パパは1か月の休みが終わると仕事を始めた。
その1か月の間ロンドンを観光したり、家の模様替えをしてみたり、料理をしてみたりと楽しく過ごした。
パパとこんなに長く過ごすのは久しぶりだったから楽しかったし、うれしかった。
だがその反動か、パパの仕事が始まるとさみしくて仕方がなくなってしまった。
それに加えて、夏休み中で学校もないし、引っ越ししたばかりで友達もいない。
静かな家の中で本を読むのも勉強するのも苦痛で、しかも英国のテレビは面白くない。
そこで、パパにわがままを言ってみた。
「つまらないから、ダイアゴン横丁に行きたい」
「…1人でか」
「うん。だめ?」
引っ越してきてから1か月以上がたち、かなり暇を持て余していた。
ロンドンも日本人の子供1人で回るには危ないということもあり、家にこもりきりだ。
ロンドンがだめだというなら、ダイアゴン横丁ならどうだという考えだった。
ダメと言われても行くつもりだったが念のため、パパにダメもとで聞いてみた。
まあ、パパならダメと言われても行くだろうということを予想してくれるかもしれない。
パパは食事をいったん中断して、考えているようだった。
魔法使いの街もあまり治安が良くないのだろうか。
スープを行儀悪く口をつけて飲んでいると、ようやくパパは口を開いた。
「いいだろう、ただし大通りからあまり外れるな。この前いった喫茶店くらいまでにしておけ」
「ほんと?やった、約束する!」
さすがはパパ、私のことを分かっている。
どこに行くな、ではなくて、あくまでもここまでにしておけというラインを引いた。
とりあえずはその約束を守ろうと思える。
次の日、パパと一緒に家を出た。
漏れ鍋(あの薄暗いパブのことをそう呼ぶそうだ)までは一緒に行ってくれるようだ。
スーツ姿のパパは漏れ鍋の中では目立つということで、店の前で話をした。
「帰りは漏れ鍋にいろ。8時には迎えに来る」
「わかった。いってらっしゃい、パパ」
店の前で別れて、私は漏れ鍋の中に入った。
朝だというのに、人は意外と多い。
新聞を読む人、朝食をとる人、お喋りをする人、さまざまだ。
私はそれらの人を無視して、裏庭に出た。
そして、この前パパが杖で触っていたレンガを同じように杖で触れた。
私がやっても同じように開くのだろうかと心配になったが、杞憂に終わった。
レンガの壁はあの時と同じようにアーチ状になって、私を迎えてくれた。
この前に来た時よりも、人は多くなっている。
温かくなったからだろうか。
とりあえず私はもらったお小遣いを持って、本屋さんに行っていくらか本を買った。
そして、その本をもってこの前の喫茶店へ。
「こんにちは…」
「はい、こんにちは。」
あの時、例のあの人発言で硬直したお姉さんだった。
私のことを覚えていたのか、パパは?と聞いてきた。
今日は一人だということを伝えると、おすすめだという窓際の席に通された。
日の光が当たって温かい。
お姉さんはメニューとお水を持ってきてくれた。
「あの、あの時はすみません。私、知らなくて」
「いいのよ。ごめんなさいね、過剰に反応してしまって。あなた、マグル界から来たんでしょう?よかったら話を聞かせて」
一応あの時の謝罪をしておいた。
あの後、パパから例のあの人についての話を聞いた。
例のあの人は簡単に言えば大悪党で魔法界では名前を言うのもはばかられるほど恐れられている人だという。
人前でその名前を呼んだり、例のあの人というだけでも嫌な思いをする人がいるからやめなさいと言われた。
お姉さんはむしろ申し訳なさそうに謝っていた。
しかし、私と話をする約束をしてくれるところからも面倒見のいい人のようだ。
お姉さんにおススメを聞くとロイヤルミルクティーだというので、それを頼んだ。
私は本を開いて、ちょっと予習をしていた。
これはパパからの進言で、ヒマなら魔法界のことを知るだけではなくて勉強もしておくと入学してから楽でいいと言われたからだ。
もともと知らないことを知ることは好きなので、ちょっとずつ教科書を読み進めている。
それから羊皮紙と羽ペンに慣れるように、あえてそれを使っている。
