10.OLD BOOKS & ICE

昼下がりの本屋さん空いている。
きっとみんなお昼を食べに行っているのだろう。
私のいる小さな古本屋さんは本と私と店長さん以外に誰もいない。
煩い雑踏からも離れ、店の中には音楽すら流れてない。
聞こえるのは、店長さんが本のページをめくる音と棚の上の猫の寝息くらいだ。

かび臭いような紙のにおいが私は好きで、ダイアゴン横町の大通りにある新品の本を置いてある大きな店よりも、この古本屋のほうが好きだった。
私は古めかしい革張りの、金の字が書かれている背表紙を撫でた。

「あら?ななしさんちゃん?」

キンと耳につくような沈黙を緩やかに破ったのは、穏やかな高い声だった。
煩すぎず、滑らかに耳に届いたその声に振り返ると、見覚えのある黒髪が逆光の中光って見えた。

扉側にいるその人を私は目を細めながら確認する。
いつだかの、ブラックさんの娘さん。
私よりもちょっと年上の、ええと、名前は短かった。
弟君がいて、アル君だっけ…。

「こんにちは、」
「スピカよ。ふふ、お久しぶりね」

そう、スピカさんだ、ごめんなさい。
私が名前を忘れていたのに気づいたらしい、すごい。

スピカさんは長い黒髪をポニーテールにして、膝丈のワンピースに白いボレロ。
手には鍔広の白い帽子があって、いいところの御嬢さんって感じの見た目だ。
実際いいところのお嬢さんだから、こういう格好をしているのだろうか。

私は手に持っていた本を本棚に戻した。

「ごめんなさい、お名前忘れちゃって」
「いいのよ。…それにしても随分本が好きなのね、この店にいるなんて」
「父譲りです」

私の家には書庫がある。
そうでなくてもリビングには大きな本棚が2つもあるし、寝室にもたくさんの本棚がある。
家中の本を出したら、何冊くらいになるだろう。
数えたこともない、それくらいにたくさんの本がある。

パパが年間に読む本の数を私は知らない。
パパはいつだって本を持ち歩いているし、暇さえあれば読んでいる。
文庫、新書、ハードカバー、雑誌まで、あらゆる本を読んでいる。

その本の虫が娘である私にも遺伝しているし、本がある日常が私の日常だ。

「なるほど。今はどんな本を読んでいたの?」
「魔法界の童話集です。妖精とかの挿絵があって可愛いです」

今手に取っていた黒い革張りの、金字の背表紙の本は『魔法界童話集』というタイトルそのままの本である。
童話集にしては分厚い様相のその本の中身は、さまざまな時代、地域の童話が盛り込まれている。
そして、何より魅力的なのは、その付録の妖精図鑑。
妖精の挿絵とともに、その妖精の特徴や性格、生活様式などが書かれている。
興味深い代物だが、なかなかに値段が張る逸品である。

「あら、いいわね。可愛らしい。…買わないの?」
「なんだか買ってしまうのは申し訳なくて」

申し訳ない?と小首を傾げたスピカさんはとてもかわいらしかった。
妖精に居そうだ、眼の保養。

そういった下種な考えを隠すように、私は自分なりの意見を説明した。
お金がないというものあるけれど、私の部屋に閉じ込めておくには可哀想なほど魅力的な本だから。
こういった本好きの集まる店でたくさんの人に読まれている方がいいと思うのだ。
そう思って、私は本棚に本を返した。
そこがこの本の居場所なんだと私は思っている。

変わっているといわれればそれまでだ。
私はそう思う、それだけのこと。

「素敵ね」
「そうでしょうか?」
「そうよ。素敵な考えだわ」

素敵なのはあなたです、と言いたくなるような万遍の笑みで、スピカさんはそういった。
私は自分の考えを素敵と言われてまんざらではない。
えへへ、と照れ笑いをすると、スピカさんは上品にふふふと笑った。
これが私とスピカさんの差である、泣ける。

「これから暇はある?よかったらお話ししましょう」

こんな丁寧なお誘いは初めてで、ちょっと戸惑った。
日本でなら、ななしさんちゃん!って言いながらランドセルを投げてきて、私が大打撃を受けて何って聞くと、何でもない!うそ!あそぼって言ってくる天邪鬼とか、お前ってキングスライムに似てるよなって至極失礼なことを言い出すやつとかしか知らない。
それにしても私がキングスライムってどういうことだ、そんなに太ってないぞ。

ともかくそんな品も常識もないやつらとかかわってきたから、こういう上品な問いかけの答えなんて持ち合わせていない。
行きますってことを伝えるのがこんなにも難しいとは。

「はい」

結果、万能な丁寧語、Yesを乱用することに決めた。
一番無難な返事だろう、うん。
スピカさんはこれまた綺麗な微笑で、じゃあ行きましょう、と私の手を引いた。
上品すぎる白い指を私は無骨に握りしめた。


「ななしさんちゃん、甘いものは好きかしら?」
「大好きです」

おっと、本音が。
ダイアゴンの小道を、日傘をさして歩くスピカさんは上機嫌そうだ。
日傘の恩恵を半分ほど享受している私は、スピカさんに連れられるがまま道を進んでいた。
陽炎の立ち上る煉瓦道を歩くこと10分弱。
ついたのは赤と白のストライプの庇の付いた店だった。

