仮世界への羨望
図書室から逃げ出すように、僕は走った。
その最中に、誰かに声をかけられたような気もしたが、それどころではなかった。
スリザリンの自室まで戻って、部屋に入り、鍵を閉めた。
同室の人には悪いが、今は一人にして欲しい。

ベッドに倒れこんで、天蓋を仰ぎ見る。
思い出されるのは先ほどの図書館での会話だった。
僕は、名無し先輩とクリスマスパーティーに出たかった、ただそれだけだった。

名無し先輩はいつだって着飾ることは無く、地味だ。
折角の長くて艶っぽい黒髪もいつも簡単に結われているだけで、黒曜石のような黒い瞳を縁取る長い睫も眼鏡の下。
本当は、肌も白くて綺麗で、黒髪は艶々でさわり心地がいいし(寝てるときに勝手に触った)、化粧をしなくても美人だって分かる。
本人は自分のことを可愛くもなくて、美人でもない、引き立て役だとそう言うが、そんなことは無い。
少し気を使えば、とても美人になるのに。

それはさておき、とにかく僕は名無し先輩と一緒にクリスマスを過ごしたかった。
好きな人とクリスマスを過ごしたいと願って何がいけない?
名無し先輩は、僕より2つ年上の先輩で、あと2年もすれば僕の前からいなくなってしまう。
だから、その前にたくさん思い出を作ったりしたいとおもう気持ちの何がいけない?

「っあー…」

みしっと嫌な音がした、感情に任せて何か壊してしまったような気がする。

確かに、僕も強引だったと思う。
名無し先輩はああいった人の多いところに行くのは好きじゃない、それは知ってる。
僕と一緒に居るところも見られたくない、それも知ってる。
だけど、僕は名無し先輩と一緒にいたいし、綺麗に着飾った姿も見たい。

やり方が悪かったのか、やはりちょっと強引だったように思える。
それに、名無し先輩が余りにつれないから最終的には逃げ出してしまった。

「おーい、レギュラス、入っていいか?」
「…できれば入ってくるな」
「無理だって、俺、明日提出の課題部屋に置きっぱなしだし」

もんもんと後悔に身を焦がしていると、部屋が軽くノックされる。
ノックと同時に同室の友人の声、どうやらどこかから帰ってきたようだ。

今きっと僕は酷い顔をしているから、あまり会いたくは無かったが、ここは共同部屋。
僕のわがまま1つでいれないわけにも行かない。

仕方がなく、杖を振って鍵を開けた。

「おおう…なんだよ、荒れてんな」
「何か壊れてた…?」
「おう、ドアに皹入ってるぞ」
「あー…まあ、いいや。誰か治してくれるだろ」

無気力にドアのほうを見ると、確かに大きく縦に皹が入っていた。
だが、そんなことどうでもいい。
そんなことよりも、クリスマスのことだ。
なんとかして、名無し先輩と一緒に過ごしたい。

同室の友人は、レポートを手に持ったが、部屋を出て行く様子は無い。
なんだろうと彼を見ると、にやにやとむかつく笑みを湛えて、ベッドに腰掛けてこちらを見ていた。

「んで?さん先輩に振られたのか?」
「煩い!」
「おお、怖い怖い」

この友人は同年代のうちでも最も仲のいい奴で、僕が名無し先輩のことを気に掛けていることを知ってる。
へらへらした軽い奴で、いくら怒鳴ったって恐れることなく果敢に挑んでくる姿は、どこか兄を髣髴とさせた。
イライラするが、彼は一応ブラック家と仲良い純血家の1人息子なので手をあげるわけには行かない。

ベッドを覗き込んできた彼を睨んでいたが、先に向こうが折れた。
やれやれといわんばかりに肩をすぼめ、勝手に僕のベッドの淵に座る。

「言い方まずったのか」
「そんなところ…何言っても嫌だの一点張り。最終的に、“レギュラスには他の女の子がいるんだからその子達といったら?”だよ?逃げてきちゃったし…最悪だ…」

女は掃いて捨てるほどいる、でも大好きな人は名無し先輩一人だけ。
名無し先輩がいなければあんな騒々しいだけのクリスマスパーティーなんて何の意味も無い。
確かに言い方は強引だった、だけど問題なのは名無し先輩が鈍感すぎるということ。
気づいているのか、それとも気づかない振りをしているだけなのか、どちらにしてももどかしい。

ぴしり、とまた嫌な音がした。
今度は何を壊してしまったのだろう、ため息をつく。

隣に座っている友人は絶句しているようだ、言葉が見つからないのか口をパクパクとさせている。
こいつは何と言うか、行動一つ一つが馬鹿っぽい。

「それは、なんというか…ご愁傷様」
「どうしようもないだろ?そんなこと言われたら…」
「望みは薄いな」

はっきりとそういわれて、ぼきりと音がした。
暖炉の中の火掻き棒が折れたようだ。

泣きそうなのを必死に耐えていたのに、目じりからぽろりと涙が落ちた。
3年間ずっと思い続けてる人なのに、ちっともこちらを見てくれない。
そんな人は初めてだった。
悲しいやら悔しいやらで、気持ちがぐちゃぐちゃだった。
めきめき、と地味な音の連鎖がおこる。