平日の昼前ということもあり、喫茶店は静かだ。
お客は私しかいないようだった。
ただ、昼を過ぎると少しずつ人が増えてきたので、私は会計を済ませて外へ出た。
お姉さんにはまた来るかもしれないとだけ伝えた。
すると、うれしそうにぜひと言ってくれた、やっぱりいい人だ。
私は店を出て、大通りをうろうろしてみた。
箒の専門店のショウウィンドウには5,6歳の子供が張り付いていた。
その隣の文房具店に私は入った。
羽ペンを買ったはいいものの、持っている筆箱にはそれは入らなかった。
だから新しい筆箱を買おうと思ったのだ。
筆箱は羽ペンが2,3本入る程度の厚みのあるものが多かった。
今まで布製のものを使っていたからちょっと面白みがない。
仕方がなくシンプルな黒いものを買った。
これの表面を掘って、可愛い模様をつけよう。
次に向かったのはペットショップ。
私からすればペットショップというよりも、小さな動物園みたいだ。
犬猫は分かるが、フクロウやヒキガエル、蝙蝠などは普通のペットショップじゃ見られない。
そういえば、こちらの世界ではフクロウに手紙を持たせて文通をするらしい。
電話のないこの世界ならではの通信手段なのだという。
そうだとしたら、フクロウは飼うべきなのではないかと思うのだが、パパはそのあたりどう思っているのだろう。
「あ、フクロウですか?いいですよ〜可愛いですよ〜」
「わっ…えっと、大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫ですよ、いつものことなんです」
私がフクロウのブースを見ていると、店員さんが角から現れた。
足元には犬がまとわりつき、腰のあたりには爪を立てた猫がぶら下がり、肩には猫がマフラーのように巻かれ、指先には蝙蝠が止まり、頭にはフクロウが寝ている。
とんでもない店員がいたものだ。
いつものこととはいえ、普通に考えれば肩こりとか腰痛とかに悩まされそうだが、それは構わないのだろうか。
分からないことだらけだが、分かるのは彼が動物好きなのだろうということだ。
「どの子もいい子ですよ〜フクロウとミミズク、どちらのほうが好きです?」
「えっと…」
そもそも、フクロウとミミズクの違いが分からない。
動物園で見たような気がするが、明確な違いが分からないから答えようがなかった。
店員さんはフクロウのほうが丸っこくて女の子には人気ですよ〜などと言っていた。
とりあえず店員さんの話を右から左に受け流しながら、様々フクロウを見て回った。
私的にはフクロウよりも猫のほうが買いたいのだが、まあ利便性を考えればフクロウだろう。
色は茶色系が多いが、中には白い子もいた。
耳みたいな長い羽根が出てる子やメガネみたいな模様がある子、大きさも手のひらサイズから私の頭と同じくらいのサイズの子もいる。
一通りフクロウを見て、そのあと猫を見て回った。
なんだか私の知っているネコよりも一回りくらい大きい子が多い。
ケージの端にある品種や性格の書いてあるシールをみると、ニーズルとの混血種と書かれている子が多かった。
ニーズルとはなんだろうと疑問に思ったが、あの店員に話を聞くと長くなりそうな気がしたので、あとで調べようとメモをしておいた。
動物まみれの店員のいるペットショップを離れ、本屋に行き、立読みをした。
立読みをしていたが、いい加減立っているのに疲れて、もとの喫茶店に戻った。
1日に2度も来るのは恥ずかしかったが、お姉さんは笑顔で迎えてくれた。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま…です」
「アフタヌーンティーはいかが?スコーンが焼き立てなの」
先ほどよりも人は増えていたが、店内は静かだった。
客たちは1人で来る人が多く、新聞を読んだり本を読んだり作業をしたりという人が多い。
中には2人できている人もいるようだったが、少しいづらそうにしていた。
どうやらこの店は、お喋りをしたりするための賑やかな店ではなく、一人向けの静かな店であるらしい。
