28.GET WELL
眼が覚めると、見慣れない白い天井がぽっかりと浮かんでいた。
こちらに来てから黄色い天蓋を見ていたから、違和感があった。
鼻につくような匂いは、消毒剤のにおい。
ここは医務室だと気づくのに数分かかった。

そして、なぜ自分がここにいるのかをゆっくりと思い出す。
思い出して、怖気がした。
あの気持ちの悪い生き物、トロールに私は吹っ飛ばされたのだ。
よく生きていたなあと感慨深くなり、また別の怖気に襲われる。

…パパになんて言い訳をしよう。
こんな無茶をしたと知ったらパパにお小言を言われることだろう。
うまくやれといわれていたのに、このザマだ。

あの場で逃げていればよかったのだろうか。
そうすれば少なくともこうならずにすんだけれど。
でも、あの場で1人逃げ出す自分の姿を想像できなかった。
きっとパパもできないだろうと思う、やっぱりあそこで無茶をしてこそ私だ。
とりあえずそういうことにしておく。

「おや、起きたのですか!どこか痛むところはありませんか?」
「あ、おはよございます。だるいですけど、どこも痛くないです。ありがとうございます、さすがマダム」
「…それだけのお世辞が言えるのであれば大丈夫ですね」

呆れたような視線を投げかけてくるマダムに苦笑を零した。
半分は本音だったのにひどい話だ。

マダム曰く、私は肋骨を数本折り、それが少々肺に刺さったそうだ。
マグル界でいう重傷者に相当するような怪我だが、一日の寝ているだけで治るのだから魔法は偉大だ。
…そう私は丸一日寝ていたらしい。
その間に、セドリック先輩やルイス先輩、ハンナたちに、スピカ先輩まできたらしい。

スピカ先輩が来たということは確実にパパにこの事件が知れているということ。
まあモンスターペアレントではないだろうし、学校に乗り込むことはないと思うが何をしでかすか分からないからちょっと怖い。

「みなさん心配していましたよ」
「あー、はあ」
「その様子だと、面会しても大丈夫そうですね」
「あ、大丈夫です」

軽くそういったのを後悔するのは、たった一時間後のことだった。


香るのはフローラルな花の香り。
いやはや、この消毒剤の匂いに満ちた部屋の中では癒しだ。
そんな現実逃避を頬に当たる女性特有の柔らかさの中でしていた。
男なら大喜びだろう、私も普段なら大喜びだけどいかんせん長い。

「ああ、ななしさん…!よかったわ…」
「ご心配をお掛けしました…」
「姉さん、いい加減にしたら?話進まない」

会話が3回ほどループしたあたりで、今まで空気だったアルが口を開いたことでループと熱い抱擁から解放された。
名残惜しそうに離れるスピカ先輩の顔ったらなかった。
男ならイチコロだろう。
女でよかった。

ようやく冷静さを取り戻したスピカ先輩は、ごめんなさいね、と全く心のこもっていない建前だけの言葉を前置きにして、椅子に戻った。
そして、傍に置いていた鞄から2通の封筒を取り出す。
そこにかかれた綺麗な筆記体をみて、私はそれから眼をそらした。

「ななしさんのお父様からのお手紙よ」
「…はは」

私の口からは乾いた笑いしか出てこなかった。
スピカ先輩は、1通はレギュラスさんから、もう一通がパパからだと説明した。
なぜレギュラスさんからの手紙があるのかは、謎だったがとりあえずはそれから開いた。
パパの手紙は開くのがちょっと怖かったからだ。

レギュラスさんからの手紙は、心配の言葉から始まり、本件はもし何かあったらスピカ先輩を通じてこちらに連絡するようにという旨だった。
どうもパパがブラック家にいるらしい。
仕事はどうしたんだ、パパ。

読み終えたその手紙を丁寧に時間をかけて畳み、もう一枚の封筒を睨む。
そして、意を決してシーリングをはがした。


親愛なる我が娘へ

お前が無茶をしたと聞いた
全く馬鹿としか言いようがない
だがそれ以上に馬鹿なのは俺だろう、大怪我をした娘にかける気の効いた言葉の1つ思い浮かばないのだから

とにかく、無事でよかった。


どうやら、相当心配を掛けてしまったようだ。
よもやあの嫌味の権化が何も言えなくなるとは。

「やばい…これなら馬鹿にされた方がまだましだって」

これはちょっと私も堪える。
本当に申し訳ないことをしてしまった。

「先輩、紙とペン借りていいですか」
「そうくると思ったわ」

へたをしたら私よりも弱っているパパに、手紙を出さなければ。

その場で書いた手紙は、スピカ先輩に頼んで届けてもらうことになった
2人は明日も来るといって、帰っていった。
今から手紙を出して、いつパパのもとに届くだろう。
早く届くことを祈るばかりだ、パパは意外と豆腐メンタルみたいだから。

