美しい
彼女の想望
後編





「、ッ…だ、大丈夫ですかっ?!」

けたたましい音と共に、一気に静雄の金髪が白く染まる。体中の痛みと、重たくなった髪に静雄は舌打ちをした。見上げた空は、髪とは相反してどこまでも黒く広がっている。







「やだぁっ、うそ…!」
「マジかよ、」
「ウ、ウィッグとかじゃ、ないよな…!?」

翌日、池袋の街は大騒ぎだった。この街で一番有名な女性の持つ、ふわりとなびく金色の髪がなくなっていたからである。彼女は短くショートカットにした金髪に、いつものバーテン服でヒールを鳴らしていた。

「…にしても、驚いたぜ。…」

静雄は呟いた隣の上司を見る。浴びせられる視線の数々に、静雄と仕事中は一緒に動くことの多い上司は幾分か慣れた様子だったが、今日はそうもいかない。

「本当、どーしたんだよその髪。切るとか言ってなかった、よな?」
「…いや、なんか思い立って。長いと邪魔だし、さっぱりしたかったんです」

ふっと笑って言えば、上司はそうかとそれ以上は何も聞いてこなかった。ただ、「似合ってるぜ」とそれだけ。静雄は照れくさく、だが嬉しくも感じる。素直な気持ちだった。

「…っと、このビルだ。静雄、ここで待っててくれるか。挨拶だけだから、すぐ済むと思うわ」
「はい、わかりました」

あるビルの前で二人は立ち止まる。上司は静雄に入り口で待っていてほしいと伝え、ビルの中へ入っていった。静雄は言われたとおり、ビルの入り口でぼうっと壁に寄りかかっていた。

(…不思議だな。髪が見えない…)

今までは、こうして少し頭を動かせば、さらりと肩から髪がこぼれ落ちてきたのに。昨日のシャンプーも随分楽だった。久しぶりの感覚だ。首筋が少し寒かった。

(……呆気ない、もんだな)

昨日のことだ。静雄は仕事帰り、アパートの階段をうっかり踏み外してしまった。郵便受けに入っていたダイレクトメールを見ながら階段は上がるものじゃないなと思った頃にはもう遅く、静雄は身体が宙に浮くのを感じた。そして地面に身体を叩きつけられる瞬間、腕ががしゃんと何かに触れたのだ。

(自業自得とはいえ……)

丁度、アパートはペンキの塗り替え作業をしていた。作業中ではなかったものの、作業員が置いていったままだったのか。その静雄の触れた缶こそが、白いペンキの入ったそれだった。運悪くペンキが飛び散り、静雄のロングヘアにかかってしまった。すごい音がしたので何事かとアパートの住民が飛び出してきたほどだった。

(…それか、…切れ、っていうお告げとかだったのかも)

ペンキがついてしまってはどうしようもない。静雄は着替えだけすませると、近所の美容室に駆け込んだ。美容師が驚いた顔で静雄を見、短くなりますがいいですかと残念そうに言った。せっかく綺麗なのに、とも言ってくれた。

(……綺麗、か…)

大事に大事にしてきたつもりの髪も、いざなくなってしまえばこんなものだ。…その程度だったのかとも、思える。静雄はこの髪に、特別な想いを宿していたつもりだった。ずうっと昔の言葉が蘇る。好きだと言ったロングヘア。伸ばした理由はとても単純で、幼い。いっそのこと、もう…

「…失恋でも、しちゃいましたか?おねーさん」
「……臨、也…」

はっと顔を上げれば、そこにはいつの間にか男が立っていた。臨也だ。静雄はぼそりとその名を口にした。臨也はいつもの瞳で、だがその表情には笑みも何もなく、ただ静雄を見ていた。

「……本当だったんだね。髪」
「…早いな、情報」
「デマかと…思ってたんだけどなぁ」

どこまで知っているのだろう。だが、静雄は自分からは詳しくは語らなかった。臨也は静雄から目線をはずすことはなかった。静雄はなんだか居心地が悪くなり、だがどこかに逃げるわけにもいかず、ビルの壁に背を預けたまま腕を組んだ。

「…シャンプーが楽になった」
「そう」
「…もっと早く、…こうするべきだったのかもしれない」

静雄は少しだけ笑った。地面に落ちた金髪を見た時、ああこれで、と思った。なかなか踏み出せなかった一歩を、自分はもしかしたら。静雄はぎゅっと拳を握り締める。

「……なぁ臨也」
「…何?」
「…からかわないんだな」

面白いもの、見に来たんじゃなかったのか。静雄はそう呟いたが、臨也が言葉を返すことはなかった。てっきりもっと、何か言われると思っていた。

「からかったじゃない、最初に」
「…あれはからかいにはならない」
「……」
「本当のことだ」

長い間積み重ねてきたものが、崩れる。それしか見えてこなかった毎日から、新しい景色に変わるのだ。自分は、想い過ぎた。それはもう、形という形をなくして、静雄に纏わりついて、それが当たり前になってしまっていたのだ。静雄は臨也以外を好きになったことはなかった。静雄にとって、臨也は一番の人だった。臨也以外は、それ以外の何者でもなかったのだ。

「…失恋…したの?」
「……ああ」
「本気で…好きな奴、いたんだ?」
「……何言ってんだ」

おかしくて静雄は笑ってしまう。今ここで、こうして目の前にいるお前こそ、その相手だ。思えば最初から失恋していたのかもしれない。それを認めたくなくて、無理をして臨也の傍にいることを選んだのだ。