私は先ほどとは違う、カウンター席の真ん中に座った。
端には初老の男性が新聞を広げ、片手には白地に青の模様が描かれたカップを持っていた。
カップの中の模様は時折風に揺られるようにそよいでいた。
お姉さんが、注文を取りに来てくれたのでセイロンとスコーンを頼んだ。
注文用紙はカウンターの奥にいた気難しそうなおじさんの手元へと飛んで行った。
あの人がマスターなのだろう。
「ダイアゴンを見てきたの?」
「はい。文房具とかペットショップとか」
カウンター越しにお姉さんが小声で話しかけてくれた。
どうもヒマなようだ。
私は回ってきた店を述べていった。
今の時間は16時、回った店は3店舗だけ。
1店に案外長くいたのだなと思った。
「ああ、ペットショップのお兄さん、すごかったでしょう」
「はい…あの人、有名なんですね」
「ダイアゴン横丁の名物ね。たいていの人はフクロウをあそこで飼うから有名なの」
お姉さんはペットショップのお兄さんの話を始めた。
あの人はダイアゴン横丁ではかなり有名らしい…変人として。
動物好きで動物にも好かれやすい体質の人らしく、毎日あの店でたくさんの動物に囲まれて過ごしているんだとか。
「ペットを飼う気はないの?」
「欲しいなとは思いますけど、迷っていて。ネコかフクロウか」
「なるほど。私のお勧めは猫だけど、お手紙を書くならフクロウよね」
お姉さんはううん、と唸った。
そういえば、お姉さんの腰エプロンの端には猫のワッペンがしてあった。
多分猫好きな人なんだろう。
ネコを飼うならば、白猫がいい。
毛の短い白猫…うちの家には黒いものが多いからきっと目立つけれど、上品そうで可愛い。
とりあえず、パパに話を聞かない限りは飼うかどうかも決められない。
というか、あの家はペットOKなのだろうか…、少なくとも近所にフクロウを飼っている人はいなさそうだが。
…フクロウって肉食だけれど、何を食べるんだろう。
そこまでたどり着いてしまって、慌てて考えるのをやめた。
美味しい紅茶とスコーンが台無しだ。
お姉さんとはそのあと、動物の話で盛り上がった。
やはりお姉さんは猫好きだったようで、先ほど疑問に思ったニーズルについて詳しく教えてくれた。
簡単に言えば、魔法界の猫でかしこく、長生きなのだそう。
色はオレンジがかった茶色が多く、長毛種。
私はそこで、「長靴をはいた猫」を思い出した。
「もう5時だけれど帰らなくて大丈夫?」
「えっと、パパが迎えに来てくれるのが8時だから…それまでいても平気?」
「あら、ここ閉店が7時なのよ…そうねえ」
かれこれ数時間も居座っているからちょっと申し訳ない。
お姉さんはときどき注文を取りに行ったりお皿を洗ったりするものの、それ以外の時は私のお喋りの相手になってくれている。
7時が閉店だというなら、その前には別の場所に移らなければ。
私がそう思っている傍ら、お姉さんはちらりと後ろを見た。
お姉さんの後ろにいたマスター(らしい)人の無愛想な顔についた堅そうな唇が開くのを私は初めて見た。
「…なら、いればいい。作業の邪魔にはならないだろう。モネ、8時に漏れ鍋に着けるように送って行ってやれ」
「はぁい。閉店作業の時はちょっと落ち着かないかもしれないけど、いい?」
お姉さんはモネという名前らしい、どこかの芸術家と同じ名前だ。
そんなことはどうでもいい、なんて親切な人たちなんだろう。
図々しい私はそれに甘えてしまうぞ、いいのか。
「私は全然大丈夫ですけど、いいんですか?」
「ええ。私も帰りは漏れ鍋で煙突飛行だから方向は一緒だし。閉店作業もそこまですることはないから、たぶん8時には漏れ鍋に着けるわ」
何やら聞きなれない言葉が唐突に出てきた。
煙突飛行ってなんだと思いながらも、丁寧にお礼を述べた。
もうこの店はお気に入り決定だ、通おう。
窓の外は真っ暗になっていた。
小通りのランプはオレンジ色の光をともしており、温かみがある。
私はぼんやりとその光景を見ていた。
間もなく、7時。
気が付くとお客は私だけになっていた。
なんとなくさみしいような気分になる。
