人は苦手。
私もそうだけど、人は皆、自分の世界を持っている。
それが自分と交わることを私は恐れていた。
自分の世界を変えられてしまうのが、否定されてしまうのが、壊されてしまうのが、私は怖かった。
だから、私は硬い殻で自分を覆って守った。
入れる人は、ごくわずか。
「ね、名前さん。名前さんに会いたいって人がいるんだけど…」
「…?」
「黄瀬涼太君って知ってる?」
そのごくわずかな友達の1人に唐突にそう言われたのは、2年の夏。
私は黄瀬涼太の名前をそこで初めて知った。
自分の世界に籠っている私は、一般的常識に疎い。
この場合の一般常識とは、教養面ではなくバラエティ的な部分の話だ。
黄瀬涼太という人はモデルで、入学当初は大学内で相当な話題になったらしい。
全く知らないと答えたら、友人にすら苦笑された。
根暗でネガティブの化身の友人は、意外と友好関係が広い。
どうやらサークルでその人に会ったらしい。
それで、なぜかよく一緒に帰っている私を紹介してほしいといってきた。
「あってみる?」
「いや…いいよ。興味ない」
「だよね」
その時は、それで話が終わった。
友人のいいところは、私の正確に理解があるところだ。
無理強いはしない、私の意見をいくでらも尊重してくれる。
自分の意見がないと自分を卑下する彼女だけど、私はそんな彼女だから好きだった。
その話をした、一週間後。
計ったように黄瀬涼太は私の前に現れた。
「あ、菜乃先輩!こんにちは!帰りっすか?」
「…黄瀬君、こんにちは。帰りだよ」
友人、菜乃と駅に向かう帰り道。
後ろから走ってきた金髪に止められた。
私は興味がなかったので、すかさずスマホを出して電車の時刻検索を始めた。
バイトの時間を考えて、電車に乗りたかった。
「名前さん先輩っすよね?はじめまして!」
やたらに元気な声が私をネット世界から引きはがした。
ニコニコと笑っている顔が眩しすぎた。
私はそれから眼をそらして、はじめまして、とだけ返した。
なぜ名前を知っているのか、謎過ぎた。
菜乃には悪いが、彼の世話は任せたい。
チャラ過ぎて私はついていけそうにない。
「菜乃、私バイトだから」
「え…うん、急ぐ?」
「うん。51分の電車乗りたいし」
「私もそれ乗る。じゃあね、黄瀬くん!」
菜乃も来るとなると、黄瀬君可哀そうだなと思った。
だけどそんなこと知らない。
その場はさようなら、を背中に受けつつ、彼から逃げた。
次に黄瀬涼太にあったのは、その1か月後。
今度はもう1人の友人を介してきた。
「ごめんね、蘭。面倒だったから連れてきちゃったよ」
「…真央」
「ごめんって」
その日は菜乃と真央と私で飲みだったのだが。
まさか黄瀬君が来るとは思っても見なかった。
菜乃も困り顔だった。
私は真央が来る前に頼んでいた梅酒をロックで煽った。
仄甘いアルコールが喉を焼いた。
「名前さん先輩って綺麗な髪してますよね」
「そう…?」
「長くて、黒いままで、綺麗だと思うっす」
「ありがと」
私は、この髪が嫌いだ。
黒くて長くて、気味が悪い。
しかし、それをそのままにしているのは、私がその黒髪に縛られているからに違いなかった。
それを綺麗という黄瀬の気持ちが、気持ち悪かった。
黄瀬君は長い長い道程を辿って、真央までたどり着いたようだった。
菜乃はサークルに参加しているが、私と真央はそういった類のことには参加していない。
黄瀬君は菜乃に構いすぎて、逃げられていたらしい。
「だって、黄瀬君、怖い…ぐいぐい来るし」
「まあ、菜乃はそうだね」
怖いと言われた黄瀬君はちょっとショックを受けたみたいだった。
誰しもが黄瀬君のファンみたいに、仲良くしたいと思っているとでも思っていたのだろうか。
だとしたら、馬鹿だ。
きっと彼は愚かしく幸せな人生を歩んできたに違いなかった。
だから、私や菜乃に嫌われる。
真央はともかくとして、私や菜乃は彼にいい印象は持たなかった。
「んで、黄瀬君はさ、アタシの元カレ伝ってまで蘭にあって、何がしたかったの?」
真央ははっきりものを言う。
乾燥無味系女子で、人のことをわかって傷つける人。
でも傷つけられるとわかっていれば、なんてことはない。
黄瀬君はそれを知らないから驚いているようだけど。
彼は少し考えて、笑った。
「名前さん先輩にお近づきになりたくて」
吐き気がするくらい幸せそうだった。
瞬時に菜乃の表情は固まり、真央はため息をついた。
私はただ無表情に、梅酒を煽っていた。
「名前さん、おかわりいる?」
「あ、うん。頼む。菜乃と真央は」
「私はいいや」
「適当に頼む…君は?」
真央は黄瀬君を見た、まだ帰らないのかって顔だった。
私も真央と同じ気持ちだ、お近づきになりたいなんて本当にやめてほしい。
私は近づかれたくなくて、逃げいているのに。
それをわかって追いかけてきているのか、否かは、いまだわからない。
「えっと、ジントニックで」
でも、この図々しさだけは評価しようか。
遠慮なく光り輝く恒星のような彼から逃げるように、私は濃いアルコールを嚥下した。