ヒロインたちの昔話
「…あら、それ何かしら」

ナルシッサがルシウスの手から手記を取る。
不思議そうにその様子をルシウスが覗き込む、ナルシッサは手記から薄いノートを見つけた。
分厚い手記に挟まっていたので気づかなかったのだ。

「交換日記?…これ、いつのかしら。かなり昔のものよ、最初が1967年…」
「5歳か…誰と誰のだ?」
「…最初はセブルスと名無しさん 、少ししてからエバンスも入ってるわ」

名無しさん とセブルスが幼馴染ということは聞いていたが、本当に幼い頃からの付き合いだったらしい。
薄いノートは真っ黒で、子どもが使うような可愛らしいものではなかった。
サイズも子どもが書くにしては小さなものだ。

時には1ページ、少ないときには1行にも満たない交換日記。

「…セブルスは何かと理由をつけたがるな…、書き出しが交換日記を作った趣旨からだ」

呆れたようにルシウスが言う。
そういえば手記にも日記を貰った理由や、これからどうしていくかを明確に書いていた。


”1966年5月、名無しさん がまだうまく文字をかけないというので、教えるためにもこの交換日記を始めようと思った。”
”1966年5月、はずかしいのでそういうことはかかないで。これかられんしゅうする!”



いつのまにか母はいなかった。
いたのは父だけだった、家中ある一定の匂いで満ちていてどんよりとした空気が流れていた。
その匂いが酒の匂いだということに気づいたのはあの家から逃げ出した後のことだった。

昔から父は酒を飲み、気にいらないことがあるとすぐに暴力を振るった。
名無しさん はいつも元々母の部屋だった場所にいて、父の目の届かないようにしていた。
父は名無しさん の存在を周囲に認知させなかった。
だから、名無しさん という子どもがいて彼がそれをストレスの発散口にしているなど知りようも無い。

無論外には出してくれないから、とにかく家の中で静かに過ごした。
母の部屋にはたくさんの本があって、毎日それを読んでいた。
後もうひとつ、名無しさん には心の支えがあった。

「名無しさん 、」
「セブ、おはよう」
「おはよう」

近所に住む、セブルス・スネイプ。
彼は名無しさん を見つけ出して、それ以来ずっと遊んでくれている親友である。

母の部屋は家の裏側、あまり日のあたらない場所にあった。
そこは高い垣根に守られていて、外から様子があまり見えない。
実はその垣根の根元には穴があって、セブルスはそこからこっそりと名無しさん に会いにきていた。

「ノートは書けたか?」
「うん、でもへたくそだよ。大丈夫かな?」
「まあ僕しか見ないんだ、問題ないだろ」

最初にセブルスが名無しさん を見つけたときに、彼女は言葉を知らなかった。
今考えれば5歳にして言葉を知らなかったというのは酷い状況だったと思う。
ようやく人並みに言葉を発するようになった

お喋りが人並みにできるようになったら、次は文字を書く練習を始めた。
セブルスが持ってきてくれた小さな黒いノート、それはセブルスと名無しさん の交換日記だった。
学校に通っていない名無しさん にとって、先生はセブルスだった。
セブルス先生は、読み書きを覚えるために交換日記をしようと提案したのだ。

「よし、まあいいだろう。書くことが無いときは僕の真似でも良いから、とにかくたくさん書こう」
「うん」

名無しさん は嬉しそうに笑う、食事が1日1食でも、外に出してくれなくても、殴られても、セブルスさえ遊びに来てくれるなら何でも我慢できる気がした。

“1970年4月、リリーと名無しさん がであった。次からリリーもこの交換日記に参加する。”

セブルスは普段の街の様子や世の中のことなどの新聞に書いてあるようなことを毎日話してくれた。
ある日、セブルスはちょっと興奮した風に近況を教えてくれた。

「…最近僕らと同じ力を持つ子をみつけたんだ」

同じ力というのは、魔力のことだった。
名無しさん にもセブルスにもあるが、街の殆ど誰も知らない力。

セブルスの場合は母親が魔女だったから、魔法のことについての知識はあった。
名無しさん に最初に会った時に、彼女は魔法を使ってセブルスを排除しようと思った。
知らない人が怖かったのだろう、無意識のうちに魔法を使い、拒絶した。

