タイム・リミット
それから数日は、名無し先輩と距離を置いた。
何を話せばいいのか分からなかったし、気まずかったからだ。
でも、エドワードがよく図書室で名無し先輩を見かけるというので、先輩はそこまで今回のことを気にしていないのかなと少し複雑な気持ちになった。
僕だけこんなに思い悩んでいると思うと、ばかばかしい。

「…よし、今日会いに行ってみるよ」
「おー、いいんじゃね?どうせ今日もいるよ、あの人」

エドワードは名無し先輩が毎日図書室にいるものだから呆れているらしい。
いい加減、僕の変わりに図書室に通うのも飽きてきているのだろう、適当な返事をくれた。
エドワードは、今日はもう図書室に行く気は無いようだ、ベッドの上でお菓子を食べている。

彼を一瞥して、今度お菓子を持ってきてやろうと思いながら部屋を出た。
図書室に向かう道はあまり人気がない。
それもそうだろう、今日は土曜日で好き好んで図書室に篭る生徒は少ない。

「あ、レギュラス君っ。どこに行くの?」
「…こんにちは。図書室に行こうと思って」

人気がないと思ったら、数名のスリザリン生とすれ違った。
派手なメイクと甲高い声に眉根を顰めたくなるのを我慢して、笑顔で対応する。
先頭の先輩がこちらに近づいてくると、その後ろの女達もぞろぞろと付いてくる。
厄介な人たちに捕まってしまった。

「へぇ、勤勉ね。折角の土曜日なのに」
「休日のほうが、人が少なくてやりやすいですから。…僕、そろそろ行きますね」
「えー、レギュラス君一緒に遊ぼうよ!これからチェスをやろうと思ってるの」

先頭の先輩が妖艶な笑みを浮かべてそう言う。
わざとらしくて、気持ち悪い。
さっさと図書室に行きたいのに、彼女達は道を塞ぐようにして話を続ける、いい迷惑だ。

そろそろ行くといっているのに、先輩の後ろから同い年の女が出てくる。
今から図書室に行くといっているのに、どうして邪魔をするのか。

「ごめん、魔法薬学のレポートを書き直したいんだ」
「レギュラス君のレポートだったら書き直す必要なんて無いよー」

一体彼女は僕のレポートの何を知っているのだろう。
甘えるような間延びした喋り方、子どもっぽい声、すべてがうっとおしい。

それにしてもしつこい、今日はやけに人数が多い。
いつもなら2,3人しかいないから軽くかわせるのだが、今日はどういうことだ。
休日だからか、年齢問わず群を成している。
舌打ちしそうになるのを何とか堪え、なんていってやるか考えていると、廊下の向こうから聞きなれたアルトの声がした。

「レギュラス、遅いよ。迎えに行こうとしてた」
「ああ、クリス。ごめん」
「先輩方、僕、レギュラスに勉強を教えてもらう約束をしてたんです。申し訳ないですがお借りしますね」

ちょっと怒ったように僕の腕を引っ張るクリスを、先輩達は幼い弟を見るような眼で見た。
クリスは慣れたように可愛らしくそういって、にっこり笑って僕を図書室に引っ張って言ってくれた。

クリスとそんな約束はしていないから、彼の即興劇だ。
さすがスリザリン、腹が黒い。

「助かったよ、クリス」
「レギュラス逃げるのへたくそすぎ。もっと厳しく言っちゃっていいんじゃない?あの人たちに八方美人になる必要性無いよ」

幼い子どものような声だが、言っていることは辛辣である。
クリスはその甘い顔立ちと天使のようだと称される容姿で誰からでも愛されるような人だが、その内面は真っ黒である。
あまり大きな家の子ではないが、その容姿と可愛らしい性格(無論偽者だ)でスリザリンではちょっとしたアイドル的存在だ。
きっと彼女達も、クリス君がそう言うなら仕方ないという気持ちだったのだろう。

