とある男の永久迷走

昔から、彼女は人に捕えられるのを極端に嫌がった。
手で捕えられることも、声で止められることも、言葉に縛られることも、眼で捉えられることすら避けようとした。
その理由は定かでないが、彼女は空気を目指していたように思える。

僕という人間は、人を引き付ける能力を持ち合わせているようだった。
見た目も声も、作り上げた性格も、人脈も。
すべてが人を引き付け、またそれをうまく利用して、徐々に輪を広くしていった。
しかし、どこまで行っても、彼女を捉えるには足りない。

視界の端にまれにちらりと姿を見せては、すぐ消える。
そういった存在は視野の広い人間にとってはうっとおしくて仕方がない。
完全に消してしまうか、取り入れるか、どちらかにしたい。
その独占欲にも似たもので僕は彼女を捉えようとした。


そうしているうちにかれこれ50年。
捕まえることに成功はした、何度か捕まえることができた。

しかし、逃げる。
どんなに囲っても縛っても、彼女はどこからか逃げる。
子供まで作ったにもかかわらず逃げたときは、絶望しかなかった。
とりあえず男手ひとつで子供を育て、その傍ら彼女を捕まえる模索をする人生だった。
子供を育てるよりも、妻(もうそう言ったって構わないだろう)を捕まえるほうが難しいとはどういうことだと何度も思った。
でもそれでも、僕は彼女を追い続けている。

子供は、それを知って苦笑した。
「一途ね」とそういった。

「パパ、なにしてるの?」
「何って、彼女を捕まえるためにちょっとね」
「…さすがパパ、ママを捕まえるためなら手段は選ばないと」

子供よりも、大切なのは妻である彼女。
彼女を捉えるためならば、子供の敵にでもなろう。
そう思って闇の軍勢に入り、頭角を出し、先頭に立つようにまでなった。
子供たちに連絡はしていなかったが、彼女たちは驚きよりも呆れのほうが強いらしい。

闇の軍勢はいまや、世界を危ぶませている。
僕は思ったのだ、どんなに逃げたって彼女が人間である限りは「世界」という箱から逃れることはできない。
ならば、その箱を傾かせてしまえばいいと。
傾かせて、揺らして、彼女がぽっと出てくるのを僕は待っている。
出てきた瞬間をとらえる、そのつもりだ。

虱潰しをそのまま現実に実行しているようなもので、効率で言えば最悪。
しかし、それ以外の方法がもう見当たらないのだ。

全面戦争になったので、自分の孫にあたる女児を人質として捕えてみた。
下手に攻撃されて、軍が傾くのは困る。
孫を捕えてみると、その子を取り返すために娘とその夫が現れた。
最初こそさっきに満ちていたのだが、僕を見ると一気にこれだ。

孫はその様子に気を解したのか、娘によく似た無邪気な声で僕に問いかけた。

「ねえ、グランパ。グランマはママを捨てて出て行ったんでしょ?なら、人質作戦に意味はないんじゃないの?」
「…ああ、そのことは忘れてたよ…」

そうだった、彼女はそもそも我が子を見捨ててまで逃げたんじゃないか。
孫を捕えたところででてくるわけがない。
耄碌したかな、と我ながらに情けない。

なんだかやる気がなくなってきたので、孫を娘に返した。
娘婿は何が何だかわからないといった様子だ。

「まったく、いつになったら彼女を捕まえることができるんだ?」

なんだか一気にやる気がそがれてしまった。
独り言のような何気ない一言に、娘が返答した。

「まあ、少なくとも今やってることは無駄じゃない?世界を動かしたって、ママは絶対出てこないよ。北風と太陽って話があるじゃない。もっとママが喜びそうなことを考えたら?」

はあ、娘に説教されるとは。
北風と太陽という話は知っている、旅人に上着を脱がせようとする話だ。
確かに、彼女は人がたくさんいるのも、またそれががやがやと騒いでいるのも嫌い。
きっと地面の奥深くに潜って隠れて静かになるのを待つ、という選択を取る可能性が高い。

なるほど、娘のいう方が正しい気がしてきた。
ここまで計画の規模を大きくしておいて頓挫させるのも癪だが、確かに無駄だ。
それにやる気もなくなってしまった。

「それも、そうだな。やめるか」
「まったくもう、人様に迷惑ばっかりかけて」
「それはどうでもいい。…ただまあ、手直しだけはするか」
「そうしてよ。おかげで私の職場、ぐっちゃぐちゃなんだからね」

娘は確か、魔法省務めか。
そういえば魔法省も制圧したのだったか。
とりあえず手直しを半年で終わらせて、次の計画を立てねば。

その前に、ここでの“俺様”を死なせなければなるまい。
向こうの英雄殿に適当に殺されておこう。

やれやれ、彼女を目の届く場所に捕えておかねば、落ち着くこともできやしない。
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