魔法使いと 居候な彼女 後編 「…、おい、臨也っ!」 静雄は思いっきりドアを開ける。だが、しいんと城は静まり返っていた。暖炉の火がパチパチと燃えているだけだ。静雄はブーツを鳴らして階段を駆け上がる。 「臨也…ッ」 上の階にも臨也はいないようだった。まだ帰ってきていないのか。静雄ははあと息を吐き出した。自分の中で、得体の知れない何かが蠢いてるような気がした。先ほどまで、静雄はある家にいた。街で出会った静雄の弟だという男に連れられ、自分の家…であったはずの場所に。 「……、…」 下の階へ戻り、静雄はカタンとイスを暖炉の傍に寄せた。ギシ、とそれに座り、炎を見つめる。静雄は完全に記憶を取り戻したわけではなかった。だが、あの家で会った、優しそうな、そして静雄を見た瞬間に涙を見せた夫婦の姿。 (……どこか懐かしい、気もした…) 静雄、と呼ばれるその声に、引き戻される感覚がした。夫婦は泣いて喜び、弟だという男も微笑んでいた。本当に、自分は彼らの家族なのだろうか。もしそうだとしたら…。静雄はゆっくり目を閉じた。 「ただいま、」 バタンと扉の閉まる音がして、静雄ははっと目を覚ます。うとうとと寝てしまったようだ。イスから立ち上がった静雄と目が合うと、臨也はにこりと笑った。 「シズちゃん」 「、…臨也。……っ、どうした、その傷…っ」 静雄は慌てて臨也に駆け寄った。片方の手で押さえている腕から、床にぽたぽたと赤い液体が伝っているのに気づいたのだ。臨也は困ったような笑みを浮かべるだけだった。 「ちょっとね、しくじっちゃって。まったく、どこで今日の『日々也』の情報を掴んだんだか、」 「、…すぐに救急箱持って来る。イス座ってろ!」 静雄は先ほどまで自分が座っていたイスを指差すと、戸棚の方へ向かった。救急箱を持ち上げ、振り返れば臨也は大人しくイスに座っていた。扉からの点々とした血に顔をしかめ、静雄は早足で臨也の傍に戻り、床に膝をついた。 「腕、見せろ」 「…ありがと」 「無茶したんだろ、また」 救急箱から包帯を取り出し、静雄は止血を始める。臨也はそれをじっと見つめていた。臨也がこうして怪我をして帰ってくる度、静雄はこうして手当てをしてきた。随分と包帯を巻くのも上手くなったものだ。 「…ちょっと油断してね」 「…珍しいな」 「……うん…」 臨也は歯切れが悪そうに呟く。静雄は臨也の包帯を綺麗に巻き終わると、ふうと小さく息をついた。救急箱を片付けようとしたその手を、臨也がぐいと掴む。臨也を見れば、真っ赤な瞳がじっと静雄を映していた。 「…臨也?」 「……」 「……どうし、ッ、」 ぐらりと視界がひっくり返るのと同時に、背中に鋭く痛みが走る。眉を寄せれば、自分を見下ろす臨也と天井が見えた。何か言おうとしたが、その前に唇を塞がれる。 「んっ…ん、ん、」 余裕のない口付けだった。思考が奪われていく。あの赤い瞳がいけないと静雄はいつも思う。臨也は無意識に魔法を使っているのではないかと思うほどだ。それほどに… 「、ん、…っは、いざ……っちょ、」 「……、」 「やめ、…いざ、臨也…っ?ひ、」 唇が離れ、静雄は臨也を見る。だが、想像していた臨也の表情とは違っていた。いつも暖かで深いその瞳の色は、暗く果てが見えない。確かに静雄を見ているのに、どこか違う感覚がし、静雄は恐怖を抱いた。そうしているうちに、臨也の左手が静雄の服の中に入り、胸に直に触れた。 「っ、やっ…臨也っ…、」 「…静雄、」 静雄の首筋に顔を埋め、臨也は低く呟いた。それは愛情に満ちたものではなく、必死に絞り出したような、しがみ付くような。臨也の左手は、静雄の身体のラインを荒々しく撫でる。 「臨也、…っ、あ、もっ…やめ、」 「……」 「っ…臨也!」 「、いっ…!」 臨也の手が静雄の太股に触れ、ゆっくり上に、そして下着に触れたところで静雄は耐え切れず臨也の頬を思いっきり抓った。爪が食い込み、臨也は思わず声を上げる。静雄が指を離すと、慌ててそこを自分の手で覆った。 「痛いじゃん、何すんの!!」 「こっちのセリフだ、このセクハラ魔法使い!」 声を上げながらも、静雄はどこかほっとしていた。臨也の瞳が戻った。静雄をしっかり見ている、臨也の赤い瞳。いつもの表情だ。 「…、…ごめん」 「…右腕、手当てしたばっかなんだから、…」 臨也は静雄の乱れた洋服を見下ろし、ぼそりと呟いた。静雄はそれを直しながら、ゆっくり起き上がる。臨也は頬を押さえたまま、静雄の姿をじっと見つめていた。 「…ねえ」 「…何だ」 「……いや、…なんでもない。部屋に戻ってる、」 「、いざ…」 臨也は立ち上がると、そのまま振り返らず階段を上っていってしまった。トントントン…という階段を上る臨也の靴の音がしなくなると、静雄は小さくため息をつき、ゆっくりと立ち上がる。床の臨也の点々とした血の跡を拭き取ってから、温かいお茶でもいれようと決めた。 「臨也」 臨也の部屋は不思議だ。部屋の中には様々な、インテリアのような魔法道具が詰め込まれている。この不思議な空間に最初は驚いたが、もう慣れてしまった。コンコンとノックをし、部屋の扉を開ける。 