「ここ、ジェラートがおいしいのよ」

立て看板に書かれていたのは、アイスクリームの絵。
中に入ると、クレープやらアイスやらクッキーやらが売られていた。
どうやら先に注文を頼むタイプらしい。
スピカさんは迷わずアイスクリームのショーケースのほうへ向かった。

そこには色とりどりのアイスが並んでいた。
外国製のお菓子は色とりどりすぎて食欲を無くすようなものもあるが、アイスは平気だ。
アイスクリームは不思議な食べ物だと思う、どんな色をしていても許せる。

「わあ…ニンジン?」
「あら、いいところに目を付けたわね。ここ、野菜のアイスで有名なの。おすすめよ」
「そうなんですか?じゃあ、ニンジンとリンゴにしようかな…」


その中でも、色鮮やかなオレンジを放っているアイスのプラカードを見ると、キャロットと書いてあった。
その隣は、リンゴ、トマト、ポパイ、中にはピーマンまであった。
私はその中からニンジンとリンゴを選んだ。
スピカさんはトマトとかぼちゃを選んでいた。
お会計は華麗にスピカさんが済ました、ありがとうございます。

「ありがとうございます」
「いいのよ、誘ったのは私だもの」

アイスを受け取って、窓際の席に座る。
二階席の窓際は、少し遠くの景色まで見える。

アイスはおいしかった。
素朴な味で、さっぱりしていて、食べやすい。
イギリスのお菓子は甘ったるかったり、べたべたしたりするものが多くて当たりはずれが大きかったが、これは大当たり。
さすがはスピカさんである。

「気に入った?」
「はい、とっても」
「よかったわ、喜んでもらえて」

この人が13歳だなんて世界はどうかしていると思う。
あと5歳くらいは年上に見える。
穏やかに笑うその姿を見て、私はちんちくりんな自分を思い出して神を呪った。

アイスは早く食べないと溶けてしまうので、無言で食べる。
食べ終わって、ようやく話ができるようになるまで数分かかった。
これは少々誤算だったのだろうと思う。
ただ、その誤算を誤算と思わせないのがすごいが。
私なら気まずさが前面に出てくるのだが、スピカさんはそんなことは全くない。

「そうそう、ななしさんちゃん無理して敬語を使うことなんてないわ」
「…ばれてました?」
「すごくよそよそしい感じがするもの。使い慣れてないからね」

本物の敬語を使う上品なスピカさんにはバレバレだったようだ。
にっこり笑うその笑顔は少々怖い。
使わなくてもいいというか、使うなと言いたいのだろうことがうかがえた。

そう言われては言いなれない上に聞き苦しい私の敬語なんてない方がいい。

「スピカさんは全然違和感ないね」
「そりゃあ、使い慣れているもの。嫌でもこの口調よ」

スピカさんはスピカさんなりの苦労があるようだ。
確かに大変なんだろうなあとは思う、想像もつかないが。

「ななしさんちゃんはそちらの口調のほうがいいわ」
「私もそう思う」

私も自分の敬語に鳥肌を立たせながら話していたのだ。
きっと聞いていたスピカさんもあまりいい気分ではなかったことだろう。
だから、スピカさんが敬語なしって言ってくれた時はうれしかった。

そんな私にはひとつ、スピカさんに変えてほしいものがある。
ただ私は話すのがそううまくないから、それを伝えられずにいる。


話はとんとんと進み、魔法界のこととか家のこととかをいろいろ教えてもらった。
それから、学校のことも。
スピカさんはスリザリンなのだそうだ、ちなみに家系的なものらしい。
家族全員、スリザリンの出自とのこと。

「ブラック家でスリザリンじゃなかったのは、シリウスおじ様くらいね。でも、あの方らしいわ」

例外として、彼女のお父さんのお兄さんであるおじさんがいるらしい。
なんだか親族が多くて羨ましいなあと思うばかりだ。
私の親族はパパしかいない。

スピカさんの弟であるアルタイル君もおそらくはスリザリンだろうといっていた。
私はどこの寮に入ることになるのだろうと考えたが、まったく思いつかなかった。

「あら、もうこんな時間ね。そろそろ行きましょうか」
「あ、うん」

気付けば二階席の窓から見える景色は、赤く染まっていた。
スピカさんはカバンにつけていた懐中時計をさっと見ている。
どこまでもスマートな人だなあと思いながらその様子を見ていた。

席を立って、アイス屋さんの軒下でお別れすることになった。
二階席の窓から見えた景色の中に、いつものカフェシルヴィオが見えたからだ。
ここから歩いて数分もない位置だった、全然気づかなかった。

「とても楽しかったわ。またおしゃべりしましょ、ななしさんちゃん」

タイミングというのは唐突に降りてくるものだ。
ひらめきなんかと同じだと思った。

「うん、またね、スピカさん!あと、私のことはちゃん付けじゃなくて呼び捨てにしてください!」
「あら、そう?じゃあななしさん、またね。私のことも呼び捨てでいいからね」

子どもらしく元気よくそう言って軒下を出た。
なんだか気恥ずかしいから、早くその場を去りたかった。

スピカさんは今日初めて見る顔をしていた。
驚いた顔だ、それすらも可愛いのだから世の中不平等である。
でもすぐに笑顔に戻って、夕日で赤くなった唇がゆったりと言葉を紡ぐ。

最後の一言だけは守れそうにない。
そう思いながら、いつものカフェシルヴィオに向かって煉瓦道を歩いた。
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