ぼやぼやした黒い世界から、急き立てられる様に意識が浮上するのが分かった。瞼をゆっくり開くが、あまりの眩しさにすぐにまた目を瞑った。ううと呻いて手の平で瞼を覆う。少し身動きをすれば、じゃりっという擦れる音がした。
…ここは何処だ?
背中と尻が酷く痛い。俺は何処かに仰向けに横たわっているようだ。
もうそろそろこの明るさに目も馴れてきた筈。先程よりも慎重に瞼を開くと、視界いっぱいに空と雲、それに煌々と照らす太陽が映った。俺とそれらを隔てる物は何も無く、つまり今いる場所は屋外という訳だ。ぼーっと雲の動きを目で追っていると、再び砂利の音がした。だが、今度は俺の立てた音ではない。誰かが砂を踏み締めこちらに歩いて来ているのだ。俺は音のする方に顔を向けた。誰かの制服の、腰から下だけが見えた。

「あっ、起きた〜」

驚いた。聞こえた声は明らかに松風の物であり、俺は鈍痛で重く感じる頭をどうにか上げて、彼の顔を薄目で見上げた。
逆光で見事に見辛いが、そこに居たのは案の定松風で、彼は微かな笑みを湛えていた。俺は今の状況を問おうとしたが、如何せん喉がからからで舌が回らない。俺が渋い顔をしていると、松風は俺の目線に合わせて傍で屈んでくれた。ようやっと頭を地面に着ける。

「何でこんな所で寝てたの?」

そんな事、こっちが聞きたい。そもそも俺は寝てたのか?それだったらよっぽど酷い寝覚めだ。
松風は小首を傾げて不思議そうに俺を見た。その手には並々と水が入った、透明なコップが握られている。嗚呼、意識した途端余計に喉が渇く。

「それ…」
「ん?ああ、お水?これ剣城のために今入れて来たんだよ。自分で飲める?」
「ん」

それは今の状況に置いてかなり有難い事だった。俺は両腕に力を込め、肘を使ってロボットみたいにぎこちなく上体を起こした。途中松風がさっと背中を支えてくれた。
…俺はどうしてこんなに疲労しているんだ。自分を情けなく感じた。
松風によって、手にしっかりと握らされたコップを口元まで運び、冷たい水を喉に流し込んだ。傾きが強すぎたせいで、唇の端から顎へと水が伝う。はあ。取り敢えず、舌は回りそうだ。コップが空になると、俺はそれを地面に置いた。手の甲で軽く口元を拭う。

「大丈夫?」

眉をハの字にして心配そうに顔を覗き込んでくる松風に、大丈夫だと返して、俺は一度深く呼吸した。周囲を見回す余裕が出来、視線をさ迷わせて見れば、ここはどうやら一年の校舎と二、三年の校舎を結ぶ渡り廊下近くの中庭らしい。確かに朝から体調が芳しくないとは思っていたが、まさか倒れて気を失うなんて。ここまで歩いて来た記憶すら危うい。
俺は思わず額に手を当てた。

「顔色良くないよ。ちゃんとご飯食べてる?」

そういえば、今朝は早くからシュート技の練習をしていたから時間が無くて、朝食を取らずに出てきてしまった…。顔色が良くないと言う事は、所謂貧血か。まあ実際、朝食抜きはよくある事だった。

「食ってるよ」

食べていないと言って咎められるのも煩わしいから、嘘を吐いた。すると松風は、じゃあ何でだろと真剣に原因を考え始めたから、俺は早々に話題を変える事にした。

「お前こそ何でここに?」

よく見れば、周囲には誰もいないしとても静かだ。という事は今は授業中だろう。無様にぶっ倒れている所を誰にも見られなかったのは幸いだった。

「あは、サボっちゃった。何かそういう気分だったんだよ!結果剣城を見つけられたんだから、良かったんじゃない?これも愛の力かな」

こいつまた…。そう、俺は貧血の原因にもう一つ心当たりがある。松風だ。ここ最近、何故かこいつに求愛されまくっている俺は、その事に頭を悩ませろくに眠っていなかった。ばっさり切り捨てたら、もうこんなあからさまな熱視線を送られる事も無くなるのだろうか。でも実際行動に移せないのは、俺も内心松風の事が気になっているから。俺の場合は勿論、友人として、だが。

「…取り敢えず、俺は早退する」
「あっ、じゃあ俺も」
「何でだよ」

監督達に言っておいてくれという意味だったのに、何でそうなる。何だか益々頭が痛くなってきた気がする。いいや、こんな奴無視して帰ろう。
俺は若干ふらつきながら立ち上がると、校門に向かって歩き出した。すると当然の様に松風も俺の隣を歩いた。松風はずうっと俺から目を離さない。俺の顔色はそんなに悪いのか。

「早く教室戻れ」
「心配だもん。家まで送るよ」

正直俺は、松風が家まで来る事の方が心配だ。
確実に前進してるものの、校門までの道のりがこんなな遠いと感じた事はない。頭はくらくらするし、変な汗も出てきた。くそ。お前が原因でも有るんだからな。と言いたかったが、そんな事を言えば益々付け上がりそうだからやめた。
俺は両手をズボンのポケットに突っ込み、真っ直ぐ歩く事に神経を注いだ。そうでもしないと、何時膝から崩れ落ちるか分からないからだ。こいつの前で弱味を見せるのはもう沢山だった。

「お昼は力の付くものが良いよね。帰ったら俺、ステーキ焼いてあげる」
「は」

余計なお世話だと言おうと思ったのに、その瞬間俺の腹から聞こえた間の抜けた音のせいで、先の言葉は全く意味を無くしてしまった。空きっ腹とは反対にすっかり黙り込む俺を見て、松風は爽やかに微笑んでいた。





∴あやふやふやふやふやけるうそまで