「…俺なら、…君をフッた覚えはないんだけど」
「そんなの…付き合ってるつもりもなかった、だろ?」
「……」
「…もう、やめる。…いい機会だと思う。新しい恋を…見つけよう、かな」

どのくらい本気で口に出したのかは、静雄もわからない。だが、もうこれでふっ切れると思った。静雄は腕時計をちらりと見る。長引いているようだが、もうそろそろ上司も戻ってくるだろう。

「…新しい恋なんて、…できるの?シズちゃんが?」
「…叶わない恋よりは、気は楽だ」
「……」

静雄はそっとベストのポケットから煙草を取り出した。臨也はちらりと少しだけ静雄を見る。一本口に咥え、次はライターを探す。

「…久々だな、これも」
「……」

禁煙に成功していたが、以前どうしようもなく吸いたくなって買ったままだったものが入っていたのを思い出した。ライターを出し、火をつけようと手で囲いを作る。かちんとライターが鳴り、赤い炎を宿した。煙草に火がつくか、つかないか。静雄の手から、ライターが滑り落ちた。臨也がぐいと静雄の手首を掴み、引き寄せたからである。

「、っ…」

顔が至近距離に寄ったと思えば、もう片方の手で煙草を奪われた。臨也の顔には、相変わらず笑みはない。時間が止まったようだった。いつもこうだ。臨也の赤い瞳に見つめられると、どうしようもなくなる。

「…煙草、…嫌いなんだ」
「……、…知ってる」
「…女が吸う煙草は、特にね」
「……もう関係ねえだろ。返せよ」
「まだ、帰せない」

そう言った自分の言葉の理由が、臨也にはなんとなくわかった気がしていた。だが静雄は強い力で臨也の手を振りほどく。上手くいかない。俺たちは、いつも、上手くなんていかないのだ。道をそれたらそれがいくつも枝分かれしてしまって、元あった場所になんて辿り着けない。

「…抱くの、勿体無い、かな……」
「、はあ?…おい臨也、煙草、いい加減、」

静雄の短くなった髪に、焦った自分がいた。美しい静雄だけが、手に入らなかった。手に入れるのが、恐かったのか。静雄はきっと、自分が出会ってきた女の中で一番、美しく綺麗で、優しい。その優しさが恐かったのかもしれない。そう、静雄が、数多い女の中でも一番、

「きっと一番いい女、だもんね」

臨也はにっこりと笑うと、煙草を自分が咥え、静雄のライターを拾って火をつけた。静雄が何か言う前にふうっとその前で白い煙を吐き出す。いきなり襲い掛かってきた煙に静雄は思わずむせた。目も一緒に瞑り、その瞬間に唇に感じた熱は、

「……、…」
「…ドキドキする、なんて、…いつ以来かな」

味はレモンでもなんでもない、懐かしい煙草の味だった。








「随分伸びたな、」

久しぶりに池袋の駅前で金髪を見つけ、門田は声をかけた。ふわっと肩にかかるくらいのボブヘアの彼女が振り向く。今日は休みなのか、長めの黒いカーディガンにデニムのミニスカートだった。

「…よお、門田。髪のことか?」
「ああ。いや、びっくりしたけどよ、短くした時は。…また、伸ばすのか?」

静雄は艶やかな唇をそっと笑わせる。元々綺麗だった静雄が、また更に綺麗になっていく。静雄に話しかければ、通りすがりの人々の視線が痛いのは変わらないどころか、どんどんその視線は増えていく。

「…そのつもり、かな。これはこれで、動きやすくていいんだけど」
「へえ、…じゃあ、なんで…」
「……楽しみに、してくれてる…男がいるんだ、」

そう言って髪を撫でる静雄の指に、銀色に光る指輪があることに門田は気がついた。そういえば以前、好きな男がいると言っていた。ああ、無事に結ばれたのかと門田は嬉しくなる。ぽんと静雄の肩を優しく叩いた。

「よかったな」
「、…何も、言ってないけど?」
「おまえの顔見てりゃ、わかる。…彼氏に言っとけ、静雄の競争率はどんどん跳ね上がってるぞ〜取られないようにな、って」
「そりゃ怖い」

コツン、と後ろで足音が止まる。声がしたと思い振り返ると、そこには高校時代のクラスメイトの折原臨也が立っていた。久々に見る顔に、門田は驚く。

「、臨也か!久しぶりだな、」
「ああ、久しぶり。…や、シズちゃん」
「……」

静雄はどこかむすっとした顔で腕組みをして臨也を見ていた。だが臨也はそんなこと気にもしないように笑っている。

「…おせえ」
「5分遅れただけじゃない」
「約束は約束だ」
「かたいんだから」

どうやら二人は待ち合わせをしていたらしい。高校時代の二人といえば、それはもう仲が悪く大変だったというのに、どうしたのだろう。門田がぽかんとしていると、臨也は門田に挨拶するように右手を上げた。

「それじゃね、ドタチン」
「あ、おう」

その右手の薬指に、静雄と同じ銀色が光ったのを見て門田ははっとする。二人は並んで人ごみの中に消えていった。…まさか、静雄の想い人とは、

「……ま、…幸せなら、いいか」

門田は二人の消えていった方向を見てぼそりと呟いた。静雄はきっとこれからも美しく、皆の憧れになるだろう。だが、あの二人なら、何があっても大丈夫な気がするな…と門田はそっと歩き出した。



201105




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