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「あの…?」
「そんな悲しそうな顔してちゃ駄目ですよ!」
「え…」
「人間笑顔が一番です。
笑うというのは人間の専売特許なんですよ、それを使わないなんてもったいないと思いませんか?」
だからほら、笑ってください、と言う青年を佳代はぽかんとした顔で見た。
しかしその表情はすぐに曇る。
「…無理よ……」
ぽろりと言葉が出たのは、誰かに聞いて欲しかったからかもしれない。
圭祐のいない孤独に、耐えきれなくなっていたのかもしれない。
とにかく、佳代は一度零れた言葉を止める事が出来なかった。
「…あの子を失って、犯人も捕まらないのに……っ笑うなんて出来るわけないじゃない…っ!」
圭祐を轢いた犯人はまだ捕まっていない。
犯人が今も何処かでのうのうと生きてると思うと腸が煮えくり返る思いだった。
だけど、佳代にはどうしようも無かった。
「…それで、貴方は諦めるんですか?」
青年の声は驚くほど静かで落ち着いたものだった。
青年はそう言ったきり暫く何かを考えているようだったが、やがて口を開くと思いがけない質問をした。
「その相手が、憎いですか?」
「え…?」
「貴方の大切な人を轢いた人が、憎いですか?」
こげ茶色の瞳がこちらを見つめる。
彼が何を考えているのか、佳代にはいまいち分からなかった。
だけど、その質問の答えは簡単だ。
「憎いわよ!憎くて憎くて…!」
犯人だけではない。
離婚してから圭祐の事など無かったかの様に圭祐の墓参りにも碌に顔を見せず、あっさりと再婚して幸せな家庭を作った和樹も、佳代は許せなかった。
佳代の答えを聞いた彼はそうですか、と頷くとにっこりと笑って言った。
「もし、貴方に覚悟があるのなら、僕がある人を紹介しますよ。
彼ならきっと、貴方の願いを聞いてくれるはずです」
「え?」
「その思いが原因で貴方が笑えないのは、僕としても悲しいですし…もし、本当に貴方が彼らを許せなくて…そう、復讐したいなら、の話ですけれど」
復讐、という言葉は甘美な響きを伴って佳代の耳に響いた。
そうだ、このままではあまりに圭祐が報われないではないか。
自分がすることは、嘆き悲しむことではない。
他にすべき事が、あるはずだ。
そんな思いに突き動かされた佳代は縋るようにその青年に教えて下さい、と頼んだ。
彼は嬉しそうに笑うと、一つの住所と名前を彼女に告げる。
「よすがら…けんと?」
「はい。
ビルの五階に彼はいますから…きっと、貴方の力になってくれますよ」
でも、少しでも迷いがあるなら止めておいた方がいいと思います、という忠告を付けたして、青年は傘を佳代に押し付ける。
「え、あの、これ…」
「安物なんで、返さなくて大丈夫です。
じゃあ、僕はこれで」
一方的にそう告げると彼はくるりと背を向けた。
一瞬虚を突かれた佳代は慌てて青年に声をかける。
「あの、貴方、名前は…!?」
「真希です、朝日屋真希。
貴方が笑顔になることを、そして貴方が彼に笑顔をもたらしてくれることを、祈ってます」
そう最後に言うと、青年…真希は走って行ってしまった。
残された佳代は彼から貰った傘を握りしめ、教えて貰った住所を胸に焼きつけて足を踏み出した。
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