゃ疲れる。
「あのさ、黄瀬君、帰ってよ」
「いやっす。ここは引けない」
まだ名前さん先輩は図書室にいるつもりらしい。
ならいくらでも待つ。
名前さん先輩の隣の椅子を引くと、名前さん先輩が立ち上がった。
「帰って」
「いやっすよ」
「じゃあ私が帰る」
名前さん先輩は机の上の本を持って本棚の中に消えていった。
俺はその後を追って、数冊本を奪い取った。
不機嫌そうな顔でさえ、綺麗だと思うあたり、完全に病気だ。
「何」
「手伝うっすよ」
「…もう、何なの」
「さあ、なんすかね」
最初は恋だったと思う。
いや、今も恋だろうか。
もうそれすらもつかめないくらい、ドロドロだ。
少しでもいいから、名前さん先輩が俺を頼ってくれたら。
それだけで、俺は舞い上がるほど幸せだと思う。
それだけのために、不毛な戦いだってする。
名前さん先輩が嫌がることだって、する。
「帰ってよ」
「ここまで来て、それを言うっすか」
「君と一緒になんて居たくないの」
それが本音なのか、嘘なのか。
俺は俺の都合のいい方にとらえることにしている。
名前さん先輩は嘘つきで天邪鬼で、本当のことを言えない人。
だから、絶対に引かない。
俺がしたいようにする、そうすることが一番いいと思っている。
「いやっすよ」
「どうしていうこと聞いてくれないの」
「本当に聞いてほしいと思ってるんすか?」
「思ってるよ。だから帰って」
まるで子供の言い合いだ。
お互いに頑固で引かないからこうなる。
でも俺が引いたら名前さん先輩はどうなる?
いつまでも逃げて逃げて、そうしてどこに辿り着くのだろう。
それを考えると、怖いから。
だから俺は名前さん先輩を追いかけ続ける、見失わないように。
見失えば、きっと彼女は消えてしまう。
助けないといけない、消滅から名前さん先輩を。
何で名前さん先輩を助けるために、名前さん先輩を傷つけなければならないのか。
その答えを俺は知らない。