「クリス、図書室いってたのか」
「うん。今日はエドが行かないみたいだったからさ、気になって。でも、いないんだよ」
「いない?」

エドワードが行かなかった代わりに、クリスが様子を見にいっていたらしい。
しかし、図書室に名無し先輩の姿は無いとそう言う。

昨日までは毎日図書室にいたとエドワードが言っていたのだから、今日だけいないというのはおかしい。
普段から休日も図書室に言っているはずなのに。

「…とりあえず、僕も行ってみる」
「うん、それがいいと思う」

図書室に入って中を捜索してみるも、本当に名無し先輩の姿は無かった。
しかし、いつも名無し先輩の入る机には日本語の問題集がおきっぱなしになっていた。

「レギュラス、これって…」
「…さっきの先輩たちか?」
「まだ確定ではないでしょ。誰か見てるはずだよ」

名無し先輩が問題集や筆記用具を置いて図書室から出るということは滅多にない。
場所の移動の際には必ず荷物も一緒に持っていく。
それはイギリスにきてから身に付いた、と名無し先輩は言っていた、日本に比べてイギリスは治安が悪いと思っていたらしかった。
学校内ではそこまでではないと思うのだが、確かに用心するに越したことはないと苦笑したのを覚えている。

先ほどすれ違ったスリザリンの生徒たちを思い出して、僕は何かあったと思ったが、クリスは冷静だった。
というよりかは、クリスはスリザリン生がそんなことをするわけがないと思いたかったのかもしれない。

「ねえ…もしかして、名無し、探してる?」

2人で名無し先輩のいたであろう席でそう話していると、レイブンクローの生徒が気まずそうに声をかけてきた。
そうだと答えると、バツが悪そうに顔をしかめた。

「…あのね、さっきスリザリンの女子に呼んで来いって言われて…それから名無しの姿見てないの。結構時間たったけど、帰ってこないし…」
「ちょっと、レギュラス!」

嫌な予感しかしなかった、やはり先ほどすれ違った女子達の仕業だ。
クリスが呼び止めようとしたのが聞こえたけれど、スリザリンの生徒に聞き出すのが一番早い。
レイブンクローの生徒が嘘を言うとも思えない。
危惧したことが起こったとすぐに分かった。

僕と一緒に居ることで心配なのが、他の生徒からの視線だった。
それはきっと名無し先輩も分かっていたと思う。
僕の意志とは関係なく、掃いて捨てるほど僕に好意を寄せている女子はいる。
彼女達にとっては名無し先輩の存在と言うのは邪魔だろう。
その上、マグル生まれとあれば憎しみも湧く。

唯一の幸いは、僕が名無し先輩と一緒にいるのは戯れの一首であると思ってくれていること。
そのお陰でスリザリン内で僕が非難されることはなかった、遊ぶのも大抵にしろよと位にしか言われない。
だから、僕は名無し先輩といてもなんら問題は無い。

しかし、名無し先輩は彼女達の嫉妬を真っ先に被る。
だから常日頃から名無し先輩の傍にいるようにしていて、にらみを利かせていた。
毎日一緒に居れば、彼女達への牽制になる、名無し先輩は僕のものだから傷つけたら承知しないという意思表示になる。
その分、この数日一緒に居なかったのは大きい。
彼女達は名無し先輩が捨てられたと思うだろう。
だから、手を出しても問題ないと思うだろう。

「あれ、レギュラス君、どうしたのー?そんなに息を切らせて…」
「名無し先輩をどこに連れて行った?」

彼女達はスリザリンの談話室にいた。
先ほどの集団は嬉しそうにレギュラスを迎えたが、レギュラスの言葉を聞いた途端顔を蒼白とさせた。

「何の話?」
「とぼけないでください。先輩達が連れて行ったと聞きました」
「ふぅん、それを聞いてレギュラスはどうするの?助けるの?あのマグル生まれの穢れた血を?」

