「ってなことがあったのよ」
チープな居酒屋はがやがやと辺りが煩い。
それを嫌がる人もいるし、好む人もいる。
私はどちらかといえば前者だが、会話をあまり聞かれたくない今は丁度いい。
目の前のおっさんは曖昧な笑みを浮かべるばかりだ。
相談相手を間違えたなと思わざるを得ない。
「簡単に言っちまえば、結婚したくないけどこの状況は維持したい、だけどこれって卑怯だよね?ってわけだ」
「そんなとこ」
「まあ、卑怯だな」
「だよね」
答えは分かりきっていた、十中八九、私が悪い。
喉を通る酒に味がしない。
小さくため息をついて、目の前のおっさんに向き直る。
このおっさんは、戸籍上の兄に当たる人。
先日のイタチとの会話に出てきた年増真っ只中くらいの年齢だ。
しかしこのおっさんは恋人がいるらしい、それはさておき。
「でもイタチにプロポーズされたわけじゃないんだろ?」
「そもそも、恋人なのか怪しいレベル」
「おいおい…そこははっきりさせてやれよ。可哀想だろ」
本当に呆れた顔でこちらを見てくるのだから居づらい。
恋人かどうかと言うのは微妙なラインだ。
昔に、愛してるとは言われたものの私は返事をしなかった。
というよりも、できなかった。
なんて返せばいいのかわからなかったからだ、自分の気持ちもはっきりしていなかった。
でも身体の関係にまでは発展してる。
「それお前普通に好きじゃないのか?」
「うん」
「…それを伝えてやれよ」
「伝えたら私ダメになりそう。ただでさえイタチ、お母さんみたいだし」
呆れ顔のおっさんの顔はもう見飽きたので、手元のハイボールに視線を落とした。
イタチはとにかく優しい、甘やかしてくれるし、頼めばどんなこともそつなくこなす。
家事もできるし、仕事もできる、人ともうまくやれる。
だから私はイタチに甘えてしまうし、依存してしまう。
だからって言い方は悪いかもしれない、大げさに言えば私は生きることに興味がない。
それを知って、繋ぎとめてくれているのがイタチ。
用意されたら食べるし、傍にいてくれるのなら追い払ったりしない。
依存しているのか、されているのか分からないけれど、少なくとも私はイタチがいなくなったら生きない。
イタチがどうなのかは分からないけれど、少なくとも私はそう。
「じゃあ、質問を変える。お前、イタチがいなくなったら寂しいか?」
「多分。でも、イタチがいなくなったら私、死ぬんじゃない?食事摂らなくなるよ」
「…それが本当にそうなるのとして、死ぬまでにも時間があるだろ。そのとき、寂しいと思うかどうかだ」
ふむ、と考えてみるが、全く想像がつかない。
イタチがいなくなるという想像ができない。
彼がいなくなったら、私はきちんと朝起きるだろうか。
先日は偶然起きたけれど、仕事がないときは起こされないと起きない。
目が覚めても起き上がることも面倒で、一日中ベッドにいたりする。
イタチが来ないオフの日は、ベッドの上で一日中ごろごろしている、それ以外本当に何もしない。
食事も、水分も摂らないし、本を読んだりもしない。
ただ、ベッドの上で横になって天井を眺めるだけ…こうして振り返ってみるとまるでキチガイみたいだ。
それが毎日続くとして、まあ、結論死ぬだろう。
その間、寂しいと思うかどうかだ。
はっきりいって、何も思わないと思うし、思えないだろう。
考えることすら放棄しそうだ。
「…多分、寂しいとは思わない。何も考えないで死を迎えるんじゃない?」
「まじかよ…じゃあ、俺がイタチの変わりにお前を生かすとする。そうしたらどうだ?」
「アスマが、ねぇ…。自殺するか、毎日仕事すると思う。面倒見てもらいたくない」
「おい、なんで俺はダメなんだよ、傷つくだろ。…まあつまりは、お前はイタチにしか心を許してないわけだ」
言われてみれば、イタチにばかり気を許している。
兄に当たるアスマには面倒を見て欲しいとは思わない、というよりも寧ろ恩を返したいと思う気持ちでいっぱいだ。
しかし、イタチに関しては何の遠慮も無く物を頼める。
それは元々私がイタチの教師だったからだろうか、返す恩もないから?
どちらにしても、私の中でイタチは特別。
家の合鍵を持っているのはイタチだけだし、家に上げるのもイタチとアスマだけ。
これは、まあ一般的に言えば好きに値するだろう、愛してるといっていいのかは微妙なライン。
「好きとか愛してるとかそう言う一般的なもんに縛られる必要は無いんじゃないか?素直にイタチは特別って伝えてやれよ。それだけでもあいつは救われるだろ」
「…まあ、それはする。それよりも結婚のことだよ、問題は」
とはいえ、素直に気持ちを伝えるのは難しい。
タイミングやシチュエーションにも左右されるし、大変だと思う。
でも日ごろの感謝を伝える必要性はあるだろう。
しかし、これは論点のずれた話である。
元々は「イタチが結婚しない、どうしよう」という話だった。
「付き合いもしてねーのに結婚もクソもあるか」
「…なぜ相手が私なの」
「は?おそらくイタチはお前以外と結婚する気なんてさらさらねーからだよ、馬鹿」
何故そういいきれるのかは分からないが、嫌に説得力のある言葉だった。