言葉の通じない名無しさん にセブルスは懸命に事情を説明し、数ヶ月経って名無しさん は漸くそれを理解した。
ここは魔法使いが住む地域ではないため、魔法使いに会うことは滅多ない。
子どもなら尚更である。
それに、子どもは魔法を暴発させてしまうことも多いため、大人に怖がられたり忌み嫌われたりする。
名無しさん は後者で、彼女の父は名無しさん に何度も暴力を振るったが、いくら殴っても次の日にはその傷が治っていた。
それを良いことに、名無しさん の父は毎日のように暴力を振るったが…。

兎も角、その子との接触をセブルスは試みていた。

「へぇ…すごい」
「女の子だから、名無しさん のほうが話が合うだろ。同い年だし」
「女の子なんだ」

名無しさん は人見知りが激しいので、新しい子が増えるのが嫌なのだ。
セブルスはそれを知っていて、どうにか興味を持ってもらおうとした。

「名無しさん 、ここに連れてきても良いか?」
「…いいけど、でも、私、」
「大丈夫だ。彼女は明るいし、名無しさん のこと気に入る」
「うん…」

名無しさん は最後まで渋い顔をしていたが、結局頷いた。
セブルスが連れてきてしまえば、名無しさん は逃げる術を知らないのだから。
しかし、セブルスにも自信があった。

先日あった彼女、リリー・エバンスは明るく優しい性格だった。
妹思いで、それでいて魔法を使う僕に嫌な顔をしなかった。
きっと名無しさん のことも可愛がってくれる。
名無しさん には女の子の友達も必要だ、そうセブルスは考えていた。

「名無しさん 、おはよう」
「おはよう、セブ…と、えっと…」
「はじめまして、おはよう、名無しさん !私リリーって言うの。セブルスから話は聞いているかしら?」
「あ、はい…聞いてます」

次の日、セブルスは女の子を連れてやってきた。
リリーと呼ばれた少女は明るい笑みを湛えて、手を差し出してきた。
おずおずと名無しさん はそれを握り返し、ぎこちなく笑った。

リリーはそれを見て更に笑って、どうして敬語なの?と可笑しそうに聞く。
名無しさんは恥ずかしそうに俯くばかりだった。

リリーはセブルスの言うとおり、優しくて明るくてお姉さんのような存在だった。
名無しさんもリリーに慣れて、甘えるようになり3人は仲良しになった。


“1970年7月、今日も暑いわね。公園の水場はとても涼しくて良いわ。名無しさんも来れれば良いのに…”
“1970年7月、彼女の父親にばれなければ問題は無いと思うが”

「…ねえ名無しさん、外に出てみましょうよ!」
「え…?」
「だって、ずっとここに居るんでしょ?セブルスとも話してみたんだけれど、あなたのお父様に見つからなければ大丈夫よ。お昼は仕事に行っていらっしゃるって聞いたわ」

暑い夏の日だった。
リリーの唐突な言葉に、名無しさんはきょとんと彼女を見た。

名無しさんの知る外の世界は、セブルスたちが持ってくる情報と窓から見える高い生垣だけだった。
それをセブルスもリリーも可哀想に思っていて、どうにかしてあげたいと常々思っていたのだ。
そこでセブルスとリリーで名無しさんの父親の生活パターンを観察して、彼が居ない間に名無しさんを連れ出そうとした。
名無しさんは最初こそ不安に思っていたが、2人の説得に重い腰を上げた。

「う、ん…わかった、外に出てみる」
「やったぁ!公園の池のあたりにしようか、人も少ないだろうし…!」

名無しさんはリリーの持ってきたワンピースに袖を通す。
可愛らしい水色のワンピースで、涼しげでいいなあと名無しさんは素直に思った。
それを着て、生垣を這い出る。

初めての外は、あまりにも太陽が近くに感じられて、くらくらした。
生垣の外では見張りをしていたセブルスがいて、名無しさんの姿を見ると嬉しそうに笑みを溢した。

3人は公園で名無しさんにさまざまなことを教えた。
公園の遊具、池にいる鳥、冷たい川の水、疲れたら木陰で休むこと。
最初こそ怯えたようにしていた名無しさんも、徐々に慣れて最終的には楽しそうにしていた。
日が暮れる前に、名無しさんを家に戻してその日は別れた。


“1970年7月、今日はとっても楽しかった!2人ともありがとう!”
“1970年7月、どういたしまして!”