その中でリーダーと思われる先輩が嘲るように笑って、嫌みったらしくそう言い放った。
ここは談話室、彼女達以外にも生徒はいる。
その場でマグル生まれを庇うようなことはいえない、そう思って彼女はそういったのだ。
レギュラスもこれには口を噤まざるを得なかった。

しかし、彼女達以外に名無し先輩の居場所を知る人はいない。
場所を変えたいところだが、彼女達はここから離れるつもりは無いだろう。

「んー?何だ何だ?いつも辛気臭いけど、更に辛気臭いな。どした?」
「あ、エド君。聞いてよ、穢れた血を連れ出したらレギュラスが教えろってーどうするつもりなんだろうね」

男子寮から出てきたのはエドだった。
お菓子の袋を手に持ったまま、ずんずんと談話室の中心に進む。
その最中にいた女子を捕まえて、楽しそうにそう聞いていた。
しんと静まり返った教室では、その声がよく響く。

エドに声をかけられた女子は楽しそうに先輩の真似をしてそういった。
味方にしようと思っているのだろう。
しかし、エドは逆に不機嫌そうに顔をしかめた。

「は?お前らそんなことしてんの?ただでさえ悪いスリザリンの印象これ以上悪くすんなよ」
「え?」
「どういうことよ…!」
「そのまんまの意味。お前らスリザリンがこの学校で好まれてると思ってんの?」

エドはちゃらちゃらした笑顔を消し、真剣なまなざしで談話室を見渡した。
彼女達だけではなく、談話室にいるほかの生徒にも聞こえるように意識しているようだった。

レギュラスは何も言わずに、その場に立っていた。
エドは怒っているようだ、レギュラスでさえエドが怒る姿はめったに見ない。

「スリザリンは高貴な寮だろ?穢れた血でもなんでも、1人に対して多数で立ち向かうなんてそりゃ狡猾じゃなくて卑怯だろ。んな卑劣な行為する寮だと思われたらお前らどうするんだ?お前ら数名のせいでスリザリン全体のイメージが悪くなるんだよ。そうなる前に、揉み消すのが狡猾だろうが」

正論といえば正論だが、乱暴である。
エドが話し終えると、いよいよ誰も話さなくなった。
目の前の女子学生たちは目に涙を浮かべるものもあり、泣いてしまっているものもあった。

エドが怒ってくれたおかげで、レギュラスは冷静になることができた。

「教えてくれませんか、今は冬場です。場所によっては凍傷になる事だってあるんです。事件になる前に助けないと、先輩達が退学になりますよ。図書室にいた人の中にはあなた方が連れて行ったと証言する人も少なくないんです」
「っ…!天文学塔の5階の教室よ!勝手にしたら?!」
「ええ、勝手にします」

畳み掛けるようにレギュラスが丁寧に言うと、リーダー格の生徒がヒステリックに言い捨てた。
天文塔は学校の一番端で、しかも5階となれば酷く寒い。
脅しで言った言葉が本当になってしまいそうだ。

「エド、ありがとう」
「おう。さっさと見つけてこいよ」

小声でエドに御礼をして、談話室を出た。


天文塔の螺旋階段はすっかりオレンジ色に染まっていた。
漸く5階にたどり着き、そこにある唯一の教室のドアを開ける。
教室の中はオレンジの光で満ちていて、その中にぽつりとある黒髪は良く目立った。

「名無し先輩っ!」

教室の真ん中で座り込んでいる名無し先輩を後ろから抱きしめた。
抱きしめるつもりは無かったけれど、座り込んでいる先輩は消えてしまいそうで、不安だった。
すっかり冷え切った身体は小刻みに震えていて、弱弱しくて、言葉を失った。

「…レギュラス?え、ん?なんで?」

戸惑ったような声は少しかすれている。
振り向こうとしているようだが、うまく身体が動かないようで、顔を見ることはできなかった。
なので、僕が名無し先輩の前に回った。