「…シズちゃん」 臨也はベッドで分厚い本を読んでいた。静雄が来たのに気づくと、その本をぱたんと閉じて身体を起こす。静雄は持ってきた温かいお茶をベッドサイドに置くと、傍にあったイスに座った。 「…腕、痛むか」 「平気だよ、…すぐ治るよ、ありがとう」 「……なら、いいけど。お茶持って来たから、」 「…ありがとう」 臨也はにこりと微笑んで、静雄に手を伸ばす。静雄もカップを持ち上げ、臨也に手渡してやる。じんわり温かいカップ、少しだけ触れ合う二人の手。臨也はそっとそれを受け取ると、唇をつけた。 「…シズちゃんは、いつも俺に優しいね」 「…別に、…できることをしているだけだ。私は魔法使いじゃないから、普通のことだけだけどな」 「充分だよ、…」 こく、ともう一度カップからお茶を飲むと、臨也はベッドサイドにカップを置こうと手を伸ばす。静雄はそれを見て、ひょいと臨也からカップを取り、ベッドサイドに戻す。臨也はふっと笑った。…静雄は胸につっかかっていた思いを、臨也に言うべきことがあることを思い出す。ふうと息を吐き、そっと口を開いた。 「……なあ、臨也。……私、……臨也に、聞きたいことが、」 「言わなくても、俺は全てわかっているよ」 え、と言葉を止めた瞬間、臨也の細い指が静雄の唇に触れた。言葉を発することができない。臨也はいつもの綺麗な笑顔で、だが瞳の奥はどこか寂しそうに言った。 「君に危険があった時、すぐに駆けつけられるように」 「……」 「君の周りにはいつも、俺の魔法があった。花、鳥、木…君を守るために、俺が魔法をかけたんだ」 臨也の手がそっと静雄の頬を撫でる。そして、ゆっくりと額に移動する。臨也は笑っているのに、静雄には泣き出しそうな表情に見えた。静雄は何かを言おうとするのだが、言葉が出てこない。 「…俺は君を手放したくはない。無理やりにでも、君をここに縛り付けておきたかった」 「……」 「半年前の事故で失った記憶を…俺は、魔法で取り戻させることができる」 「……」 「言わなかったのは、…俺の我侭なんだけど、でも、…君のこと、」 静雄はいざや、と呼んだ。それは言葉にはならなかったけれど、臨也はわかってるよというように頷いた。いや、違う。わかってないんだ。静雄が何を言いたいかまで、臨也がわかるわけがない。静雄は自分の右手で、臨也の静雄に触れている左手をぐっと掴んだ。 「シズちゃ…」 「……」 その手を唇に持っていく。今かかっている魔法を解け、と口を動かした。臨也は困ったような顔をするが、静雄の真剣な瞳を見て、何も言わずにすいと指を動かす。途端、ふわりと唇の中に空気が入ってくる感覚がした。 「、…っ、臨也、」 「…記憶、戻してあげるよ。君もそれを、望」 「勝手に決めるな」 きっぱりと言い放つ静雄に、臨也は驚いたような顔をした。静雄はイスから立ち上がり、ベッドにぎし、と身体を乗せる。臨也との距離が縮まる。 「…大切な、ことだよ」 「ああ、大切なことだ。けど、…無理やり戻された記憶が、今すぐ欲しいわけじゃない。臨也、…やっぱり、あの家族は、私の本当の…」 静雄の今日の行動が全て把握できているのなら、静雄の会った家族のことも知っているだろう。臨也は小さく頷いた。 「そうだよ。…君の両親と、弟くんだ。間違いない」 「…そうか、」 「…元の生活に、戻りたい…だろ?だから、俺はそれができ、」 「ああもう、」 ぐだぐだと言葉を並べる臨也に、静雄はぐいとその身体を引き寄せて薄い唇に自分の唇を重ねた。臨也の目が見開かれる。 「…そんなに出て行ってほしいのか」 「、違…」 「まったく、怪我はしてくるし、好き勝手だし、セクハラしてくるし、城の掃除はまかせっきりだし、料理はできねえし…どこが世界最強の魔法使い、だよ」 「うっ…」 臨也が言葉に詰まる。静雄は臨也の怪我した右腕をそっと撫でた。臨也は詳しいことは何も話さない。けれど、伝わるのは、いつだって静雄を守ろうとしていることだった。この城の場所がバレないよう、今回も追っ手をまきながら走り回って帰ってきたのだろう。 「…家族のことも、気になるが」 「……」 「あの日、言っただろう、おまえは。ここが今日から私の家だと」 「、」 「それに、…私のことを、折原臨也の嫁だと、も…」 嫁は勝手に旦那の元を離れたりなんかしないんだ。優しい言葉で言う静雄に、臨也は震える腕をいっぱいに伸ばして、思いっきり静雄を抱きしめた。ずきりと痛む腕も、今はなんだか気にならない。 「…シズちゃん、好きだよ。そうだ、あの日から、君だけを守って、君だけのために生きると誓ったんだ」 「…けど、勘違いすんな。おまえがどうしようもないから、…嫁として傍にいるだけだからな…」 「……シズちゃんも実は、魔法使いだったりして」 「は?そんなわけ、」 「……すごい魔法だ。俺もまだまだ、勉強不足かな。…こんなに夢中に、愛しい気持ちになれるなんて。…魔法にかかってる、みたいだよ…」 きっとそれは、君だけが使える特別な魔法だ。耳元で囁けば、静雄もそっと臨也の耳元に唇を寄せた。「その魔法なら、こっちもとっくにかかってる。」 201107 |