no title
父親は顔も知らない事、母は元々自分を産むつもりは無かった事。
家では自分はただの物であった事。
そしてそれゆえに名前を与えられなかった事。
四角くテープで囲まれた小さなエリアだけが自分が居る事を許された場所であった事。
自分にお金はかけたくないからと学校にも行かせて貰えず、かと言って死なれても処理が面倒だからと死なない最低ラインは保たれていた事。
家から出る事も許されず、母が見るテレビの音だけが彼が外の世界を知る唯一の手段であった事。
少年の境遇は知れば知るほど悲惨なものであった。
そのせいか、彼は物事を斜に構えて見る傾向があったし、どこか捻くれた所も手伝って同年代の子供よりも妙に大人びていた。
そして、その境遇を考えれば当たり前の事かもしれないが彼は人嫌いな所があった。
綺麗な赤と黒の瞳には全てを諦め、憎んでいるような暗い炎が揺れている事を静貴は知っていた。
少年の瞳に潜むその暗い炎を少しでも消したくて、静貴は仕事の合間に少年に勉強を教える事にした。
何か別の事をしていたら、少しは気が紛れるのでは無いかと考えたのだ。
静貴が少年に勉強の事を告げると、彼は一瞬だけ顔を輝かせた。
学校に行った事の無い彼には、学ぶ事は憧れであった。
教える静貴が驚く程に彼の知識欲は強く、彼は静貴が与える知識を片っ端から吸収していった。
そんな彼を見るのが楽しくて、静貴も自分の知っている事を次から次へと彼に教えた。
そのおかげで、少年は同年代の子供達より知識量が遥かに多くなった。
静貴が仕事から帰ると一人ブツブツと何かを呟きながら静貴が置きっぱなしにしていた新聞を辞書を傍らに置いて読んでいる少年を見たのは記憶に新しい。
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