早い話、私は彼が嫌いだった。
ずかずかと自分の領域に入ってこようとする彼が。
「あ、名前さん先輩」
「君、また来たの」
朝のバイトにまで来るようになった彼は、馬鹿みたいに元気だった。
前に私が作ったコーヒーゼリーが食べたいといっていたけど、まさかそれを実行しに来たのか。
「コーヒーゼリー作りました?」
そのまさかだったようだ。
それだけのために、朝からご苦労なことだ。
「まだ。今から作るから、ちょっとかかるよ」
「じゃあブレンドとチーズトーストで…これ終わったら学校っすか?」
「そうだけど」
コーヒーゼリーはこんな朝から出るわけじゃないから、開店した後に作る。
今日は雨だし、客足も遠のくから後回しにしていた。
しかし、注文されてしまったなら作るしかない。
私はブレンドコーヒーを抽出しつつ、ゼラチンを棚から取り出す。
アイスコーヒーに専用のシロップを加えて、混ぜ合わせる。
黒い液体の水面に、疲れた私の顔が映った。
「ブレンドコーヒー、お待たせしました」
「どもっす」
朝から爽やかな笑み。
爽やかすぎて吐き気がするのを抑えて、お盆を抱えて、踵を返す。
チーズトーストはまだ焼けないから、また来なければいけないのが苦痛だった。
どうしたって、私は黄瀬涼太と相いれない。
性格が、考えが、見た目が、環境が、違いすぎる。
一緒にいるだけで私が塵みたいに見えてくる。
ただでさえ、自分に自信なんてないのに、ちんけなその自信さえもすべて壊していく。
甘くなったコーヒーにゼラチンを入れて、よくかき混ぜる。
徐々に重くなるヘラを気だるげに持つ手は、あかぎれて汚らしい。
そんな手でつかめるものなんて、いつだって限られていた。
チン、と軽やかなトースターの音が遠くで聞こえる。
ヘラを置いて、そちらに向かう。
その最中にも、チーズのいい香りが漂っていた。
トースターを開けると、その香りがぶわっと蔓延する。
それを半分にカットして、皿に盛り付けて、彼のもとへ。
「チーズトーストお待たせしました」
「どもっす…先輩、今日何限からっすか?」
「3限だけど。1年は2限からでしょ」
「…よくご存じで」
うちの大学は、1年のうちはだいぶ多くの必修科目がある。
そのため、たいていの場合、2限は埋まっていることが多い。
1限がない日はなおさら。
彼も例外ではないようで、残念そうに肩をすくめた。
私は安堵しつつ、彼のもとを去る。
この情報を知らなければ、彼は講義をサボってでも私を待っていたかもしれない。
そう思うのは自惚れだろうか。
外れてほしい自惚れなんて嬉しくもなんともない。
カウンターに戻って、コーヒーゼリーの制作の続きを行う。
ゼラチンが溶けきったのを確認したので、あとは型にいれるだけ。
鍋からそのまま型に突っ込み、ちょっと底を叩いて空気を抜く。
あとはラップをして冷蔵庫へ。
一通りの作業を終えて、一息ついた。
お客様は彼だけ、やりづらいったらありゃしない。
仕事がなくなったら声をかけてきそうなので、何かしらしていないと。
そう思うだけで気が重い、どうして私は彼に振り回されなければいけないのか。
「名前さん先輩」
「何」
「俺のこと、嫌いっすか」
「そうだね」
私は黄瀬涼太が嫌い。
それは間違いないと思う。
平気で私は彼を傷つけるようなことを言う。
甘えだ、私は自分の弱いのを棚に上げて黄瀬君に当たっている。
それを笑って受け止めてくれる黄瀬君が私は怖い。
「そっか。それはよかったっす」
「君、マゾなの?」
「まさか!あ、でも名前さん先輩限定ならそれでも…」
よかったと、笑う黄瀬君が眩しい。
それを見るととても苦しくなる、私がどれだけ小さいかその光の下ではよく見えた。
「無関心通されるより、そうやって嫌ってくれるほうがいいっすよ」
「…そう」
無関心ではいられない。
そういられたなら、それが一番よかっただろう。
でも、そうまで私は器用じゃない、要領がよくない。
私と黄瀬君の間柄は奇妙だ。
絶対的嫌悪感を持った私と、無条件の好意を持った黄瀬君。
逃げる私と追いかける黄瀬君。
奇妙で歪んだ関係だけど、その縁を切れないのは黄瀬君だけじゃない。
コーヒーゼリーはまだ冷え切らない。