彼女に再び見えるのはそう難しいことではなかった。
大抵彼女は図書室の奥にいて、薬学の本を読みふけっていたからだ。
あるとき、僕は彼女に声をかけた。
「こんにちは、僕のこと覚えてる?」
「こんにちは、リーマス・J・ルーピンくん。覚えてるよ。あれからどう?」
彼女、名無しは意地悪そうに僕のフルネームを答えて笑っていた。
にんまりと笑うその口元は嫌らしく歪み、三日月を思わせた。
朝日の中、うっすらと浮かぶ三日月を見て、そんなことを思い出した。
そういえば、トンクスに途中まで話してそれきりだった。
彼女はそれ以来、その話を持ち出さなかったからすっかり忘れていたけれど。
「この前のこのネックレスにまつわる話、覚えてるかい?」
「覚えてるわ。続きを話す気になったの?」
隣を歩くトンクスはあっさりと肯定して、可笑しそうにこちらを見ていた。
僕がずっとその話を持ち出さないから、聞くのも悪いと思っていたのだろうか。
とにかく、トンクスはこの話の続きが気になっているようだから、続きをしようと思った。
2度目に見た名無しは意地悪い笑みを浮かべて、隣の席の椅子を引いた。
「どうぞ、まあ、つもる話もあるんでしょ?」
声をかけてきたんだから、とそういいたげな顔だった。
恐らく、名無しは僕が特に話すことも無いということを知っていたと思う。
後々に知ることになるが、彼女はその美人な顔立ちとは裏腹に性格はあまりよくなかったから。
とにかく椅子を引かれて座らないわけにも行かず、僕は彼女の隣に座った。
「あのあと、誰にも話してない?」
「話してない。疑ってるの?」
何も話すことが無くてとりあえず確認の言葉を発すると、名無しは不機嫌そうに僕を見た。
長い睫で縁取られた瞳がすっと細められる。
怪訝そうなその顔でさえ、独特の妖艶さを持っていて美しい。
グリフィンドールには無い雰囲気、空気に圧倒されかける。
スリザリンではこれ普通なのだろうか。
そう考えると、僕は一生スリザリンには敵わない気がした。
「そう言うわけじゃないよ…君は、その、僕のこと気持ち悪くないの?」
本当に話すことが無かったから、嫌だけど人狼である僕に対する印象を聞いてみた。
人狼は一般的に世に憚られ、忌避される怖ろしい化け物だ。
幼い頃、僕もその現実を実感したものだ。
目の前の名無しは一瞬、眼をまん丸にして驚いたようにしていた。
しかし、それはほんの一瞬で、次の瞬間には余裕に満ちた淡い笑みを浮かべていた。
「君はこういっても信じないかもしれないけれど、私はどうも思わない。対処さえきちんとしていればなんら問題ないからね。あの時見た対処で問題は無いと思う。…私みたいな愚か者がいなければ」
悪戯っ子のようにふふふっと軽く笑う名無しは猫のようだった。
僕は信じないかもしれないと名無しは言ったけれど、彼女の言葉は信じられた。
であったときもそうだったけれど、名無しの言葉は不思議と僕の中にすとんと落ちて入ってくる。
本当に不思議な人だった。
「どうして、あそこに?」
名無しは自分を愚か者といったが、それにしてもどうして夜中に外を歩いていたのだろう。
しかも、あの暴れ柳を掻い潜って僕の元まできたのだ、ただの散歩にしては危険すぎる。
夜で視界のあまりよくない中、暴れ柳の枝をよけつつ木のこぶを突くのは難しい。
その危険を掻い潜ってまで、どうしてあの場所にきたのか。
名無しはちょっぴり考え込むように指を顎先に当てていたが、やがて口を開いた。
「吼える声がとても悲しそうだったから」
その言葉に、はっと胸打たれた気がした。
緩やかに口元を歪めて微笑む名無しは、もう意地悪そうな雰囲気は消えうせていた。
同情や憐憫の言葉のように見えるかもしれないが、その声音や表情からはちっともそんなものは伺えなかった。
ただ、彼女は自分の思っていることを述べたに過ぎない。
子どものように無垢で、純真な言葉だったからこそ、僕の胸にしっとりと降り注いだのだと思う。
朝の道は人気がなく、非常に静かだ。
僕の声だけが辺りに少しだけ響いて消える。
「ふぅん…結構いい人だったのね」
「うん、スリザリンらしくない人だったと思う」
彼女はスリザリンの癖に、ちっともスリザリンらしくなかった。
否、一応意地悪なところはスリザリンらしかったが、あまりにも子どもっぽくて狡猾と言うよりかは可愛らしいと思えてしまうほどだった。
その上、今まであった人の中でもとても真っ直ぐで、自分の思うように動く。
危険なんてそっちのけ、好奇心だけで僕に会いに来てくれた人。
「またそこで話は終わり?」
「うん。そろそろ家に着くからね」
「そう…またしてね」
好奇心に満ちた瞳は、彼女のそれによく似ているように思えた。