ハニー・オレンジ
彼女達はひとしきり私を殴ったり蹴ったりして、気が済んだのか夕暮れ時にはいなくなった。
イギリスの苛めは日本の学校のそれと比べて、あまりにオープンで乱暴だと感想を持った。
そこまで考えて、頭は打たれてないのにおかしくなったのかと思った。

動くと激痛が走るので、ぼんやり夕日を眺めて床に座り込んでいた。
だらりと腕を下ろし、ぺたりと座り込んでいる私は、さぞかし情けない姿なのだろうと思ったが、どうせ誰も来ない。
きっとスリザリン生が呼んでいると私に言った彼女は、何も無かったことにするだろう、誰にもその話をしないだろう。
だから、私がここにいたって、どんなに傷ついてたって、誰もそんなことは知ったことじゃない。

そこまで考えると、寂しくなって辛くなって、涙が止まらなくなった。
涙を拭う力も残っていなくて、頬を伝ったそれはワイシャツの上へと落ちていった。
一度泣いてしまうと、涙腺が緩くなって仕方がない。
折角だから思い切り泣いてしまうのもいいだろう、部屋と違ってここなら誰もいないんだから。

何も無い虚空に、変な微笑を浮かべた。
そう考えるとオレンジ色のこの教室がとても優しい存在に思えた、末期だ。

「名無し先輩っ!」
「…レギュラス?え、ん?なんで?」

ばん、と乱暴な音が聞こえた。
何事だろうと、油の足りないブリキのおもちゃのように首を動かそうと努力していると、後ろから軽くタックルを食らった。
タックルというのは私がそう感じただけであって、一般的に言えば抱きしめられてる状態。

切羽詰ったような、上ずった声の主は、間違えようがない、レギュラスだった。
この辺りの教室は空き教室ばかりで、使う人なんて殆どいないのに、どうして分かったのだろう。

「怪我、してますよね。どこですか、痛いところとか…」
「ああ…うん、全体的に痛いんだけど、そうじゃなくて。なんでここにいるの…?」
「図書室に行こうと思ったら、スリザリンの女子の先輩達が集団で歩いてくるのを見て。学年が違うのに、おかしいと思ったんです。図書室に行ったらいつもの席に蘭先輩はいないし、でも教科書とか置きっぱなしだし…近くに居た人に聞いて回ったらレイブンクローの先輩が連れてかれたって言うから、慌ててすれ違ったスリザリンの先輩達に問い詰めたらここだって」

私の前に回って、薄いガラスを持ち上げるようにレギュラスは手をとった。
腕は大したことは無い、肩から腹にかけて蹴ったり殴られたりしたので、そこが痛いのだが。
そんなことは今、どうでもよかった。

泣き顔を見られたという羞恥心でいっぱいだった。
こうして話していても涙は止まらなくて、それを見たレギュラスが細い指でそれを拭っていた。

「レギュラス…」
「ごめんなさい、名無し先輩。守ってあげられなくて…。僕が傍にいないとああいう人たちが手を出すって分かってたのに」
「やだ、だってっ、私が遠ざけて…」
「最初に近づいたのは僕ですから。ちゃんと責任は取るつもりです」

とにかく涙が止まらなくて、しゃくりあげながらもゆっくり話をする。
レギュラスは優しくこちらを見て話すだけだった。
真っ直ぐな瞳に、罪悪感が抉られる。

それに気づいてか、それとも偶然か、大きな手が頬を頭を撫でた。
その手が優しくて、とにかく泣いた。

「医務室に行きましょう。跡が残らないといいんですが…ちょっと失礼しますね」
「っひゃ、え、ちょっとまって、降ろして!」
「だってその傷じゃあ歩けないでしょう?」

レギュラスは顔や腕、肩の傷を一頻り確認すると、丁寧に膝裏に腕を通して、私を抱き上げた。
日本から帰ってきたばかりの頃ならまだしも、イギリスに来てこちらの食事を取って体重は増加の一途を辿っているから慌ててレギュラスに降ろすように言ったが、彼は気にせず歩き出した。
彼の言い分は正論で、きっと自力で歩くことはできないだろう。
だからといって、この運びかたは恥ずかしすぎた。
俗に言うお姫様抱っこに顔を真っ赤にする、本当にこの当たりが人気のない場所でよかった。

重いんじゃないかと、ちらりと見上げたレギュラスの顔が満足気だったのでそれ以上は何も言わなかった。
軽い足取りで歩くレギュラスに、声をかけた。

「ねぇ、レギュラス」
「なんです?」

不思議そうに小首をかしげるレギュラスの仕草は、ちょっぴり子どもじみていた。
軽々と私を持ち上げる力はあっても、まだ子ども。

「クリスマスさ、パーティーじゃなくてもいいなら一緒でもいいよ」
「本当ですか!?」
「うん。パーティーはダンスも踊らなきゃいけないし、マナーが気になって食事もままならないし、人の目も気になるし、そもそもドレスがないから嫌だけど、お菓子持ち寄ってのんびりするんだったら、ダンスもマナーもドレスも要らないし、寂しくない。一石二鳥。どう?」

クリスマスパーティーは人の目がいっぱいあって、落ち着かない。
やったことのないダンスも、マナーに縛られた食事も、堅苦しいであろうドレスも、私は嫌いだ。
でも、クリスマスの食事は好き、雰囲気は好き、静かに雪を眺めるのも好き。

それを1人でやると寂しいから、嫌い。
だったら、一緒に居たいって言ってくれる人と一緒にすればいい。
少しおしゃべりをしながら食事をして、窓の外の雪を眺めて、温かい暖炉の前でうつらうつらすればいい。

「名無し先輩と一緒に居られれば、何でも!どこでやります?」
「必要の部屋でも探しておこうか。料理は2人分だけ屋敷妖精に頼もう。ケーキも一緒に」

レギュラスは眼を輝かせて、私を抱く手に力をこめた。
そのはしゃぎように苦笑を溢して、計画を練る。
プレゼントも用意しなくちゃなあ、と私も微笑んだ。

卒業のときに、どうせ別れるんだから。
彼の自由は今、ここにしかない。
家に帰れば、両親に決められたフィアンセがいて、純血主義の家を継ぐ人間として、穢れた血となんて話すことはできないだろう。

まだ、一緒にいたっていいはずだ。
レギュラスが、もうちょっと大人になってから、そのときにきちんとバイバイしよう。
それまでは、彼を甘やかして…それで私も甘やかそう。
prev next bkm
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -