ななしさんは日陰に入って、おもむろにワイシャツのボタンを第三まで開ける。
白く華奢なデコルテがワイシャツの襟から見えていた。
そして、スカートのホックを取り、チャックを開ける。
「ってお前何してんだよ。俺別にお前と乱交しにきたんじゃねーよ」
「何考えてんの、エロガッパ。制服のままで身体動かそうとする馬鹿は青峰くらいだよ」
きつい一言とともに、スカートが膝下まで降りる。
…こいつはスカートの下にハーフパンツを履く派の女だった、腹立たしい。
スカート長めだなとは思っていたが、裾を折ったハーフパンツを忍ばせていたとは、邪道。
着ていたワイシャツの上から、体育着を被る。
そしてもぞもぞとその中で動いて、器用にワイシャツだけを取り出した。
女子の生着替えだというのに、まったく興奮しない。
「これでよし。ボールは?」
「ある」
ボールはあらかじめ持ってきた。
体育館裏には誰が設置したかもわからないオンボロのゴールとフィールドがある。
それは出来損ないのストバスのフィールドに近かった。
それでもまあ身体を動かす程度ならもってこいだ。
ななしさんはのんきにストレッチをしている。
その様子は完全に運動をしている人のそれだ。
「よし、じゃあやろう。ミニゲーム…は辛そうだけど」
「やろうぜ、ミニゲーム」
「辛いって言ってんじゃん。話聞け」
というか2人しかいないのに、1on1以外に何ができるんだよ。
まさか基礎練みたいなことをするとか言い出さないよな。
というか言いだしたら速攻で却下する。
ななしさんははあ、と大げさにため息をついた。
最近、こいつとの付き合いで分かったことがある。
押しに弱い。
「基礎練なんてしたかねーぞ」
「体育の授業をもう一回やるのは私も嫌。まーいっか。殺さない程度にやってね」
結局のところ俺は手加減を強いられている。
まあ、男女の差とか部活の差とかいろいろあるから当たり前だ。
ななしさんは軽くドリブルをして見せた。
その様子を見るに、少々期待してもよさそうだ。
審判もベンチも外野もない。
静かなミニゲームが始まった。
結論から言えば、俺が勝った。
少々手加減はしたが、さつきのいう通り女子にしてはうまい。
ドリブルもシュートも、その辺のストバス野郎どもと同等くらいの力がある。
そして、一番思ったのは。
ななしさんはバスケだけでなく、他の競技もこれくらいのレベルなのだろうということ。
つまるところ、ななしさんの強みはその基礎能力の高さにあった。
運動神経がいいってしまえばそれまでだが、俊敏さや女ならではの柔軟性、広い視野、冷静な判断。
それらもすべて兼ね備えている。
スポーツをしていないのが謎なくらい、できる。
「ななしさん、お前なんでスポーツしねーの?」
「っは…あー、逆に聞くけど、青峰は、なんでバスケなの?って、聞かれたらどう答える?」
「…それは」
「素直じゃないな。まあ、簡単に言えば、別にスポーツが好きなわけじゃ、ないから」
ななしさんはまだ荒い息を整えている。
途切れ途切れの言葉の中に、ナイフが仕込まれていた。
なんでバスケなの?の答え。
きっと2年くらい前なら即答できた、好きだから、と。
だが今はそういえない、そういえないような状況にある。
一瞬黙り込んだ俺を見たななしさんは、呆れたような顔をした。
その顔にちょっとむっとした、こいつ俺が答えないとわかって質問したな。
ななしさんがスポーツをしない理由は、好きではないから。
まあ妥当な答えだ。
いくら能力を持っていたって、やる気がない奴はお呼びでない。
今の俺みたいに。
「身体を動かすのは好きだけどね。強いられたくないから、趣味程度で十分」
「なるほどな。そりゃ楽でいい」
「でしょ?でもきっと青峰はこれじゃあ満足できないよ」
ななしさんはヘラリと笑ってそういった。
いったいこいつは俺の何を知っているのか。
だが、なんとなくななしさんのいったことが正しいのはわかっている。
ようやく呼吸が落ち着いてきたらしいななしさんは、大きく息をした。
深呼吸をして、立ち上がり、伸びをする。
「あー楽しかった!」
「そりゃよかったな」
「青峰は楽しくなかった?」
「そんなことねーよ」
全くよく笑うやつだ。
普段は眠そうにしているか、退屈そうにしているかなのに。
身体を動かすことが好き、というのは本当らしい。
まるで別人のような姿に少しだけ戸惑った。
楽しくなかった?と小首を傾げられて、ちょっと悲しそうにするものだから困る。
そんなところばっかり女になりやがって、狡い。
実際、まあ楽しかった。
楽しい!というには程遠いが、ゆるっと楽しめた。
これはこれでいいと俺は思う。
というか、今俺が求めているものはこれだと思えた。
本気にならなくて済む場所。
好きなときに、好きなだけできるバスケ。
本気のバスケはもちろん好きだが、これも悪くない。
「よかった。私だけ楽しんでたなんて悲しいから」
一緒に楽しめてたならよかった。
なんとなく、優しい言葉に思えた。
一緒という言葉を聞いたのは久しぶりだ。
個人プレイが多くなっていたこの頃は聞かない言葉。
なるほど、わかった。
俺が今日楽しいと思えたのは、ななしさんが一緒だったからか。
誰か一緒に遊んでくれるやつが欲しかったのか、俺は。
それは過去、テツがいた場所で。
黄瀬がいた場所で、さつきがいた場所で。
今はななしさんがいる。
「あちー…着替えんのめんど。家庭科室冷房きいてるといいなあ」
「家庭科室、くそ暑かったぞ」
「煮込み料理だからね、今日は。たぶん冷房はつけてるけど、効かないんだよ」
体育着の襟首を掴んで、バタバタしている。
それで空気が取り込めるかといえば微妙なところ。
米神に伝った汗が、開かれた襟首に落ちたのを見た。
あーとかうーとか言いながら、冷めやらぬ熱を持て余している。
こっちまで暑い。
「いい時間だね、青峰。もうできるころだと思うよ、ロールキャベツ」
こんなに暑いのに、食べるのはロールキャベツだっていうのが笑える。
いや笑えない。