そこで漸く名無し先輩の顔を見て、辛くなった。
名無し先輩はきょとんと目を丸くしているが、その瞳からは止め処なく涙が流れていた。
子どものように、ただただ泣いている。
腕が動かないのだろうか、それを拭うこともしないから僕が代わりに拭ってあげた。

「レギュラス…」
「ごめんなさい、名無し先輩。守ってあげられなくて…。僕が傍にいないとああいう人たちが手を出すって分かってたのに」
「やだ、だってっ、私が遠ざけて…」
「最初に近づいたのは僕ですから。ちゃんと責任は取るつもりです」

弱弱しく僕の名前を呼ぶ名無し先輩に、謝っても僕の中の罪悪感は消えなかった。
大好きな人を守りきれないなんて、あんなちょっとしたことで傍を離れるだなんて、情けない。
名無し先輩は遠ざけたというが、それでも傍にいるべきだった、こうなるということは想定していたのだから。

赤く腫れている頬は変に熱を帯びていた、きっと叩かれたのだろう。
涙で潤んだ瞳はどこか怯えたような色を帯びていた、遠ざけたくらいで僕が傷ついたと思っているのだろうか。
確かにちょっと傷ついたけど、そんなの僕が弱いからいけないわけで、名無し先輩が気にするようなことじゃない。
安心させるように名無し先輩の頭を撫でると、子どもみたいにわっと泣き出した。
怖かったし辛かったんだろうなと思って、そのまま抱きしめて痛くないように優しく背中を撫でた。
泣いている名無し先輩は本当に小さくて、僕が抱きしめれば胸の中に納まってしまうほどだった。


落ち着いたらしい名無し先輩が、そっと離れる。
まだぼんやりしているのか、僕の肩口に頭を乗せたままだった。
肩や胸に感じるどこかひんやりとしたぬくもりが、心地よかった。

腕や足など眼に見えるところには傷がないようだが、きっと腹や背中など見えない場所を傷つけられたのだ。
僕が近寄って触っても、名無し先輩は動かないでじっとしていた。
しかし、お腹の辺りや背中に手を回すと、びくりと身体を震わせ、痛みに顔をしかめる。

早めに傷を見てもらったほうがいい、そう思って名無し先輩を抱き上げた。
名無し先輩は顔を更に赤くして、降ろしてといっていたが、降ろされたところで歩けないと気づいたのか、少しすると暴れることも無くなった。

腕の中で名無し先輩は恥ずかしそうに僕のシャツに顔をうずめて、じっとしていた。

「ねぇ、レギュラス」
「なんです?」

ふいに声をかけてきたので、ちょっと驚いた。
名無し先輩はもう恥ずかしがることなく僕を見上げている。
舌足らずな声は、親に甘える子どものような響きをしていた。

僕はその言葉に、疑問を抱いて聞き返す。

「クリスマスさ、パーティーじゃなくてもいいなら一緒でもいいよ」
「本当ですか!?」

まさかそんなことを言ってくれるとは思っていなかったので、驚いて声を荒げてしまった。
腕の中の名無し先輩はクスクスと楽しそうに笑っていて、恥ずかしくなる。
ぎゅっと先輩を抱く腕に力をいれて、力強く答える。

「名無し先輩と一緒に居られれば、何でも!どこでやります?」

一緒ならきっと何でも楽しいし、嬉しい。
いいんだ、今だけでも幸せならそれでいい。
やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうが言いに決まってる。
学校だけは僕が自由でいられる場所、いつかはなくなってしまう場所なんだから存分に楽しむ。

自由な兄が羨ましかった、だけど僕は家や家族を捨ててまでそれを手に入れる勇気はなかった。
だから僕はスリザリンだし、ブラック家の次期当主候補だ。
それに対して後悔も泣き言も言うつもりはない。
だからいつか名無し先輩とさよならする時が来る、それも分かってる。

でも、今はそれを考えたくはない、あと2年だ。
2年だけ、純血もマグル生まれも家も家族も寮も人の目も気にせずに、僕は自由にしていたい。
初めて好きになったその人と。
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