27.鼠
結局俺はその後眠ってしまった。
昨晩もダンゾウに呼ばれていてあまり眠っていなかったから疲れていたというのはある。
目が覚めるともう夕暮れ時だった。

「イタチ起きたの?おはよう」
「おはようございます…俺、いつのまに」

俺はベッドに寝ていて、名無しさんはベッドの端に座っていた。
名無しさんは俺が起きるとベッドから立ち上がり、台所のほうへ歩いていった。

本当は名無しさんと話したいことがあったのに、結局話せずじまいだ。

「はい、お茶」
「ありがとうございます、今何時ですか」
「夕方の5時よ」

もう5時、6時前までには家に帰らなければ。
約束の時間は7時、7時になったら俺は仕事をしなければならない。
選択しなければならない、里か家族か。
飲みやすいように温くされたお茶を飲み、立ち上がった。
長くここにいると帰るのがいやになってしまいそうだ。

俺が立つと、台所に居た名無しさんがこちらに寄ってきた。
今日の名無しさんはいつもとちょっと違う。
どこが違うかといわれてもはっきりとはいえないが、ただ雰囲気が違う。
もしかして、名無しさんは気づいているんじゃないかとも思ってしまうほどだ。

ただ、それはありえない。
家族である父も気づいていないし、ダンゾウたちがそれを感づかせるようなまねをするわけがない。

「もう帰らないと…」
「そう」

その素っ気無さは変わらなかった。
名無しさんはいつも俺が帰ろうとすると、自分からさよならとは言わない。
その理由は言葉にはしにくいが、なんとなく分かる気がする。

ここで別れたとして、次はいつあえるだろう。
つい1年前までは毎日といっていいほど会っていて、1ヶ月前までは週に1回ほど会っていた。
歳を重ねるごとに会う頻度は減っているが、この任務が遂行されれば会えなくなる。
後ろ髪を引かれる思いだったが、ベランダに出た。
玄関から出るということをやめたのはいつだったか…アパートの構造上、ベランダから出たほうが楽なのだ。
名無しさんは台所からリビングへ出てきて、見送りをしてくれた。

「じゃあ、さようなら」
「またね」

また、会うことは出来るのだろうか。
出来たとして、それは今までとは違う関係になってしまっているのだろう。

窓の桟に寄りかかり、名無しさんはこちらを見ていた。
自分よりも背の高い名無しさんは、少しだけ俯いていて白い頬に黒髪がかかっていた。
一歩、名無しさんのほうに近づくと、シャンプーの匂いがした。
細い束になった黒髪払うと、不思議そうにこちらを見る青い瞳。
その青い瞳から目を離して、触れるだけのキスを唇に落とした。

「好きです、名無しさん。さようなら」

目を丸くして固まっている名無しさんを抱きしめて、すぐに離した。
そのまま逃げるようにベランダから飛び出した。
振り返ることなく、家に戻った。


「…マセガキめ」

一人ベランダに残された私は、ただそう呟くことしかできなかった。
真摯な黒い瞳も背伸びした姿も好きと言ったあの顔も、大切なものだ。
窓を背に、ずるずるとしゃがみこむ。

さよならなんて、させるわけないでしょ。
返事だってまだしてないんだから。

私は静かに立ち上がり、イタチと同じようにベランダから外へ出た。


家に戻ると、父と母は居なかった。
どういうことだろう、いつもこの時間帯には必ずいるというのに。
一族の住む集落に違和感があった。
若い男と顔役が誰も居ない。

まさか、と思うのは容易いことだった。
商店のおばさんや茶屋のお姉さんはいつも通り、でも道行く人は女子どもばかりだった。
クーデターを起こそうと画策していた者達の姿が一切見えない。
どう考えても異様だ、俺は集落を出てダンゾウの元へと向かった。

「…イタチ」

暗い根の集会場所、そこにはありえないほどの人が集まっていた。
そこにいたのは、クーデターを率いている父とその仲間。
その対岸にはダンゾウ率いる根がいた。
俺はその2つの軍勢の中間点に立っていた。

「イタチ、お前には失望した。何のための二重スパイだ?こうも相手に内情が伝わってしまうとは!」
「まさか…お前本当に」

ダンゾウと父の声が左右から聞こえる。
俺はきちんと任務を遂行していたはず…どこで情報が漏れたのか。
何も言えずに絶句していた。

父の刺さるような絶望の視線が暗闇の中の俺を射抜くようだった。
ダンゾウは腹立たしそうに続ける。

「それでこのざまだ」

俺を挟んだ両脇は一発触発といった状態。
もうこれは俺がどうこうできる話じゃない。
だがこのまま膠着状態を保っていても居られない。

先頭はこのような緊張状態だが、後ろのほうはどうなっているのか分からないのだろう。
だから、後ろからざわめきが広がりつつあった。

「…穏便に済まそうと思ったがそうもいかなそうだな」
「そのようだな」

ざわめきは徐々に広がり、収拾がつかなくなる。
それはそうだ、うちはは里が一族を滅ぼそうとしていると気づき、ダンゾウは元々うちはを消そうとしていた。
ならば、始まることはただ1つ。
最悪なことに、ここはある程度の広さがあり、その上暗く音も漏れない闇の中だった。

俺は渦中で呆然と立つだけしかできなかった。

「その前に、だ」

こつり、とダンゾウが一歩前に出た。
父は警戒したように一歩下がる、その1つの動きだけでその場に緊張感が走る。
俺はどうしたらいい?
一族も裏切り、任務を失敗した。行き場はない。

父が助けてくれるとも思えない。
俺がそうしたように、父も1人の命よりも多くの一族のものを守るだろう。
それを責めることはできない。

もう、前にも後にも引けない。
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