「おまっ…馬鹿やめろ!壁に皹入れるな!このコントロール下手め!」
「煩い!お前に何が分かる!?こっちは本気なのに!大好きなのに!」

皹の入る壁を見た友人が声を荒げて怒った。
僕ももう訳が分からなくなって喚き散らして喧嘩をしていると、がちゃり、とドアが開いた。

「なんだよ…ノック位しろ」
「してたよ…2人が喧嘩してるからその騒音で聞こえなかったんでしょ…?レギュラス、お客さんだよ」
「…誰?」
「随分荒れてるね、レギュラス。大丈夫?」

友人がイライラした様子で手厳しく部屋に入ってきたもう1人の同室を睨む。
童顔で甘い顔立ちの同室の友人は、1つため息をついてそう言う。
その友人にすらイライラしてつっけんどんに怪訝そうな目を向けた。

彼もその視線にいらだったのか、むっとして口を開こうとしたが、すぐに閉ざした。
無言で、廊下のほうに顔だけ向けて、気だるげに手を拱く。
彼の後ろからひょっこりと顔を出したのは、名無し先輩だった。



ちょっと言い過ぎちゃったかな、素直にそう思った。
レギュラスが好意を持ってパーティーに誘っているのは、なんとなく分かった。
前に告白じみたこともされたし、そういうのがあってもおかしくないなと。

でも、はっきり言って彼とこれ以上仲良くなるのはやめたほうがいいと思った。
だってレギュラスは将来、純血の家を継ぐ身で、高潔で高貴な人。
高嶺の花と言う言葉は女性にばかり使われるが、今回ばかりはレギュラスにあてたい。
その花が地上に降りてきたとして、どうしてその花と一緒に成れよう?
高嶺では、地上の花は生きていけない。

その上、夏休みの終わりに言われた両親の言葉。
“お前は帰ってきたら女子大に入れる。イギリスに残るなんて許さない”…私はイギリスに残りたいなんて親に言ったことはない。
でも、彼らは敏感に察知したのだろう、私がイギリスを気に入っていること。

もし、私が小さくとも純血の家の子であったなら、きっとパーティーの誘いも断らなかった。
最初に好きだって言われたときに、本気で悩んで苦しんで、それで答えを出した。
でも、“もし”とか“きっと”は現実にはならない。
彼よりも2年長く生きている私の経験上、この想いは伝えるべきじゃない。

置いてけぼりにされた彼の教科書を、私は手にとってスリザリンの寮へ向かった。

「…、名無し先輩」
「うん。さっきレギュラス、これ置いて行っちゃったでしょ?届けようと思って」

一瞬で顔を蒼白とさせたレギュラスをよそに、私は何にも気にしていないようないつもと同じ笑顔を彼に向けた。
先ほどの叫びのような告白が、胸に刺さったままだ。
うまく笑えているだろうか、声は震えてないだろうか、動揺を隠しきれているだろうか。
不安が耐えないが、ここは年上として毅然とした態度で挑まなければ。

「先輩、」
「何?」
「…あの、…いえ、なんでもないです」

レギュラスは何かを求めるように、私を呼んだ。
その求める何かを与えることは容易いだろう。
でも、それはしない。
与えれば、戻れなくなる。

何も気づいていない振りをして、貼り付けたような笑みを彼に向けた。
彼はまるで親に迷惑をかけてはいけないからと我侭を押さえ込む子どものように、俯いてしまった。

「これ、どうすればいい?」
「あ…わざわざすいません」
「いいえ。私、スリザリンの寮、初めて入ったけど落ち着いててなかなかいいね」

無理に笑っているかのようなレギュラスの笑顔に、こちらまで泣きそうになった。
酷く彼を傷つけたと思う、でも、きっと忘れられるでしょう?
他愛のない話、長引くことの無いようなくだらない話題を幾つか出した。
彼の反応はどれもぱっとしなくて、うろたえている様子が手に取るように分かった。

彼の友人2人は、私を睨むように見ていた。
彼らは気づいているのだろう、私がわざとレギュラスを引き離していることを。
いい友人を持ってるなと、高みからの言葉が脳裏に浮かんだ。

「じゃあ、私行くね」
「あ…寮まで送ります」
「ううん、いいの。先生に用事があるから」

彼らの視線と、レギュラスの様子に耐え切れなくなって、帰ると切り出した。
レギュラスはいつものように、送ると言った、多分反射的なものだろう。
今一緒に歩いても気まずいだけだから、適当な理由をつけて断った。

そうして、1人で寮の外に出て、逃げるように自寮に戻った。
自室は嬉しいことに誰もいなくて、私もレギュラスと同じに部屋に鍵をかけて自分のベッドに転がった。
レギュラスと違うところは、私にはそこまで親身になって考えてくれる友人がいないというところ。

はっきり言って、辛かった。
じんわりと眼が熱くなって、雫が頬を伝う感触。
顔を枕にうずめて、声を殺して泣いた。
傷ついたようなレギュラスの顔が、悲痛な叫びが、強い思いが、全てが辛かった。
もしも、が起こればいいのに。
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