お姉さんはなにやら店の端にあるレコード機をいじっていた。
少しすると、それからファンキーな音楽が流れ始めた。
ファンキーというか、あれだ、デスメタル。
「ごめんね、私こっちのほうが好きなの」
「気にならないから大丈夫です」
嘘だ、ものすごく気になる。
だがお姉さんの趣味だろうし、私は何も言えない。
マスター(さっきそうだと紹介を受けた)はちょっと怪訝そうにモネさんを見ていたが、何も言いはしなかった。
「あの、お手伝いできることありませんか」
「え?いいわよ、お客様なんだから座ってて」
「でも、ヒマですし…」
そのあと数分粘って、テーブル拭きの仕事をもらった。
アルコールスプレーと布巾を持って席を綺麗にして回った。
お姉さんはその間にてきぱきと床を掃いて、マスターは機械を掃除していた。
言っていた通り、8時の前にはすべてが片付いて、3人で店を出た。
「ああよかった、8時前よ」
「本当にありがとうございました」
「いいのよ、また来てくれる?…意外とヒマなの、話し相手になって?」
「はい、ぜひ」
お姉さんは後半部分をマスターに聞こえないようにこそっと耳元でいった。
それがおかしくて、少し笑ってしまった。
マスターは聞こえているのかいないのか分からない、相変わらずの仏頂面だ。
「ななしさん、」
「パパ!おかえり〜」
「…そちらのお二方は?」
カラン、とベルの音が鳴ったので扉の方を見た。
そこには朝は来ていなかったローブを羽織ったパパが立っていた。
多分ローブの下はスーツなのだろう、朝見た革靴が足元で光っている。
パパは私を見て、その後ろの2人をちらりと見た。
この前会っただろうに覚えていないのだろうか。
今日1日お世話になった前に行ったことのある喫茶店の人たちだと伝えたら、ああ、と思い出したように言った。
ボケるには少々早いと思う。
パパは世間話をするように、娘がお世話になりましたと言っていた。
それに対してお姉さんやマスターがいえいえと答える。
日本でよく見かける風景だ、英国でも見られるとは。
「じゃあね、ななしさんちゃん。また来てね」
「ありがとうございました。また行きます」
お姉さんとバイバイして、パパの手を握った。
外は真っ暗で、スーツを着た人たちが歩いている。
パパはローブを脱いで、鞄にしまった。
明らかに鞄の容量オーバーなのにさっと入ったのは、これにも魔法がかかっているからだろう。
「今日は何をしていた?」
パパはそう話を切り出した。
いつもなら家のリビングで出してくる話題だ。
私はスズランのような形をした街灯を見上げていたが、パパのほうを見直した。
パパは話し始めないでこちらを見ている私の頭を乱暴に撫でて、さっさと話せといった。
私はくしゃくしゃになった髪を整えながら、話し始めた。
喫茶店のお姉さんとマスターのこと、文房具屋で筆箱を買ったこと、ペットショップのお兄さんのこと…話をしているうちに家に着いたが、それでも話すことは尽きなかった。
「そうだ、パパ。ペットどうしよう、ってか飼える?」
「大丈夫だ。そうだな、フクロウのほうがいいだろう」
「でも猫飼いたい」
ペットショップの話をしていて思い出した、ペットをどうするのか。
一応この家でペットを飼うことは可能らしい。
というか、禁止されていても魔法を使えば絶対ばれないと豪語された。
パパはフクロウを薦めてきた、私的にはフクロウはちょっと怖い。
主にエサのことが心配で飼える気がしないのだ。
「猫も悪くはないが、フクロウにしておけ」
「えー…」
「でないと手紙を送れないだろう」
「…パパ、手紙欲しいの?」
パパはやっぱりフクロウ推しらしい。
珍しく必死だなと思ったら、ぼろを出した。
私がニヤニヤしながらパパを見ると、不機嫌そうにこちらをにらんできた。
そんな顔されたって怖くない。パパは素直じゃない。
「悪いか」
「悪くない、そういうことならフクロウにするもん」
こうして我が家はフクロウを迎えることになったのである。
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