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外へと続く門の10m程手前までそんな押し問答を繰り返し、カイは遂にアルの前に回り込んだ。
顔の前でパンッと手を合わせ、美しい碧眼でアルの目を正面から見つめる。
「お願いだよアル。
本当に少しだけで良いんだ。
なんならフードも全部被るから!」
すがる様な瞳は捨てられた子犬を思わせた。
「………」
目を反らすことも出来ずアルは数秒黙った後、一つだけため息をついた。
理由は、後で落ち込んだカイをどうにかするのが面倒だとか、元々本の虫になるきっかけは自分が原因で後ろめたい、など様々あったが何よりも。
「……日没までだからな」
アルはカイのお願いに弱い自分に対し、もう一度ため息をついたのだった。
そんなこんなでカイに連れて来られる形で図書館へ向かっていたはずなのだが。
意気揚々と大通りに入ったのはカイのはずなのに、現在アルの方が前にいて、これではどちらがどちらを連れているのかわからない。
目的地に本があっても、見知らぬ人さえ押し退けて進めずに道を譲るお人好し加減はもはやカイのカイたる由縁と言えた。
アルはカイを待とうか一瞬だけ迷ったが、いつものことだ、と前に向き直る。
どうせ図書館は街の中心。
道に迷うことなどあるはずがないのだ。
そしてアルは先程の会話で一言も発しなかったもう片方の旅の連れを恨めしく思いながら──アルが狼狽える様子が好きな彼は故意に何も言わなかったに違いない──歩を進めようとした。
その時。
「きゃっ!」
「おい、てめぇどこ見て歩いてやがる!」
「ご、ごめんなさい!」
男の低い怒号と、若い娘の高い謝罪の声が響いた。
どうやらぶつかった拍子に、娘の持っていた壷の中の水が男にかかってしまったらしい。
「おいおい、この服は絹で出来てるんだぜ?
もうこれじゃ着られねぇだろうが。
どう落とし前つけてくれんだ?
じょうちゃんよぉ」
「ご、ごめんなさい…!
あ、あの…私どうすれば……」
周りの人間は、巻き込まれてはかなわないとばかりに遠巻きに通りすぎる。
水がかかった、といっても少量であるし、絹と言う服もよく見れば化学繊維の紛い物であることにアルは気付いていた。
しかし何かしたところで得はないし、何より面倒だ。
一瞬娘と目が合った気がしたが、アルは関係ないとばかりに周囲の人々同様歩き続けようとした。
「あ、あのー…。
すみません。
い、今の、僕が彼女にぶつかったせい…なんです」
わざわざトラブルに突っ込んでいく友人の声を耳にしたことで立ち止まらざるを得なかったが。
カイは傍目に見ても怯えているとわかる様子で娘の前に立っていた。
「あん?
なんだお前は?」
「だ、だからあなたに水がかかってしまったのは僕が原因で…彼女は悪くないんです」
もはや娘にとって助けてくれる相手なら誰でも良いのか、見るからに弱そうなカイの後ろに不安そうな顔で下がっている。
アルは不本意ながら現場へと足を進めた。
喧嘩だとか暴力だとかについては少しも心配してはいない。
腕力こそないに等しいが、カイの操る風や光属性の魔法はそこらの魔導師よりよほど強い。
アルも闇と氷魔法を操るが単純に魔法のみで闘えば、多分カイには負けるだろう。
問題はここが都市であり、人の多い大通りであるという点だった。
都市には中央政府直属の軍兵が存在する。
アルとカイは正体がバレるとまずい身分だった。
「じゃ、お前が責任ってか?
で?
どう落とし前つけてくれるんだ坊っちゃんよ。
……ん?
てめぇ、肩のそれ何だ?」
男は訝しげにカイの右肩の旅ローブの下の膨らみを見留めて尋ねた。
「まさかでけぇ剣とかいうんじゃ……」
使われる前に奪おうとしたのか何も考えていなかったのか。
男はカイの肩に手を伸ばした。
まずい。
アルとカイは同時にそう思ったが、アルは人波に邪魔され、カイは後ろに立つ娘の存在で彼の手を止めることが出来なかった。
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