Verbal promise
今日、名無しさんは天文塔の天辺にいた。
毎回毎回、僕は彼女を探すのに手間取る。
名無しさんはいつだってわけの分からない場所にいる…大抵は人気のないところにいるのでそういった場所を探すのだが、それでも何故そこを選んだ、といいたくなるような場所にいる。

誰も行きたがらない汚い女子トイレしかり、倉庫ばかりの行き止まりの地下通路しかり、スカートをはいている女子なら決して登らないだろう天文塔の天辺しかり、だ。

「こんなところに…」
「はあ…どうしてこんなところに?」

毎回、名無しさんはそういう。
そりゃそうだ、彼女からすれば人気のない、しかも人の来なさそうな場所を選んでいるだろう。
僕は赤い双眸をゆるりと細めた、毎回のこの会話でさえ至福の時に感じられた。
狭苦しい箱から開放されて、手足を伸ばせる場所に出てこられたような気分だ。

僕が黙りこんでいると、彼女はええと、とか居心地悪そうにモゴモゴと何かを言い始める。
それもいつものことだ、いつも通り僕は自己紹介をした。
もう何度目になるかわからない自己紹介、これだけは少しだけ嫌な気分になる。
しかも、自己紹介したって名無しさんは決して僕の名前を呼ぶことはない。
会話をしているうちに、彼女は僕の名前を忘れてしまうのだから。

「どうしてここに来たんだい」
「だって、ここ涼しいから」
「まあ…そうだね」

そりゃあ涼しいだろう、塔の天辺には何も遮るものはなく、初夏の風が吹き抜けていく。
だからってこんな場所にくることはないのに。
ここに登るのだって苦労した…何の取っ掛かりもない屋根をよじ登るのは男の僕だって大変だ。
名無しさんはどうやってきたのだろう。

「名無しさんはどうやってここに来たの」
「これ」

名無しさんはそっと自分の脇に置いてあった棒を指差した。
それは箒だった…なるほど、恐らくは天文塔の近くの自分の寮の部屋から箒でここまで来たのだろう。
そう距離は遠くないから、誰にもばれずに来ることができる。

「…帰り、それに僕が乗ってもいい?」
「私は?」
「後ろに乗ればいいよ。箒の後片付けも僕がする。どう?」

名無しさんは少し考えて(ぼんやりしているようにしか見えないが、彼女なりに考えているらしく時々小首を傾げたりする)、こくりと頷いた。
彼女は驚くほどエコロジーに生きていて、表情の変化など殆ど存在してない。
会話も必要最低限、人の顔なんて覚えないしすぐ忘れる。

比べて僕は人によって表情を変え、性格を変え、一度会話した人間の顔を忘れることなく生きている。
それはとても疲れる、対人関係を潤滑にすることが出来るが如何せん燃費が悪い。
その疲れを和らげるために、僕は名無しさんを利用している。
名無しさんは僕の本性を見ても忘れてしまうから、都合がいい。

「名無しさんは何しにここに来たの」
「分からない。忘れちゃったから、たいした意味はなかったと思うけど」

名無しさんはぼんやりと空を眺めているばかりだった。
僕が知る限り、名無しさんは人のこと以外での記憶力は非常にいい。
だから多分くだらない理由だったのだろう。

名無しさんは時々あくびをしたり、伸びをしたりしつつぼんやりしている。
彼女は一日の大半をぼんやりして過ごしている、なにを考えているのかはさっぱり分からない。
何も考えていないのかもしれない。

「名無しさんはさ、これからどうするの」

何も考えていないのだろうか。
今僕達は6年生、進路の話も出ているだろう。
その中で、名無しさんの記憶障害に近い現象はハンデになる。
人と関わらずにすむ仕事はそうない。

「さあ…知らない。日本に帰ってもいいし、ここに残ってもいいけど」

他人事だ、まるで他人の話をしているかのよう。
そういえば、彼女の出身は日本と言う東国の国だったか。
名無しさんに聞いたが、その国は珍しいことに単一民族で、非常に排他的な国だそうだ。
また、魔法などは殆ど存在しないらしい。

日本に戻ったら彼女はどうなる?
名無しさんはマグル生まれ(これを聞いたときに非常に腹が立った)だから、日本に帰ればマグルとして生きるつもりなのだろう。

「ふぅん。じゃあ残れよ」
「残ってどうするの?」
「僕の仲間になるんだ。どうせ暇なんだろ?」

何故そんなことを口にしたのかは定かでない。
だが、なんとなく名無しさんを手元に置いておきたかった。
それと、どうせ名無しさんはこんな口約束忘れてしまうだろうとそう思った。
子ども同士の口約束と同じようなものだ。

ふざけ半分、でも…半分は本気だった。
名無しさんはきょとんとしたようすでこちらを見ていた。
その後、考え込むように顎に指を当てていたが、ちらりとこちらを見て、一言。

「別にいいよ。多分暇だし、日本に帰っても仕方ないし」
「ふぅん。じゃあそのうち迎えに行くよ」

名無しさんはふぅん、と言って興味なさそうにこちらを見た。
この気まぐれな口約束が、将来気まぐれに遂行されることを僕は想像もしていなかった。


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