“1970年10月、名無しさんがいない、どこに行ったのだろう。”


その終わりは唐突だった。
秋のこと、名無しさんはいつものように父親に殴られていた。
もうこれも数年続いていることで大分慣れて、どういう風に身体を丸めれば痛くないかまでわかるようになっていた。

しかし、いつもと違うのは、その日家に居たのは父だけではなかったということ。
他の数人の男が、名無しさんが殴られているその様を鑑賞するかのように見ていた。
助けるわけでもなく、追い討ちを掛けるわけでもなくだた見ている男たちに名無しさんは気持ち悪さを覚えた。
一通り、父が名無しさんを殴り終わると、見ているだけだった男たちが動き出した。

「へえ、もう泣かないんだな」
「ああ。会話もろくにできん。後は好きにしろ」

その言葉を皮切りに、辺りにいた男たちが名無しさんの周りに集まる。
名無しさんはそこで漸く危機感を覚えた、何かされるのではないかと。
しかし、そう思うのが遅かった。
その輪から逃げ出そうと立ち上がったが、父親に取り押さえられ床に押し付けられた。

…その後は思い出したくも無いような地獄だった。
ありきたりなことだった、父が娘の身体を男に売ったのだ。
1週間ほど、名無しさんはその部屋から出してもらえなかった。


その間に名無しさんは男への嫌悪感と恐怖感、人への懐疑心、不信感を覚えてしまった。
リリーとセブルスに会った時、名無しさんは2人すらも触れず、特にセブルスに対する対応は酷かった。
セブルスが触ろうものなら、泣き叫び自虐行為に走った。


“1967年4月、ごめんなさい、ごめんなさい”
“1967年4月、大丈夫だ、ゆっくりでいい。また元に戻れるさ”

セブルスは名無しさんとの距離を保ちつつ、今までと変わらない生活をしようとした。
触れることだけは避け、朝に名無しさんの元に訪れ挨拶をして、昨日どのようなことが合ったかを話し、勉強をした。
リリーは名無しさんに触れることができたため、昼過ぎに来て名無しさんを寝かしつけていた。
名無しさんは夜になると、トラウマがフラッシュバックしてしまうらしく、眠れないようだった。

“1967年7月、ホグワーツからの手紙が来た。想定はしていたけれど家を出ることができるのは嬉しい”
“1967年7月、同じく!ママもパパも喜んでくれたわ。…ペチュニアは少し不機嫌そうだったけれど”
“1967年7月、私にも届いた。あの生垣の隙間から梟が届けてくれた。お父さんに渡らなくてよかった…”

夏休み、名無しさんは2人に連れられて外に出た。

セブルスとリリーが街の孤児院に掛け合って、名無しさんを保護してもらったのだ。
その頃には、名無しさんはどうにかセブルスには触れるようになっていて、3人で手をつないで孤児院に向かった。
シスターは優しい人で、セブルスとリリーの話を信じてくれて、名無しさんには触れないようにしてくれた。
名無しさんの部屋は1階の一番奥、人気の少ない裏庭の見える部屋だった。

「ふふ、ここなら夏休み中も3人で集まれるね!」
「うん…」
「もう大丈夫。学校では僕らがフォローする」

名無しさんはあれからあまり笑わなくなった、口数も減った。
それでも、2人には笑ってくれるし、話してくれる。


交換日記の最後の一文は、名無しさんの字だった。

“1967年9月1日、3人がいつまでも一緒に、幸せでありますように”



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