放課後。

ホームルームが終わるやいなや、琴子は誰よりも早く教室から立ち去っていた。
あまりに静かな退室に、いつの間に彼女がいなくなったのか、誰も気付かなかったようだ。
それは僕も同じで、ふと振り向いた斜め後ろの席が空っぽになっているのを見て、やっと琴子がいなくなっていることに気付いた。
家に帰ったのか、それとも……

「雪村、ちょっと頼みがあるんだけど」

その時突然、友人の仲谷がひょいと視界に飛び込んできた。やる気に満ち溢れた野球帽が目に眩しい。だがここはグラウンドではないんだといい加減理解してくれ。僕は若干うんざりしながら、長身を見上げた。

「また面倒事か?」

「うん、まあ」

こうもあっけらかんとした顔で言われると、全てがどうでも良くなってくるから不思議だ。

「それで、僕は何をすればいい」

僕は彼に頼まれごとをされるのが常だったが、仲谷が自分から言わない限り、事情をたずねることはなかった。何故なら、聞いたところでまともな答えが返ってこないからだ。

「一階に、倉庫みたいな部屋があるだろ」

「ああ…あのいつも暗い部屋」

「そうそう。で、あそこの鍵をなくした。見つけてほしい」

残念なことに、このように仲谷には国語的表現能力が大幅に欠落していた。彼の母国はアルゼンチンあたりなのではないかと僕は彼に出会って以来ずっと疑っている。

「鍵なくしたって、それ、結構まずいんじゃないの」

「うん」

仲谷はせわしなく、黒板の上にかかった時計と僕の顔とを交互に見ている。部活に行きたい気持ちはわかるが、僕の心情も少しは察してほしい。

「じゃあ、いつ頃なくしたんだ?」

「さっき……昼休みまでは、確かに持ってた。けど、今返しに行こうと思ったら、どっかに消えてたんだよ」

「その物置部屋の近くで落とした可能性は?」

「大いに有り得る」

「わかった。なら、ちょっと見てくるよ」

僕が立ち上がると、仲谷は顔を輝かせて、お礼を言うのかと思いきや、

「じゃあ部活行ってくる!」

重そうな荷物を背負い、廊下を走り去っていった。



僕は溜息をついて廊下に出ると、左右に顔を動かした。
廊下の喧騒の中にも、やはり琴子はいなかった。
僕は少し気落ちしながら、階段を下り、目的の部屋へと向かった。

その物置部屋は、一階の一番端に位置していた。しかし、その部屋の蛍光灯が光る様を、僕は一度も見たことが無かった。

僕はその部屋のドアに手をかけた。しかし、鍵がかかっているようで開かない。

昼休みの、もう既におぼろげな記憶を呼び戻す。
昼に珍しく教室に現れた担任は、作業をするのに必要だからといって、そそくさとクラスの男子数人を借り出していった。
その助っ人の中には、仲谷もいた。多分それが、この倉庫に物を運びこむという任務だったのだろう。いかにも体力の無さそうな僕が呼ばれなかったのは、そういうことだ。
そして推測するに、仲谷は教師から倉庫の鍵を渡され、後で代わりに返しておいてくれとでも頼まれたのだろう。奴はどうしてか教師からの信頼が厚い。だが、その信頼が僕のこうした善意の行動によって保たれていることには誰も気付かない。
仲谷はきちんと部屋に鍵をかけたまではよかったものの、それを何処かでなくし、僕がこうして捜す破目になっているわけだ。


僕は来た道を戻ろうとした。
鍵を落としたなら、ここから教室までの間だろう。物置部屋といえども、ドアは普通教室と同じ形だから、鍵の形状もまた同じはずだ。見つけるのはそう難しくない。


僕はドアから一歩離れた。


すると、誰かが息を吐いたような、そんな気がした。


思わず振り返るが、先ほどから辺りに人の気配はない。


耳をすましてみる。
だが、何も聴こえない。


気のせいだったのかと、僕は再びドアを見やった。あまり使われていない部屋にありがちな、立て付けの悪そうなドアは、僅かに中心がずれていて、ずっと見ていると気分が悪くなってきそうだった。
よくこれで鍵がかかったなと思い、もう一度開けてみようとすると、


扉が向こうから開いた。


「え?」


次の瞬間、白く細い腕が伸びてきて、僕は暗い物置部屋に引きずり込まれた。



目が慣れると、その部屋のあまりのちぐはぐさに、僕は目を疑った。



狭い部屋を埋め尽くすように積み置かれていたのは、大量のブラウン管テレビだった。
その大きさと量に、まるで幼稚園の教室に入ってきてしまったような、部屋と自分との縮尺が間違っているような奇妙さに襲われる。


しかし僕は、さらに驚かされた。
そのブラウン管の山のぽっかりと空いた、中心に立つ人物。


そこにいたのは、岬 琴子だった。



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