スピカ先輩は私が書いた走り書きの手紙を持って医務室から去っていった。
去り際にもギュッと抱きしめられて、本当に可愛がられているのだなあと他人事に思った。


スピカ先輩たちと入れ替わりできたのはディゴリー先輩たちだった。
どうやら廊下で彼女達とすれ違ったらしい、ルイス先輩は不機嫌そうだし、ハンナたちは戸惑いの色を浮かべていた。
私はその様子を見て苦笑するほかなかった。

「ななしさん、具合はどう?」
「もうぜんぜん痛くないですよ。念のため入院してるだけです」

皆を代表してディゴリー先輩が口を開いた。
ありきたりな定型文に苦笑の色を濃くして、笑い返す。
入院というのは仰々しいと思えるほど、元気なのである。
この元気さが他人に伝わらないというのは不便な話だ。
どう頑張っても人の痛みは人に伝わらない、逆も然り。

しかし、私の言葉に皆はほっとしたようだった。
私の顔色がそう悪くないことだとか、声音がいつもどおりだとか、そういった目に見える点も、私の言葉に後押しをしている。
手紙でしかやり取りが出来ないパパには伝わらないのがもどかしい。

「ってかななしさん、何があったんだ?色んな憶測が飛び交ってるけど、結局の所なんだったんだ、この事件は」

私の安否を心配するディゴリー先輩とは違った目線を持っていたのはルイス先輩だった。
彼はこの事件の真相が気になっているらしい。
被害者の身体状況よりも、事件のことが気になるという点において、ルイス先輩は八フルパフ内で一線を駕していると言えるだろう。

被害者に事件の事を聞くということは少々失礼というか無粋だ。
それを感じ取ったのか、ディゴリー先輩は少しだけ怪訝そうな顔をした。
ただ、被害者たる当人、私はあまり気にならない。

私がルイス先輩であったら、聞きたかった事だろう。
本当に聞くかどうかはさておきとしても。

「今はどんな噂が?」
「トロールが侵入して、馬鹿なグリフィンドール生が見物しに行って、それに間抜けなハッフルパフ生が巻き込まれたって事になってる」
「大体あってますね」

大方あってる。
馬鹿かどうかは別としても、ハリーたちは無謀であったし、私も間抜けだった。
しかし、それはその言葉どおりの意味を持たない。
私は間抜けでよかったと思うし、ハリーたちも馬鹿で良かったと思うだろう。

ルイス先輩はいまだ釈然としない顔をしていたが、ディゴリー先輩からの視線に口をつぐんだ。
私もこれ以上は話すつもりはない。
後の解釈は個々人に任せるのが一番だと思う。
結局の所、事実は真実に成るとは限らないのだから。

「というか、ななしさん、何でブラック先輩達と仲がいいの?」
「親同士が知り合いだから、学校に来る前から交流があったの。でも寮が違うからちょっと隠してただけ」

ハンナが恐る恐る聞いてきた事は、想定の範疇の質問だった。
廊下であったらしいことは分かっていたし、その関係を問いただされるのも想定済み。
ハンナはそれを聞くとそうなんだ、と一言言うだけで済ませた。
今まで説明が面倒だからと隠してきたが、いざその質問を投げかけられて答えてみればなんてことはなかった。
といっても、今、この状況下だからそこまで深く突っ込まれずにすんでいるということは確かだ。

スーザンは私の為にと授業のノートをまとめた羊皮紙をくれた。
この面子の中で最も有意義なものをくれたと思う。
マダムに見つかったら起こられるかもしれないが、嬉しい。

彼らは夕食の時間に現れたマダムによって、退出を余儀なくされた。
また明日も来るから、と言い残していった。

彼らが去ると、医務室内はシンと静まり返る。
久しぶりの1人の静寂にちょっとだけ心地よさを感じたのは秘密だ。
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