黙々と壁を崩していくうちに、壁の外は赤い斜光に満ちていた。
気づけばもう夕食が始まるくらいの時間だ。
「そろそろ飯いくか?」
「そーですね…もう疲れちゃいました」
漸く皆の顔が見えるようになったころに、カルロがそう声をかけた。
それにいち早く反応したのはカトレアだ。
彼女の周りの山は他の誰よりも多いのに、誰よりも早くこの場から逃げようとしているようだ。
私は、肩を鳴らしながら伸びをした。
机の上の壁は低くなったとはいえ、今日中に終わるかどうか。
しかも、私の机に置かれているものはリヴァイ兵長あてのものだ。
期限内に出さなければこちらがぶっ飛ばされる、たとえそれがハンジさんのであるとしてもだ。
ただ腹が減ってるのは確かだ。
「名無し、スティール。2人は」
「行きますよ」
「…私も行きます」
食事をするにしても20分くらいしか時間は取らない。
こことの往来を含めても30分くらい、それを考えれば何とかなる。
人付き合いも大切だろう。
カルロ班の4人で食堂に来た。
食堂にはもうそれなりの数の兵士がいる。
私たちは開いている席を見つけて4人で座った。
「…珍しい」
「お、ハノ」
「ハノ!帰ってきたの?」
「うん」
私は顔も上げることなく黙々と温サラダを食べていたが、他の2人の声で誰が来たのかすぐに分かった。
カルロ班の最後の1人、ハノだ。
彼は他の隊に手伝いをしに行っていた。
ハノは口数こそ少ないが、優秀な人だから様々なところへ派遣される。
彼が勝ってきたのなら、書類の壁を崩すのも早くなる。
私は内心ほっとしながら、最後の一欠けのパンを口に放り込んだ。
「名無し、平気?」
「うん。私、先に帰りますね。書類、兵長行きですから」
ハノは勘がいい、そこがいいところで悪いとこだ。
それにしても私は人を悪評するのが好きみたいだな。
一足先に食事を終えた私は、班長にそう言って空になった食器をもって食堂を出た。
ハノは私の後を追ってくる。
彼は小動物みたいな人だ、私よりも年上ではあるがそんな感じがする。
「名無し、手伝う」
「ありがとうございます、ハノ」
「大変だね」
「いいえ。慣れてますから」
ハノは私の隣に立った。
執務室にだどり着くとそこには、変わらず低くなった壁があった。
私は自分の席につき、ハノはその隣に着いた。
ハノの机には書類がないが、自分で一番書類の多かった机から持ってきた。
あの机はカトレアのものである。
そのうち、班長たちも帰ってきた。
カトレアは自分の机の壁が一段と低くなっていることに歓喜の声を上げて発狂している。
「ひょあああ!ありがとおおおおハノおおおお!!!!だいすきっっ!!!!」
「うん」
そんなやり取りをしり目に、ハノは黙々と書類を消費していった。
私の書類もあともう少しで終わる。
ただ、私の場合は書類を処理い終わってからが問題だ。
私はリヴァイ兵長にこれから、会いにいかなければならないのだ。
この、就寝直前に、だ。
失礼極まりない上に、うっとおしがられるだろう。
そして、蹴られる、絶対蹴られて踏まれる。
「…じゃ、私行ってきますね」
「いってらっしゃ〜い…頑張ってね」
「おー頑張れよ」
「気を付けて」
「すまん、頼むな」
カルロ班の全員に手を振られて、執務室を出た。
こういう時は、ハノもついてこない。
それほどリヴァイ兵長という人は皆に恐れられている。
蝋燭の炎が照らす薄暗い廊下を、両手に花(ということにしておこう)をもって彼の部屋に向かう。
その途中何名かの兵士とすれ違った、彼らは私を同情の目で見た。
この先はリヴァイ兵長の部屋以外には何もない。
私がこれからリヴァイ兵長の毒牙にかかってしまうであろうことを彼らは憐れんでいるのだ。
その目が私は何より嫌いだった。
その目に晒されるくらいなら、リヴァイ兵長の足蹴を食らう方がよっぽどましだった。
控えめにノック3回。
それが兵長の部屋に入るための暗黙のルールだ。
「入れ」
「失礼します」
兵長の部屋は気持ち悪いくらい小奇麗だ。
その様子はホテルの客室によく似ている、毎日誰かが綺麗にリセットしている部屋だ。
リヴァイ兵長は、3人掛けくらいのソファーに踏ん反り返っていた。
小さいからその姿がまったく様にならない。
短い脚を懸命に組んでいる姿など、どこか可愛らしいくらいだ。
なんていったら多分そのあたりの資料の角で頭をぶん殴られるだろうから、決して言わないが。
「こちら本日期限の報告書です」
「おせえよ、クズ。てめえは時計も読めねえのか」
「すみません」
ああ、なんで私は謝っているんだろう。
なんでこの人につむじを見せているんだろう。
なるほど、これが社会のヒエラルキー。
「あ?何か言いてえことがあんなら言え」
「はあ、よろしいですか」
言ったら間違いなく蹴られるだろうなと思ったが、ぽろっと本音が出た。
かまわん、言え、と言われたので、その令に従った。
「ご覧頂けば分かりますが、それはハンジ班から回ってきたものです。回ってきたのは昼過ぎ。努力はしたつもりです」
「ほー、そうか」
兵長は瞳を閉じたまま私の言い訳を聞いた。
言い訳といっても私が実際にあったことを言っただけなのだが、彼が許すはずもなく。
「がっ」
「ハンジを甘やかしてんじゃねえよ」
「私、じゃないんですがねえ…」
「カルロも甘やかすんじゃねえ、このお人よしのクズ」
思いっきり脛を蹴ろうとした足をよけたが、そのまま腹に拳を食らった。
この狭い部屋の中では彼のように小さい人のほうが有利だ。
あと、私にはさすがに上官に手を上げる勇気はない。
痛い思いはしたが、ちょっとだけストレスが発散できたのが幸いだ。
そういう点において、私はリヴァイ兵長が気に入っている。
彼は裏表なく、ただストイックだ。
「まあいい。間に合っただけましだな」
「ありがとうございます」
最後に飴を与えるのも忘れないあたり、彼は優秀である。
だからこそ、彼は兵長という地位についているのだろうなあと私は常々思うのだ。
リヴァイ兵長に敬礼をして、部屋を出た。
ふと外を見ると星が瞬いていた。
その様子は私が昔見たものと寸分の違いがない位置にある。
そして、昔に見たときよりもずっと綺麗だった。