姫君は春の花の如し





箏の音が響く。美しい音色だった。繊細な音の動き、心安らぐような柔らかな旋律。侍女たちは思わず仕事の手を止めた。

「まぁ…姫様の箏だわ。お上手になられて」
「本当に。幼い頃、お稽古が嫌だと城中を走り回られていた頃が、懐かしいわね」

西の丸の一番奥の部屋から音は聞こえてくる。城主の長女である姫、静雄が箏の稽古中だった。細い指が奏でる音色はなかなかのもので、皆静雄の箏には一目置いていた。最後の旋律が流れ終わり、箏の音が止まる。

「…お上手です、静雄姫」

ぱちぱちぱちと拍手をする、姫付の従者は折原臨也と言った。代々城仕えの家に生まれ、幼い頃から静雄の付き人として傍にいた。静雄は臨也をちらりと見て、足を崩す。静雄の着ているのは、今日は薄い水色と淡い紫が織り成す着物で、よく似合っていた。

「ふう、…疲れた。いいだろ、一曲弾いたんだから、もう終わりだ」
「私は構いませんが。しかしこれが終わると、姫のもっと嫌いな勉学の…。時間が早まってしまいますね」
「……もう一曲弾こう」

静雄は箏の前に座りなおす。臨也も足を崩すことなく傍で聞いていた。すっと息を吸い、静雄の指が再び箏に触れる。静雄の好きな、春そのもののような優しい曲だった。






『きょ、今日から姫のお世話をさせていただきます、折原臨也と申しますっ』

臨也が初めて静雄に出会ったのは8歳の時だった。静雄はこの時3歳である。臨也は城仕えの父に連れられ、真新しい着物を着て静雄の前へ出た。静雄へ深く深く頭を下げ、生涯静雄のためにこの身を捧げることを誓った。それから臨也はいつも静雄のために動いた。静雄も臨也のことを信頼し、何かある時には絶対に傍に臨也を置いた。

『いざや、かいあわせはできる?いっしょにやりたいんだけど!』
『ねえ…いざや、…わたし、女の子らしくないのかな…』
『…臨也、似合うか?父上が贈ってくださった着物なんだが…』
『私は私らしく生きようと思う。臨也、どう思う?』

静雄は今年で16歳になる。それはそれは美しい姫へと成長したのだ。幼い頃、静雄はおてんばで、城の皆を困らせることもよくあった。臨也も遊びの対象とされたことも多かった。だが、成長して行くにつれ、美しさが勝ってきた。臨也はいつもそれを近くで見ていた。

『はい、で、できます。姫の仰せのままに』
『姫様、…そんなことありません。姫様は、とても愛らしいお方ですっ』
『とてもよくお似合いです、姫様!』
『それでこそ私のお仕えする姫様です。姫様に仕えさせていただくことを、誇りに思います』

心優しい静雄は城仕えの武士たちにも侍女たちにも好かれていた。静雄は分け隔てなく、平等に接してくれる。戦で傷を負った武士たちの傍へ寄り、涙を流したことも一度や二度ではない。口調は男のようで長身で近づきにくいと思われることもあったが、それは最初だけだ。静雄の中身を知れば、皆静雄に惹かれる。

『臨也、…おまえが死んだら、私は悲しい。絶対に死なないでくれ。死んだら許さない』

何年か前、大きな戦のあった日、静雄は泣きながら臨也に言った。臨也は確かに頷いた。静雄の涙はとても綺麗だった。

『はい、姫様。…姫様のお傍におります、ずっと…』

死ぬ時は静雄を守る時だけだ、と心の中で臨也は呟いた。臨也の大事なお姫様。何があっても守ると決めていた。だからいつか自分は静雄を悲しませるかもしれないと臨也はどこかで思っている。その時は、撃たれたり斬られたりしても、静雄の傍で死ねればいいなぁとも、思って、いる。






箏の演奏が終わる。臨也は再び拍手をした。静雄はにこりと笑う。納得のいく演奏ができたようだった。

「素晴らしい箏でございました」
「そりゃ何年もやってりゃあな…。…なぁ臨也、今日は見逃してくんない?」
「…勉学のことでございますか?姫」
「…だって、…今日はこんなにも天気が良いし。勉学なんて勿体無いと思わないか」

よく晴れた空を窓から見ながら静雄は呟いた。つい最近もそんなことを言って、臨也はつい許してしまったのだ、今日はダメだ、と言おうとしたが、静雄は臨也に向かって悪戯っぽく笑い、自分の唇に人差し指を当てた。

