とある女の悠久疑念


私は人が嫌いです。
理由は定かではありませんが、きっと育ってきた環境だとか、生来の性質だとか、そういう因子が重なった結果であるように思います。
私は人に見られるのも嫌いです。
あのまとわりつくような視線、好奇や嫉妬や淫靡を孕む2つの線に囚われることに不快感を覚えました。

不幸なことに、私は少々人の目につくようでした。
少し普通とは違っていたのでしょう。
私は髪を長く伸ばし、顔を隠すような前髪を作りました。
それは人と私を隔てるカーテンの役割をしました。
私は夏でも薄手の黒いカーディガンを愛用しました。
それは人と私を隔てるベールの役割をしました。
しかし、どうやっても人の視線から逃れることはできませんでした。

今になって考えれば、数百人の集まるあの学校で人目につかないほうが奇跡に近かったのです。
死したものでさえ人の目に晒されるような場所で、人間をやっていた私が誰の目にもつかないことを望むのは無茶なことでした。
とはいえ、その時の私はとにかく人ごみから逃げ出したかったのです。

滑稽なことにそうして人目を避けることで、逆に人の目を惹いてしまっていたように思えます。
いえ、きっと人目を避けていたので多くの人からは逃げられたと思います。
きっと同期のなかで、私の存在を覚えているのは片手で数えるに事足りるほどでしょう。
しかし、その代わりにとんでもない人の目を惹いてしまっていたのです。

類は友を呼ぶという言葉があります。
似た者同士がくっつくという意味ですが、困ったことに少々変わり者だった私には変わり者がついてきてしまったのです。
それが、彼でした。

彼は、とにかく人の目を惹く…否、眼だけではなく人を惹きつける人でした。
カリスマ性にあふれているとでもいうのでしょう。
彼の周りにはいつだって人がいました。
ですから、私は彼が苦手だったのです。
彼がくると、あたりはざわつき、人が増え、眼が増え、声が増え。
それはもう、うるさくなってしまうのです。
ですから私は彼が寄ってきたらすぐに逃げるようにしていました。
私のその選択に迷いはありませんでしたし、私にとってはごく普通の行動でした。

…私にとってごく普通の行動は、きっと彼にとっては異常な行動だったのでしょう。
彼からしてみれば、自分に近づくものが当たり前の彼にとっては、自分から逃げる存在は異端だったに違いありません。
そういった意味で、私は彼の目を惹いてしまったのです。

そこから、私の生涯をかけた鬼ごっこは始まったのでした。
子供の鬼ごっこなど目ではないくらいに、水面下で激しい鬼ごっこが繰り広げられていました。
彼はことごとく私のお気に入りの場所を見つけ、私を目に止めようとしました。
私はそれを間一髪で避けて、新しい場所を見つけて過ごしました。
学生生活はその繰り返しでした。
誰が、スリザリンの秀才とレイブンクローの幽霊女がこんな馬鹿馬鹿しい遊び(私からすれば遊びなどではなく、本当にある意味では命がけでした)をしていることを予想したでしょう。
私だってこんなことになるだなんて思いもよらなかったのに。

学校を卒業して、ようやく鬼ごっこが終わるかと思った矢先。
私はその気の緩みからか、卒業式の日に彼につかまりました。
初めて、人につかまりました。

そこで私は初めて彼と口をきいたのです。

「やあ、初めまして」

初めまして、というにはあまりにフレンドリーでした。
それもそうです、学校生活の半分くらいの時間を彼との鬼ごっこに費やしていたのですから、初めまして、なんて言葉は皮肉でしかありませんでした。
彼は赤い目を細めて、獲物を捕らえた獣のように笑いました。
私は怖くてたまらなくて、挨拶もそこそこに逃げ出そうとしました。
むろん、失敗に終わりましたが。

「はじめまして」

無理やり、投げやりに挨拶をして、私は彼の動向を窺いました。
彼は少し目を丸くして、喋れるんだねと言ってのけました。
失礼極まりない、私は喋らないことを選択しているだけであって、声は出ます(久しぶりに出したのでかすれていましたが)。

そのような感情を抑えて、私は逃げる体制を整えました。
姿現しは練習しましたから、学校を出さえすれば逃げられるとそう思いました。

「逃がさないよ。僕は君が気に入ったんだ、どこにもやらない」

彼は私の心を読んだようでした。
嫌な魔法があるものです、私はきっと露骨に不快感を顔に出したことでしょう。

それにしても、本当に不安になります。
人に見られるのも、手を掴まれるのも、とても不安なのです。
私がここに存在するということを証明するすべてのことが、怖くてたまらないのです。
理由はわかりません、だけれど、少しだけわかるような気もするのです。

彼の細い骨のような指は、私の薄く肉のついた腕を絡めるように握っています。
ほのかに、赤みの指した私の腕はびくともしません。
私は彼から目をそらしました、読心術はたしか目から入るのです。

すると、彼は怒ったように言うのです。
こっちをみろ、と。
心が読まれると分かっていて、誰が見るものですか、と答えると、もう見ないからと弱弱しく答えました。
いったい彼が何を考えているのか私にはわかりません。
とにかく私は目をそらしたままでした。

この時、私が彼を見ていたら、彼はいったいどんな顔をしているように映ったのでしょう。
それは今も分からないままです。

「もう逃がさないし、逃がしても一生をかけて僕は君を追いかけ続ける」
「…はあ」

なんて強情なのだろうと思いましたが、ちょっと冷静になりました。
彼は冷静じゃないようでした。
…私の自惚れでしょうか、その言葉は、なんというか。

「…あれ、」

そう、おかしいんですよ。
本当の彼は、人になんて興味を持たないんです。
彼にはたくさんの人が惹かれて寄ってきます。

その彼が、人を追いかけ続けるなんておかしな話。
確かに私は彼には近づきません、私は例外です。
その例外を、彼は追いかけ続けると、私を一生かけて追いかけ続けると。
絶対に逃がさないように、傍に置いておくと。
一生をかけて、私を見続けると、そういう意味ではありませんか!

遠回りをして、寄り道をして、迷子になった末に辿りつく、その言葉の結論は。
言うまでもありませんでした。
びっくりして彼を見ると、彼は片手で顔を覆っていました。
でも片手じゃ顔全体は覆えません、赤くなった彼の顔を見て、私はさらに驚きました。

「正気ですか」
「…正気の沙汰じゃないと思う、だけど、間違いなく本心だろうな」

なんて幼稚な恋愛だったのでしょう。
彼は鬼ごっこをしているうちに、いや、鬼ごっこをする前からその気はあったのかもしれませんが…とにかく、へんてこな感情を私に抱いてしまったようでした。
いやはや、困ります。
本当に困ります、私はそのような人を隣に置くつもりはありません。

私はこれから自国に帰って一般の人間として倹しく地味に生きると決めているのです。
親に決められた結婚をして、適当に子を儲けて、一般的な一生を遂げる予定なのです。
その予定に、むろん彼はありません。

「お断りです、別をあたってください」
「…お前、話してみると嫌にはっきりしてるな」
「そうですよ、あなたは私のことを何も知りませんでしょう。だというのにこんなバカげた話がありますか?正気じゃあありません。私は自国に帰るのですよ、あなたのそばには居れません」

こちらから言わせてみれば、彼は思ったよりもぼんやりとしていました。
人を前にした時のきりりとしたすました感じはなく、普通の男性でした。
私だって、こんなに物事はっきりいうタイプではありませんでした。
でも、彼を前にするとこうなってしまうのです。

きっとお互いがお互いを狂わせる存在なのだと直感しました。
これではいけない、お互いお互いの存在を忘れるべきです。

私は彼の手を振り払おうとしました。
でも、彼の腕だけはやけにしっかりと私を捉えて離さないのです。

「でも、まあ今現在僕が君を捕まえたわけだし。このまま好きにしていいよね」
「いいわけないでしょう。なんです、その原始的なルールは」
「知らないことは知ればいいし、僕は君を離さないように注意だけすればいいし、何ら問題はないね」
「問題まみれですよ。独裁者ですか」

かの有名な独裁者も真っ青な俺様ルール。
頭がくらくらします。

私は早くこの人から解放されないと時刻に帰る術をなくします。
このとき、私もまた冷静さを欠いていました。

「ああ、独裁者になろうとしていたんだけどね。嫌い?」
「嫌いです」
「そう、ならやめようかな」

この言葉の持つ意味を、かつての私は知りませんでした。
こうして彼は闇の帝王になるのをやめました。

なんて馬鹿馬鹿しい話でしょう、恋は人を狂わせるといいますが、まさにそれ。
私は呆れて言葉も出ませんでした。
とにかく私は彼につかまってしまったのです。
結局そのあと私は自国に帰ることはできませんでした。


そうして私は彼に捕えられたまま、数年を過ごしました。
彼は諦め無気力な私を家に連れて、奇妙な生活をしました。
その間に、私たちは完全に夫婦と同じような行動をし、子まで設けてしまったのです。
これは私にとって大きな誤算でした。
彼はきっと私をより一層太い鎖でつなごうとしたのでしょう。

その作戦は当初はうまくいっていました。
さすがの私も己の腹の中で動く生命に愛着を覚えました、母性を覚えました。
腹を撫でて声をかけると、答えてくれる小さな存在に罪はありません。
そう思って、私はその子を腹で育てました。

ですが、私はそこで気づいてしまったのです。
この子もまた人であることに。
人というものは生まれる前から、紐でつながれているのです。
風船の紐をつけて生まれてくるのです、生まれてその紐を切られたその瞬間から、次は目に見えない紐につながれるのです。
血縁、情、常識…長く生きれば生きるほどその紐は多くなっていくのです。
私はそれがひどく恐ろしく思えていたのです。

今、私は紐を増やそうとしているのです。
そう思うと夢から醒めたようになって、早く逃げなくてはと思い始めるのでした。
そしてとった行動が、子供を置いて逃げることでした。
子供を置いて、何も持たずに逃げました。

そうして、今に至るのです。
いえ、今に至るまでに数年はかかりました。
意外なことに数年もかかりました。

紐がなくなってしまえば、人はどうなるのか。
それを考えたことはありませんでした、ただ縛られること捕えられることから逃げることしか考えておりませんでしたから。

子供はどうやら彼が育ててくれていたようでした。
ちょっと前に見たことがあります、彼によく似た聡明そうな瞳をしていました。
そして、彼はまだ私を追いかけているのです。

本当に馬鹿馬鹿しいと思う反面、今になって彼が愛おしくなってきました。
それは私がすべての柵から解放されて、捕えられることがなくなったからでしょう。
簡単に言えば余裕ができたのです…いえ、今はそれしかありません。

彼はまだまだ私を追いかけ続けるでしょう、命ある限り。
そういえば、彼は不死の魔法がかかっているんだとか、いつだか言っておりました。

彼はきっと私を追うあまりに忘れているのでしょう。
私は彼と違って命に限りあること。

どうして、彼らはそれに気づかないのか、私はそれだけが疑問です。
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