「内緒、でさ。な?臨也」
「……、…明日、倍やることになりますが、よろしければ」
「うっ…。…臨也、おまえだんだん性格悪くなってないか?」
「そんなことは」

臨也は笑いながら箏を丁寧に片付けた。そして部屋の扉を引き、開ける。静雄はそっと部屋を抜け、傍にある階段を下った。臨也もすぐ後ろをついてくる。

「おや、静雄姫様!お箏は終わりですかい」
「ん、今日はな」
「また聞かせてやってくださいね、わしら楽しみにしとるんです」
「本当か。私の拙い箏でよけりゃいくらでも。ありがとう」

見張りの男たちは静雄と臨也に頭を下げた。静雄は渡り廊下を渡り、中庭へ出た。置いてあった下駄を履く。臨也がそっと手を出した。

「姫様」
「ああ、ありがと。、っしょっと」

長い着物を持ち、臨也の手を借りながら外へ出ると、静雄は花の咲き乱れる庭に走り出す。静雄は植物や動物が好きだった。庭の奥にある池と小川まで来ると、池にかかる石の橋の上で立ち止まり、座り込んだ。

「…好きなんだ、この、川の音」
「そうでしたね」
「勉学よりもずっとずっと。…最近色々思うことが多くて。もう16だし、」

臨也は静雄の言いたいことが理解できた。確かにここの所、あまり静雄の元気がなかった。静雄に婚約の話が出ているのだ。静雄は大事な長女で、嫁ぎ先は重要に選ばなくてはならない。だが、静雄は乗り気でないようだった。

「…良い殿方はたくさんいらっしゃると思いますが?」
「臨也、おまえは私を城から追い出したいのか?」
「まさか。…姫様が嫁がれてしまえば、皆寂しがりますね」
「臨也は…どうなんだ」

さらさらと流れる川に、桜の花弁が浮かんでいる。池へ流れ、花弁が溜まっていく。それはとても綺麗で、静雄はじいっと眺めていた。臨也は立ったまま、そんな静雄の様子を見ていた。そうっと口を開く。

「寂しくて…死んでしまいそうですね」
「、ふふ」
「……姫様さえよければ、一緒に連れていってくださいますか?」
「ええ〜、おまえ稽古とか厳しいしな…」

静雄は優しく笑う。臨也も笑った。するとふわりと静雄の傍に揚羽蝶が飛んできた。美しい蝶だった。静雄は嬉しそうに蝶に手を伸ばしたが、蝶はするりするりふわりと静雄の周りを一周し、飛んでいく。静雄は振り返ろうとする。その瞬間、バランスを崩し、がくっと足が下がる感覚がした。臨也は「姫!!」と咄嗟に静雄の腕を掴み、引き戻す。その代わりに自分が池へと引き込まれる。バシャンッ!と水飛沫を上げて、臨也は上半身から池に落ちた。

「、臨也っ!!」

静雄ははっとして石橋に手をつき、池を覗く。深くない池だったので、臨也はざばっと立ち上がった。石橋の上で座り込んでいる静雄と目線が同じくらいになる。ぽたぽたと髪の毛から水滴が滴っていた。

「姫、…大丈夫でしたか」
「臨也、臨也、…悪い、私が余所見をして、足を踏み外してしまって」
「構いませんよ、姫様が無事なら。ですから、そんなお顔をなさらないでください」

臨也は安心させるように笑いながら池から上がる。髪には桜の花弁がたくさんついていた。静雄は慌てて自分の着物の上着を一枚脱ぐと、それをふわりと臨也の身体にかけた。

「、いけません姫、着物が…」
「風邪を引かれたら困る。臨也、…私には、おまえが必要なんだ」

静雄はそっと臨也の髪についている花弁を両手で優しく取った。静雄の真剣な表情に、臨也も一度目を伏せ、改めて静雄を見た。幼い頃の面影は残っているが、そこにいるのは凛々しく美しく成長した、一人の姫君の姿だった。

「……静雄姫、…ご心配なさらずとも、おりますよ。…あなたの傍に、ずっと」
「臨也。…城の中に戻ろう。本当に風邪を引く。…私も勉学をするから。我侭をいって…悪かった」
「姫様が謝ることなんて何一つございません。…先ほども言いましたが、姫様、そのようなお顔をなさらないで。姫様は笑っているのが一番お美しく、愛らしいのですから」

そっと臨也は静雄の髪へ触れた。ついていた桜の花弁を撫でる。静雄は微笑んだ。揚羽蝶がふわりと戻ってきたのが見えた。



-------------
10000hitフリリク:政宗様
「時代モノでお姫様な静雄さんとその従者な臨也」

お待たせいたしました〜!
リクエストありがとうございました!!

お姫様静雄ということで、静雄♀で書かせていただきました!
臨也がこれだれ状態ですみません…こ、こんなものでよろしければお持ち帰りも可ですので…!
これからもサイト共々、どうぞよろしくお願いします。


Like Lady Luck/花待りか
-------------


201007

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -